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橋爪健『多喜二虐殺』の入力作業と覚え書き

<入力作業の公開>
『多喜二虐殺』新潮社、1962(昭和37)年10月1日
辻潤と無想庵(初出:年月未詳『小説新潮』)

<入力作業と覚え書き>
「辻潤と無想庵」
1.橋爪健(1900年02月20日 - 1964年08月20日)の目に映った辻潤
・1900年生まれは卜部哲次郎、尾形亀之助
・キーワード:南天堂、『ダムダム』(1924) 、『文芸公論』(1927)
・『ダムダム』南天堂書房、1924(大正13)年11月10日
・『文芸公論』文芸公論社、1926(昭和2)年1月~翌年5月、17冊
2.注記
・”宮島資夫”
 宮嶋資夫に訂正して脚註を入れようかと悩んだが。青空文庫の作家名は「宮島資夫」。辻潤の記述を見返すと宮島の時もあり、宮嶋の時もあり。両表記が併存するようだ。
・”同志社高女”
 野溝七生子は同志社女学校英文科専門部予科を卒業。現在の単科大学に相当。比叡山の件が1920年なら野溝七生子23歳の年となる。
 「東洋大學で岡本と同級生」という伝聞から岡本と同年齢と錯誤し「同志社高女」としたように見受けられる。岡本潤1901年生まれに対し、野溝は1897年生まれ。岡本より4つ年上で東洋大学は2つめの大学かと。
・”文壇隨一の三奇人”
 無想庵、辻潤、宮島の三奇人が比叡山に、という文脈。些細な事だが、”隨一”の”三奇人”は形容矛盾してないか。OCRの誤変換かと凝視してしまった。

<検証用>


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