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創元社版『萩原朔太郎全集 第七巻』の入力作業と覚え書き

<関連する辻潤年譜>
1929年12月『螺旋道』刊行(新時代社)
1932年02月10日「文壇の奇人・辻潤氏突如発狂す」(『やまと新聞』)
1932年04月11日「辻潤氏『天狗』になる」(『読売新聞』夕刊)
1930年02月 雑誌『ニヒル』創刊(3号で廃刊)
1935年08月『癡人の独語』刊行(書物展望社)
1936年05月『孑孑以前』刊行(昭森社)# 孑孑(ぼうふら)
国立国会図書館へのリンクで閲覧不能となっているものは、左側メニュー「詳細レコード表示にする」を参照されたし。目次が表示され、収録作品を確認できる。

<入力作業の公開>
『萩原朔太郎全集 第七巻 (詩人・作家論)』創元社、1951(昭和26)年6月
この人を見よ初出:1932年10月『セルパン』通巻20号)
辻潤と螺旋道(初出:1930年03月『ニヒル』第1巻第2号)
辻潤と低人教初出:1935年12月『書物展望』第5巻第12号)

<入力作業と覚え書き>
「この人を見よ」初出:1932年10月『セルパン』通巻20号
・辻潤発狂から入院騒動の「大活動」を題材に取り上げている
・津田光造は辻潤の義弟(辻潤の妹恒の夫)

「辻潤と螺旋道」初出:1930年3月『ニヒル』第1巻第2号
・この文章を掲載した雑誌『ニヒル』は、辻潤を中心に創刊。三号で廃刊となるが、朔太郎は毎回寄稿している。『螺旋道』は辻潤による翻訳作品集。その書評というべきか。
・"デクインジイ"はトマス・ド・クインシー(Thomas De Quincey)。辻潤訳で『阿片溺愛者の告白』(1918年、三陽堂書店)を刊行している。
・"ヹルレーヌ"はヴェルレーヌ(Paul Marie Verlaine)。マラルメ、ランボーとともにフランス象徴派の代表と言われる。"ヹ"はワ行エ段のカタカナ濁音。
・"デカッサア"はベンジャミン・デ・カッサース(Benjamin De Casseres)。
・"ハネカア"は『螺旋道』ではヒュネカア(James Gibbons Huneker)。『孑孑以前』(1936)では朔太郎と同じ「ハネカア」となっている。現在でも日本におけるカタカナ呼称は統一されていない。
・蛇足として。"ちゃらっぽこ"(茶羅鉾)という言葉を始めて知った。語感は"ちゃらんぽらん"に近く、意味は"デタラメ""口から出まかせ"と同義のようだ。今風に言うと"チャラい"となるのかな。

「辻潤と低人教」初出:1935年12月『書物展望』第5巻第12号
・副題は"『癡人の独語』を讀みて"
・辻潤に興味ある人なら一度は目にする名文。『孑孑(ぼうふら)以前』の跋文として有名である。書き下ろしと思っていたが、そうではないようだ。『癡人の独語』の書評が雑誌『書物展望』に掲載される。これが『孑孑(ぼうふら)以前』の跋文として採用される。かような経緯を辿るらしい。
・今回は旧字旧仮名版を掲載。入力作業の手順は後記。

<伊藤信吉氏による「解説」>
『萩原朔太郎全集 第七巻 (詩人・作家論)』より、伊藤信吉氏による「解説」を抜粋しておこう。

 これら詩人論における朔太郎の態度はかならずしも客観的ではなく、詩史の順序に即した態度でもない。これを分類すると三つの傾向に分れ、そのひとつはより個性的な人々に對するつよい親和感である。例えば辻潤というような特異な文学的存在に並ならぬ共感をよせたこと、永井荷風の『濹東綺譚』を推していることなど、そうした思向のあらわれである。これは朔太郎の文学精神にひそむ孤獨の意識や虚無の観念に通じポオ・ニイチエ・ドストエフスキイらの外國作家についての惹かれ方も同じ傾向をしめしている。次は室生犀星・與謝野鐵幹・晶子らに對する態度で、ここには詩の生命が純一な抒情にあるという主張が聴かれる。殊に鐵幹論では、詩における浪曼主義がいかに人を感動にさそうかを述べている。もう一つは比較的客観的な見解に立つ評論といつてよく、蒲原有朋・野口米次郎・山村暮鳥・日夏耿之介・堀口大學・大手拓次らをめぐる諸篇は、一般の詩人論に近い態度でかかれている。

客観的ではない。これが伊藤信吉氏の心情なのであろう。言いたいことは理解できる。萩原朔太郎の辻潤論は客観的な評論ではない。あれは辻に触れて朔太郎が発した火花だ。詩人の咆哮だ。そう考えた方がしっくり来る。

<蛇足>
『萩原朔太郎全集 第七巻 (詩人・作家論)』には「ニイチェに就いての雑感」が収録されている。これは青空文庫でも読める。ここでも「辻潤」というワードが現れる。

 最後に、僕自身のことを話さう。僕はショーペンハウエルから多くを学んだ。僕の第二詩集「青猫」は、その惑溺の最中に書いた抒情詩の集編であり、したがつてあのショーペンハウエル化した小乗仏教の臭気や、性慾の悩みを訴へる厭世哲学のエロチシズムやが、集中の詩篇に芬々として居るほどである。しかし僕は、それよりも尚多くのものをニイチェから学んだ。ニイチェは正しく僕の「先生」である。だが僕の学んだ部屋は、主としてニイチェの心理学教室であつた。形而上学者としてのニイチェ、倫理学者としてのニイチェ、文明批判家としてのニイチェには、僕として追跡することが出来なかつた。換言すれば、僕は権力主義者でもなく、英雄主義者でもなく、況んやツァラトストラの弟子でもない。僕は「心理学」と「文学」だけを彼に学んだ。僕の他の教師であるところの、ポオやドストイェフスキイやから、丁度その同じ学科だけを学んだやうに。
 元来、僕は気質的にデカダンスを傾向した人間である。僕がポオやドストイェフスキイに牽引されるのも、つまりは彼等の中に、異常性格者的なデカダンスがあるために外ならない。僕のやうな人間が、もし自然のままの傾向で惰力して行つたら、おそらく辻潤や高橋新吉のやうな本格的のダダイストになつたにちがひない。それが幸ひ(だか不幸だか知らないが)一つの昂然たる貴族的精神によつて、今日まで埋没から救はれてるのは、ひとへに全くニイチェから学んだ訓育の為である。そしてこの一事が、僕のニイチェから受けた教育のあらゆる「全体のもの」なのである。

辻潤のようにならなくて幸いだ、と漏らしちゃっているよこの人。幸いだか不幸だか知らないが、と言い直してるけど。茶化すのは此処までにして。
朔太郎がニーチェを見て、辻潤がニーチェを見て、朔太郎が辻潤を見て、朔太郎がニーチェに見たものと同じものを辻潤は見ていると感じたんだろうねきっと。辻潤の方は自然のままの傾向で惰力して行き、埋没しているが。

<旧字旧仮名版「辻潤と低人教」の入力手順>
新字新仮名版「辻潤と低人教」はネット上に再公開している。今回は『萩原朔太郎全集 第七巻 (詩人・作家論)』を底本として、旧字旧仮名版「辻潤と低人教」を提供したい。その入力手順は下記の通り。
1.新字新仮名版「辻潤と低人敎」をツールで旧字旧仮名に一括変換
2.底本と一字一句を突き合わせ誤字脱字のチェック

この作業によって浮き彫りになったのは下記の3点である。
A.新字新仮名への変換は特定の漢字をひらがなにしている。具体的には「言ふ」「居る」「或る」を「いう」「いる」「ある」にしている。これは一般的なのだが、ちょっと特記しておきたいこともある。
朔太郎の文章は「言ふ」と「いふ」を書き分け、「居る」と「ゐる」を書き分けているのだ。動作の「言う」に漢字を使用し同格の「という」には平仮名を使用する。動作の「居る」には漢字を使用し状態の「ている」には平仮名を使用する。文法的にはこれが正しいとされるところなのだが、朔太郎のはそれに準拠しているわけではない。彼の言語センスによって使い分けていると思われる。新字新仮名版はこれらほぼ全てを変換してしまっているのだ。従って新字新仮名版からは朔太郎の書き分けセンスを感じることができない。これがちょっと残念かなと。大したことではないが。
B.句読点の異なる所が存在する。句点(。)の違う所が一箇所。読点(、)の違う所が数カ所。
C.「日本の」が「常に」となっている箇所が存在する。

(旧字旧名版)
僕はかつて大森に居た時、日本の詩人の不遇を悲しみ、日本の文壇と文化を怒つて居たことから、交友の小説家等から被害妄想狂患者といふニックネームを陰口された。
(新字新仮名版、太字は引用者)
僕はかつて大森に居た時、常に詩人の不遇を悲しみ、日本の文壇と文化を怒っていたことから、交友の小説家等から被害妄想狂患者というニックネームを蔭口された。

一点、強調しておこう。これは入力者et.vi.of nothingの作業ミスではない。『辻潤全集 別巻』でも「常に」となっているのだ。

以上。
Aは編集方針に依るもの。BCは謎である。初出『書物展望』第5巻第12号を確認できないので何とも言えない。『孑孑(ぼうふら)以前』の跋文に採用する際、変更を加えたのかもしれないし、単なる作業ミスだったのかもしれない。

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