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気仙沼の話。

長い休みをもらったので、気仙沼へ行ってみた。
前から行ってみたくて、でも結局行かなくて、っていうのを毎年くり返していたんだけど今回ぼんやりと行きたい理由ができたから、えいやっで行ってみたらとても良いところだった。1日も滞在しない弾丸旅行だったけれど、得るものがたくさんあったからnoteに書き留めておこうと思う。

まず、海がきれい。近づいてみると吸い込まれそうな深い青色で薄かったり濃かったり。

上から見ると、海の深さや光の当たり具合によっていろんなグラデーションの色が見えたり。光に当たって水面がキラキラしていたり。



こんな前置きをしておきながら、実は私は小さい頃から海があまり好きじゃない。泳げないし、何度か溺れた経験もあって怖いのだ。気仙沼で見たときもきれいだなと思いつつ、ちょっとだけ怖かった。でも海を見るのが久しぶりだったことと、旅先で見る特別感が合わさって、いつもより心にしみいった。ゆらゆら揺れる水面から、海の奥深くへ気持ちが持っていかれそうな心地よさを感じた。

気仙沼の地形も、上から見てはじめて知った。地図で見ると長細くて、いくつもの港がある。小高い山もたくさんあって、デコボコしていてかわいい。

気仙沼には唐桑(からくわ)という地域があって、私はそこにある民宿「つなかん」に泊まった。目的は名物?女将の一代(いちよ)さんに会うこと。元気全開とはこの人のことを言うのかってくらい、明るいパワーをたくさん放出している人。到着したら「ようっこそ~っ!」と言いながらご飯をテキパキとたくさん出してくれた。


夜ご飯は採れたて海鮮のオンパレード。こんなに新鮮でおいしいものを食べれるなんて。住んでいる人にとっては当たり前の日常だろうけど、羨ましいなぁ…おいしいなぁ…って思いながらずっと食べたし、お腹も心も満たされすぎた。

少し、一代さんのことを。
震災前、一代さんは牡蠣やホタテの養殖をする漁師さんだったのだそう。津波は自宅の3階まで到達して、生業にしていたものは全部流されてしまった。そんな中、町に駆けつけた「学生ボランティア」との出会いが民宿を始めるきっかけになった。これは前にほぼ日でも特集されたことがあって、こんなことが書いてあった。
(以下の引用は一代さんのコメントです)

うちは、気仙沼の唐桑というところで
牡蠣の養殖業をやっていましたが、
牡蠣むきナイフ1本残すことなく、流されました。家は3階建てでした。
3階まで波が押し寄せました。
うちは、おじいちゃんの足が弱かったもんで、
1階部分をリフォームしていて、
コンクリートでできていました。
そのおかげで、1階の外側は残りました。
震災後、学生ボランティアの人たちが、
屋根のあるところに泊まりたいから
家を開放してくれないか?
と言ってきました。
家はほぼ全壊だし、
残った1階も取り壊そうと思っていたんですけど、
役に立つなら、と思って、
みなさんに泊まってもらいました。
そうして、全壊になった家に、
思わずあかりがともることになりました。
家に、あかりがともる。
いちど死んだようになった家に、人がやってくる。
これはほんとうに‥‥うれしかった。
そのひとつの光から、一歩ずつが、はじまりました。
(ほぼ日 牡蠣の一代さんより https://www.1101.com/ichiyosan/)

私が宿に泊まったとき、一代さんはこれと全く同じ話をしてくれた。そこから飛び飛びで、仕事のこと、家族のこと、恋愛のこと、いろんな話をした。そこで一代さんの口からくり返し出た言葉は「今を楽しもうね」ということ。そしてこんなことを話してくれた。

" 明日死ぬかもわからない人生なんだから、今この瞬間を楽しまなくちゃ損だよね。目の前に食べたいものがあったら食べよう。やりたいことがあるならすぐにやろう。それだけで人生楽しくやっていける。辛いときはやり過ごそう。人間だからうまくいかないときもあるんだから、じっと我慢してさ。そうしたらまたご褒美がやってくる。 "

帰り際、一代さんは大漁旗をもってずっと手を振ってくれた。
「いってらっしゃーーい!」って超元気に。こうやって何人もの人を見送ってきたのだろうけど、今は私だけにやってくれている。その時間が何だかとても愛おしく思えた。

車を乗ろうとして振り向いたらまだ振ってくれているし‥。

ありがとう、一代さん。最高だよ、一代さん。

***

あと、もう一人、大事な人に会った。私の大学の友だち加藤拓馬(かとうたくま)。※以下、「たくま」と呼びます。

彼は、震災後に唐桑に移住。もともと東京に住んでいたけど震災直後にボランティアで唐桑に入ったことをきっかけにそのまま拠点を唐桑に移して、今では復興隊長として移住者の受け入れや教育、育成事業をやっている。

たくまは、少ない時間のなか色々案内してくれた。気仙沼が一望できるところや彼がお世話になった人、それこそ一代さんもそうだけど、そこでどういう人とどういう関わりを持ったのか。色々話を聞かせてくれたり会わせてくれたりした。彼が唐桑で過ごした9年間、ほんの少しだけどその空気に触れることができて、会わなかった時間が埋まるというか、重なるような感覚があった。

私と彼が出会ったのは今から11年前。当時は一緒にNGO団体を立ち上げてボランティア活動をしていた。その活動はとても楽しくて、私たちの毎日はキラキラしていたと思う。あのときだからこそ出会えた人と経験はぜんぶが瑞々しくて、そういう濃い青春時代をともに過ごした仲間の一人だ。

卒業してからは会う機会もめっきり減って、(まぁそういう友だちは多いんだけど、)その中でもたくまのことは少しだけ気になっていた。彼が震災後に唐桑に移住したことは知っていて、色々復興事業をやっていることも知っていた。いつか会いに行こうと思っていたけど、どうしても自分の気持ちが定まらなくてあっという間に月日が経ってしまった。

それは、彼のことが嫌いとか会いたくないとかそういう負の感情ではなくて、いま思えば羨ましかったのだと思う。大学を卒業しても、同じように楽しそうなことをやっている。しかも1年1年、その場所で、また学生の頃とは違った基盤を、しっかりその場所でそこに生きる人と積み上げている。

「そんなに唐桑で頑張れるのはなぜ?」みたいなことを聞いたら、彼はこう言っていた。

" 何をやるにも、まず、喜ばせたい人の顔が浮かぶんだよね。"

これを聞いたとき、「喜ばせたい人」ってどういう人だろうって思いをめぐらせてみた。それはきっと身近な人なんだろうなぁ、と。近所のおじいちゃんだったり知り合いの漁師さんだったり。何だかその気持ち、とっても分かるなぁ…と。
この一言には、彼が築いてきた唐桑の人との絆、物語が詰まっている気がした。

彼はいま、まるオフィスというものを立ち上げて移住支援や唐桑の教育、育成をやっています。よかったらチェックしてみてください。

たくまも、ありがとう。

(奥さんのみほと一緒に!)

***

気仙沼ニッティングにも行った。

海が見えるところにあって、やさしい光が差し込むお店。
あの素敵なニットたちはこういうところで編まれているのかって知ることができて、ただ、ただよかった。

お店にもニットにも漂うあたたかい雰囲気、その理由が少しだけわかったような気がした。

***

気仙沼。

私はこの街に1日も滞在しなかったけれど、会った人から細く、トクトクと流れる太い芯のようなものを感じた。漁船の音が鳴り響くゆったり流れる時間の中で、それぞれが、それぞれのかたちで、築きあげてきたもの。それが暮らす支えとなって1人1人の中にしっかりと根をはっている。東北魂ってこういうことなのかもなぁって、勝手に感じ取ってみた。

気仙沼は奈良からも4時間ちょっとで行ける。案外そんなに遠くないじゃんってことがわかったのも良かった。
きれいな海を見に、おいしい魚を食べに、人に会いに、またいこうっと。

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