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辻潤のひびき「辻潤に関する新聞雑誌記事」

辻潤のひびき参考資料>4.辻潤に関する新聞雑誌記事

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辻潤に関する新聞雑誌記事
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 ここにある新聞記事は、旧漢字を新字に改め、ルビを省略。
 他にも色々新聞記事があるようである。一部のみ。
 新聞ソースは、縮刷版やマイクロフィルムの他、『昭和史の証言』等の新聞集成による。
一九一六(大正五)32歳
 『東京朝日新聞』十一月二十一日号
野枝さんへ
 一旧友より(投)
▲野枝さん私はあなたとあのなつかしい鶯渓の学び舎に或時はグル先生の幾何で頭をいため又ある日はせまい三角形の運動場ではねまはつたりしました、あの頃のやさしい野枝さんが今頃の野枝さんのやうにならうとは夢にも思ひませんでした
▲英語ときたら三年級の時入学したのでまるで出来なかつたでせう、後になつて思へばあなたは卒業する前から辻先生を恋してゐたのでせうあの頃はいつも朝来るも帰るも辻先生(英語の教師)と一緒でしたろう先生の帰りの遅い時は野枝さんも残つて音楽室で先生と二人で弾いては歌ひ歌つては弾いて居たでせう
▲あの時でも皆は只先生が可愛がつてると思ひ羨望の的となつて居たでせう試験の時等英文典や翻訳がむづかしくて日頃出来る人でも出来なかつたのにいつも出来ない野枝さんにだけ前から問題を教へてあげてあつたのだらうと陰で言つてました
▲けれど二人が恋し合つてた事は夢にも気づきませんでした、あなたが国の許夫を拾て辻先生と同棲する様になつた事を知つた時にはどんなにか皆驚いたでせう中には羨望嫉妬の心で見る人が多くありました
▲其内に辻先生は学校をやめられてしまひました野枝さんあなたは其辻先生のお陰で名を売つたのでせう種々の翻訳ものを出版したのは皆辻と云ふ後盾があつたからでせうあなたをよく知つてる人々は皆あなたが書いたものとしてよんでる人はありませんよ其位英語に長けてるあなたなら学校に一緒に居つた頃今少し英文の才があり英語に趣味をもつて居たらうと思ひます
▲野枝さんあなたは辻先生との恋がかなつて家庭を作つて最初の望みが達したのに今はそれで満足出来ず他に立派に夫人まである男を又自分のものにしやうとして居るのですね、あなたは夫を捨て子を捨て此頃のあなたの有様はまるで女流文士キドリの仮面をかぶつたていのよい高等淫売ですね
▲外国の女権拡張論者等は女でも男とならんで決して劣らないだけの学問も才もあるのでせう日本であなた位がいくら大口あいたりほらふいたとてたれ一人耳かたむける人はありません、もしあなたの書いたものが売れ行がよいとしたならそれは一時の好奇心で読んで見るので決してつゞくものではありません
▲あなたがいろ/\の熱をふかないでももつと真面目に幾年も研究してる学者と云ふものがありますどうか思ひ切つて真面目な女となつて下さい今までの腐つた心を捨て今少し国の為になる事でも名を売つて下さい
一九二四(大正一三)40歳
 『読売新聞』九月二十五日号
  「余技さまざま」に尺八を吹いている潤の写真が載る。
一九二六(大正一五)42歳
 『読売新聞』十月二十五日号
 高畠素之『資本論』翻訳完成祝賀会へ出席。他の出席者は、石川三四郎、小川未明、江口渙、宮嶋資夫、木蘇穀、中根駒十郎。
一九三〇(昭和五)46歳
 『サンデー毎日』 月日不明
  辻潤、谷崎潤一郎、武林無想庵との鼎談。(『ダダイスト辻潤』による)
一九三一(昭和六)47歳
 『読売新聞』八月九日号の「早朝深夜訪問記」欄に「夜を徹して飲む浴衣がけの神様?-酒・酒・酒の辻潤氏」という記事が出る。
一九三二(昭和七)48歳
 『やまと新聞』昭和七年二月十日号

文壇の奇人・辻潤氏突如発狂す
酒場で電気ブラン痛飲中
日頃の狂暴性を発揮
全く徹底した貧困生活

俗悪、野卑に堕した文壇の一角に、ダダイズムを高調し、論壇切つての奇人として知られてゐる辻潤氏は去る二日深更附近の酒場で電気ブラン痛飲中、突如狂暴性を発揮し遂に発狂した、同氏の実母はもとより、同居中の津田光造氏夫妻も大いに驚き、百方手当に努めると共に絶対安静を必要として荏原町中延の居宅奥六畳の間に静養を続けてゐるが目下のところ、折々ハ発作があるので手放すことも出来ず家人は不眠不休で看視してゐる、最近の同氏は氏が、多年主張する通り、絶体の個人主義に徹し、昨年『絶望の書』を著作して以来筆を絶つてゐたものであるが、その生活困窮ぶりも全く徹底したもので昨今は電話線を切断され闇の中に蝋燭をとぼして自らは神楽御殿と称してその清貧に徹してゐたものである、尚ほ家人は同氏中学時代のクラスメートである脳病院斎藤茂吉氏を院長とする青山脳病院に入院せしむべく手配準備中である

(写真)

図抜けた聡明の男 {加藤一夫氏談}

辻氏はその独壇場ダダイズムに拠つて、占部哲次郎、高橋新吉、川口慶介、兼子毅等の青年学徒を糾合し、旧知の佐藤春夫氏とは肝胆相照らしてゐた、辻氏の異変をもたらして加藤一夫氏を訪ふと『それは初耳です辻君とは春秋社から『自我経』の出版のことで昨年会つた切りであるが、最近非常に困憊してゐるとは聞いてゐた、例の村治派同盟では同君も一働きするものと信じてゐたのに、惜しいことをしたものだ、しかし図抜けた聡明さを持つた男だし早晩全快してまた飄然とやつてくる様な気がして、あれが『正気の辻君』の最後であらうなどとは、夢にも思はれない』と感慨ふかくうなだれこんだ『写真は彼南支那寺に於ける辻潤氏(右)』

※写真は、寺島珠雄『南天堂』中に詳細不明として掲載されている写真と同一のものである。渡欧途中、彼南(べなん)に立ち寄った時の写真であろう。


 『読売新聞』四月十一日号 夕刊

辻潤氏『天狗』になる
 春哀し ダダイストの発狂
 『羽根が生えた、昇天する!』

 ダダイズムの開祖、文士辻潤君が発狂した――といつただけでは「ああまたか」と、世間がほんたうにしない、というのが、その日ごろにおいて逸脱的奇行味を多分に所持する彼れだからである、ところがこんどは気の毒にも、かけひきなく発狂してしまったのである、
 先ごろ、青山脳病院の斎藤茂吉博士に診察してもらつたとき、その「異常来」の傾向は認められたのだつたが、「発狂」と呼ぶまでの病状には至つてゐなかった。それでともかくも府下代々幡の井村病院に入院して、静かに養ふという程度での療養を続けつゝあつたところこの陽気も加はつてか急に症状が昂進してしまつたものだ
脳梅毒性からの発狂といふことに診断されたが、何しろもう三日もぶつ続けて瞳孔が開いたまゝだし三日三晩休みなくシャベリ続けてゐるといふ状態に加へて、「オレは天狗様になつたんだぞ」と信じ切つてゐるので、「そゥら見ろ、こんなに羽が生えて来だした、これなら飛べる/\」とばかり、二階から飛んで大空に舞ひあがらうとするところから、老母や子供達はその昇天引きとめに弱り切らされてゐる
 逸脱的天才肌の彼れとしてさう不自然な発狂と思ふものも少いかは知らんが、春にしてこの発狂、彼一流の文章に接することが出来なくなつたのは淋しい
一九三三(昭和八)49歳
 『読売新聞』昭和八年八月九日号

狂ふ辻潤氏近く松澤へ
一九三五(昭和一〇)51歳
 九月 『書物展望』第五巻第九号の「青斎めぐり」に潤のスナップが載る。
一九三七(昭和一二)53歳
昭和十二年六月五日 掲載紙不明 『ダダイスト辻潤』より
見出し:
「街頭に痴人の独語」「ダダの辻潤、京都で大暴れ」

 かつてはダダ一派の詩人として鬼才を謳われた文士辻潤氏(五三)が狂ルンペンとして京都西陣署に保護された。四日正午ごろ京都市上京区千本通り中立売附近を霜降りの背広に菅笠、女の下駄という異様な恰好の老人が自然木の杖を振り廻して暴れ廻っているのを西陣署員が検束せんとしたところ「僕は文士の辻潤です」と名乗って『痴人の独語』『浮浪漫語』『螺旋道』などと自著の名をあげ英、独、仏語を用い東西の文豪の名を引合に出して気焔をあげたがさてどこにいるのか、どこから来たのかさっぱり不明。全く『痴人の独語』にひとしいことをしゃべり続けているので精神異状者として保護室に入れると勿ち高いびきで寝てしまった。
 辻氏は数年前にも東京で無軌道振りを発揮して「辻潤狂う」の噂が伝えられたが、昨年武林無想庵氏を訪ねて京都に来り比叡山に登ったりして世捨人を気取っていた。今年三月ごろ飄然と島根県の知人のもとに行ったが、先月十四目武林氏の送別会に出席のため再び入洛、友人の京都上京区猪熊一條ル(ママ)画家中西倪太郎氏のもとに身を寄せていたが原稿料が入ると酒を飲み、酒を欽むと変になるというので友人が警戒していたものである。  同夜十時半ごろ前記中西画伯が引取人となってようやく釈放されたが、留置場の屋根の上に輝く星を眺めて詩を吟んだりして、いとも呑気に引揚げた。

 七月 『サンデー毎日』十八日号に「狂へるダダイストの精神鑑定」として、小南京大教授と潤との「天才と狂人は紙一重――酒、女、人生一問一答」の対話を掲載。
一九四〇(昭和一五)56歳
 『日本学芸新聞』六月十日号に辻潤の近況が出る。
以下は、「辻潤と萩原朔太郎、春月」浜田博(辻潤著作集別巻)による。
『万朝報』大正十四年二月二十四日号
 「一管の尺八を淋しくかかえて 赤いロシヤヘさすらひの旅にのぼる辻潤氏」と、長い見出しで近況を報じている。
『万朝報』昭和二年十二月二十一日号
 「噂の辻潤氏愈々明春一月七日頃巴里へ」
『大阪朝日』昭和八年七月十九日号
 三段抜き四本見出しで「狂へる尺八名手は ダダイスト辻潤氏 一管を腰に流浪の果 名古屋で公費収容」
『大阪朝日』昭和十二年六月五日号
 「"暖簾の酒は美味い" 検束された長髪垢面の菅笠男 往年のダダイスト辻潤氏」と写真入りでハデに扱っている。この記事は「京都市上京区千本今出川を彷徨する異様な風態の男を、精神病者の一斉取締をやっている西陣署の警官が保護検束した。この男こそは、往年のダダイスト辻潤で、西陣署特高係室に一ルンペン精神病者として一応連行された」と書かれている。

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