見出し画像

大自然に恥じない生き方を。原始林に入って考えたこと。

今日は春日大社の原始林へ行ってみた。

画像1


春日大社の遊歩道から入って、若草山へ。約4時間かけて歩いたり走ったりしたから少しヘトヘト。
でもなんだかこの原始林に入って、手付かずに近い自然をずっと見ていたら気持ちがスッキリしてきた。小さなもやもやが、大きな自然に包み込まれてさぁっと流れてしまうような感覚で。

画像2


休日だったのに人はまばらで、ほぼ一人で歩いた。ザッザッと自分の足音が山のなかで響きわたる。

画像3


鳥の声が、してきた。
どこからしているのか、なんどもキョロキョロしたけれど鳥は見つからなかった。最初は聞き慣れた「ピヨピヨ」だったのに、だんだんと色々な種類の鳥たちが混じり合ってきて、「キーッ」と細い糸でぴーんと張ったような繊細な鳴き声の鳥もいた。木の上でなにか会話しあっているようで、虫の声も参加してきて、いのちが呼応しあっているのを感じた。

画像4


上の方へ行くと川のせせらぎも聞こえてきた。
こんなところに川があるの?と思いながら下を見て高所恐怖症の私は少しビビった。おだやかにゆっくり流れる川の音が心地よく身体に響いた。

画像5


鳥や虫が枝の上に乗ったからか、それとも風のせいなのか、ときおり落ち葉がハラハラと落ちてきた。なんどもキャッチしようとしてうまくできなかったのが悔しい。色んな葉っぱが落ちゆくのを見ながら「風情」ってこういうときに使いたい言葉だなと思った。

画像6


たまに光が入ってきて、紅葉がライトアップされたように照らし出されていた。満開じゃなくても、こうやって緑の中に突然違う色が混じり合っている方が好きだなぁ。舞台のスポットライトみたいだ。

画像7


横たわった大木に、苔が生えていた。倒れてしまった木はかわいそうだけど、神秘的だなと思った。

画像8


見上げると、木が覆いかぶさってきていて。
まるで「いらっしゃい」とでも挨拶をしてくれているようだった。何度も上を見て色んな木に心の中で「お邪魔しています」と返した。

画像9


滝を、座りながらしばらくずっと見ていた。
ザーッと流れる音。上から下までじっくり眺めていると吸い込まれそうな迫力で全身でそのマイナスイオンを浴びていたら最近の小さな苦しみが一緒に流れていってしまった。

画像10


東京に住んでいたときはなかなかここまでの自然に触れ合えなかった。
ヨイショ!と少し気合を入れて遠出をする必要があったし、なにより魅力的なお店やイベントがたくさんあったので刺激を求めてそっちに惹かれて、自然と触れ合おうとすらしていなかった。今、奈良に住み始めて、家から少し歩いたところにこういう自然がある。ここにいると、なにか大きなものに包まれていることを感じる。私は私であるけれど、自然の中の一部で生かされているんだなぁ、と。過去の人たちが歩いてきた道、悟った場所、願いを込めたお地蔵さんや石碑。そういうものを見ていると、日々私が向き合っていることは実はほんの小さなことで、本当に大切なことはもっともっと高いところにある。そう思わせてくれたようだった。

画像11


そうそう。歩いていたらこんな看板を見つけた。

画像12

豊かな森林に恵まれた我が国では、古来より森林や木材と深く関わりながら人々の生活が営まれ、「木の文化」が築かれてきました。国宝や重要文化財に指定されている神社、仏閣、城郭などの約9割が木材で建てられており、その美しい姿は現在まで受け継がれています。

奈良にある歴史的な建造物も、この自然から恩恵を受けているんだなぁと。



この大自然に恥じないよう、今日からまたしっかり深呼吸して暮らしていこう。そう決意しながら帰ってきたらいつもより背筋がピンと伸びていた。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?