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悔しさの糸をたぐり寄せて。

私は、「伝統工芸好きライター」を名乗っているけれど、伝統工芸について実はそんなに詳しくない。伝統工芸にはどんな種類のものがあって、どんな歴史をたどってきたのか。うつわだったら、何焼きにどんな特徴があるのか… お恥ずかしい話、実はそんなに詳しくない。
それは、伝統工芸そのものに興味があるというよりも、私はそれをつくった「人」に興味があるからだと思う。

なぜ、「人」なのか。

今まであんまり深く考えたことはなかったけれど、今回クレイジータンクから「蓋をした想い」のテーマをいただいて、改めて考えてみたらぼんやりと「お父さん」が思い浮かんだ。私が人に興味があるのは、きっとお父さんのせいだ。そうしてさらに自分の心の中をたどっていったら、お父さんと私の、幼い頃の記憶が蘇ってきた。そのとき、あたたかいものが込み上げてきて自分の気持ちがさらに揺るぎないものになった。だから、今日は初めてお父さんをテーマに未来の自分へ向けて書いてみたいと思う。

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私のお父さんは小さな町工場の「職人」であり、社長だった。
車を修理する仕事で、13歳の頃から1人で始めた会社は、最終的には従業員を数人抱える中小企業になっていた。

職人となると、寡黙で淡々と仕事をするイメージがあるけれど私のお父さんは正反対。ずっとニコニコしていてお喋りが大好き。「まっちゃん!」「いさおちゃん!」とみんなから呼ばれていて、いつも工場には地元の色んな人が出入りしていた。※名前が「松下勲男(まつしたいさお)」といいます。
車を修理してほしい人も、ふらりと来た人も、たくさんの人が来てお喋りを楽しんでいた。幼い頃から工場に入り浸っていた私は、毎日が親戚の集まりのようで楽しげな大人たちが出入りする様子を見るのがうれしくてたまらなかった。

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お父さんの会社は創業50年のタイミングで畳むことになった。

工場を畳んだ理由は色々あって、ひとことで括ると「時代の流れ」だ。車の性能がよくなった、若者の車離れ、大企業にお客さんが流れた…理由は色々あった。
私は、お父さんから廃業を告げられた日のことをよく覚えている。お父さんは「もう決めたことだから」と前置きをし、こうなった経緯を私に細かく説明した。淡々とひと通り話したあとに、少し間を置いて小さな声で「悔しい…」と漏らした。そのとき発した声は、かすれて震えていた。

私はその悔しさについて考えた。もっとホームページをちゃんとつくればよかったのだろうか、SNSで積極的に発信すればよかったのだろうか、他の事業をやったほうがよかったのだろうか…でもそれをしてもきっと、時代の流れには逆らえなかったのだろう。では、どうすればよかったんだろう?よくわからない、というか、私はお父さんが何に「悔しい」思いをしているのかわからない。そんなことがしばらく私の頭の中をぐるぐると回った。

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それから数年経って、私の中に大きな変化が訪れた。ふらりと入ったお店に並ぶ、誰かがつくった「もの」に、強く反応するようになったのだ。
手に取ったときにそれをつくった人の顔が思い浮かんで、その人がもつ価値観や歩んできた道を知りたいと思うようになった。それは、ものを触ったときにつくり手への道のようなものが、頭の裏側でワァッと広がるような感覚。
最近気づいた。私は「もの」を通してそこにいる「人」の存在を見ようとしているということに。それは目で確認できないものだけど、そこには確かに人の気配がある。つくった人の思いや歴史が1つのものとなって染み出ていて、雰囲気を形づくっている。
そして実際に使い始めてみると、つくり手とのつながりを間接的に感じる。良いものにはつくり手のやさしさがいたるところにほどこされていて、例えばうつわだったら食べ物と一緒においしさとなって全身にしみわたる。

今考えるとそれは、お父さんの背中から教わったことだった。
工場にたくさんの人が出入りしていた記憶、楽し気な人が集まったときの空気。廃業が分かったとき、地元の人からたくさん電話やメールがあったし、家まで駆けつけてくれた。あれは確実に、提供しているサービスだけで繋がった関係性ではなかったのだと思う。

そんな姿を見ていたからこそ、今私はお父さんが放った「悔しい」についてもう一度考えたい。廃業のとき多くを語らなかったけれどきっと1人1人に伝えたい気持ちがたくさんあったのだろう。もっとできることがたくさんあったのだろう。それが何も発信できないままひっそりと終わってしまうのなんて、悔しいしもったいないじゃないか。
だからこそ私は「伝統工芸好きライター」として、色んな人の『蓋をした想い』を伝えていきたい。それは、お父さんから受け取った悔しさのバトンをつないでいくような使命感と、その悔しさの意味を知りたくて糸をたぐり寄せていくような冒険心が入り混じったような思いだ。
そして、私がこれから伝えていきたいことは、きっとこれからの社会に必要なことだと信じている。

インタビューもライター経験もないままに走り出した「伝統工芸好きライター」。自分が一体どんなところに着地するかは分からないけれど…見ててね!お父さん。悔しい思い出は未来の希望に変わるように、一緒につないでいこう。

※これは、クレイジータンクのコンペに応募したnoteです。


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