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はじまりのおと

絵画の見方って難しい。そこに飾ってある絵画と、どう向き合うか。その距離感って人によって違っていて、よく分からなくて流し見してしまうこともあれば、立ち止まって見入ってしまうこともある。なぜ?と聞かれても、うまく説明できないことが多いけれど、何とかそこに描かれているそのものやキャプションから自分なりに意味をキャッチしたいという前のめりな気持ちが、いつもある。

来月、友だちが個展をやる。

その友だちは「potoli_to_putoli」というユニットを組んでいて、東京で絵を描いている。ほぼ日のたのしみ展アルバイトで知り合った子で、「はじまりのおと」というテーマで個展をやるそうだ。

私はこのDMに描かれている絵を見たとき反射的に、いいなぁと思った。こう言ってしまうと語弊があるかもだけど、完成しきれていない雰囲気を感じ取れるところがいいなと思ったのだ。

私はこの子に、2回だけ会った。でもそのときはたくさんの人がいる中での関係性だったので、じっくり話はしたことないんだけど、たたずまいから繊細な純粋性を感じた。ポツポツと話す言葉からは人を傷つけないような小さな配慮が感じられたし、一つひとつをちゃんと丁寧に選んでいる印象があった。私はわりと対照的な性格だからこそ、際立ってそう見えたのかもだけど、きっとそういう人柄なんだろうと思う。

そして、この絵が出てきたときに「あぁやっぱり」と思った。こんな色づかい、表現、私には絶対に描けないもの。その想像力の奥深さに感心したのと同時に、きっと、これを描きながら彼女は少しだけもがいてるのかもしれないと思った。この個展へ向けて脱皮したいという、しなやかな志。この個展は、彼女にとってはなにか大きなきっかけになるかもしれないしチャンスをつかみ取りたい。だからこそ、彼女に小さく積み重なったプレッシャーも、私はこの絵からしっとりと感じて一緒に手汗をかくような感覚になった。

今回の個展について、LINEでやり取りしたときに彼女はこんなことを言っていた。

絵は全く自由に。描いて破って描いて破って。
暗い部屋にいたら右の方からなんか音が聴こえた。で、耳に手を当てて音のする方に行ったら木の扉にぶつかった。冷たいノブをまわして扉を開けたら私の水彩の世界が広がってた。

この話を聞いたときに、個展をやるってことはやっぱり相当にたいへんなことなんだろうと思った。自分を深く掘った底が穴ぼこだらけになってしまっても、掘り続けようとしなければいけないだろうし、そうすることで見えてくるものがぼんやりとかたちになって、物理的に見えるかたちにしていくのかなと想像してみた。そう考えると、絵は言葉とはまた違って、その人の深い精神性みたいなところを覗ける貴重な機会なのかも、とひそかに感動したのです。

だから、このお知らせをもらったときにちゃんと私が感じ取ったことをnoteに書いて伝えてみたいなと思った。それは本人に対してもそうだし、このnoteを読んでくれた人のだれかにも届いてほしいなとおこがましいながらもそう思って。さらに言うと、私はこの個展にいけないから(本当にごめんなさい!)時間あって気になる人は私のかわりにぜひ行ってほしいという気持ちも込めました。

あ、そうそう。
もっと大事なことは私は奈良に来る前に彼女にこんな絵を描いてもらったんです。

ここに描いてあるものは全部、私の「好きなもの」。豆大福、うつわ、花、イベントの思い出、それをぜんぶこの絵のなかに詰め込んでくれた。
これを描いているときの気持ちを考えてみたらたまらなくありがたくて、背筋がピンと伸びる気持ちになる。雑に生きることはできないよなぁって。私も一つひとつのことに心を込めて暮らしていきたい、この絵を見るたびに原点に立ち返るようなそんな気持ちになるのです。

前にnoteで書いたこの絵画が「理想の自分」だとしたら、

彼女が描いてくれた絵は「等身大の自分」であり、ずっと忘れたくない自分だよなって絵を見るたびに思いださせてくれる。ありがとう。

さて、来月の「はじまりのおと」はどんなおとになるのかな。楽しみです。

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はじまりのおと
2020年1月11日(土)~2月1日(土)
@Vieill (ヴィエイユ)
https://bakerycafegallery.wixsite.com/vieill

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