ひょっとこフェス_191024_0204

「楽しむプロ」だっていいじゃないか。ひょっとこフェスの話。

夏に、鈴木心&いなわしろ写真館主催の「ひょっとこフェス」に参加した。場所は福島県猪苗代湖にある、赤い家。

ここはいなわしろ写真館の拠点になっているところで木造でできた雰囲気のある素敵な建物。
(このnoteに、赤い家の写真がたくさんのっているので良かったらみてみてください。↓)

2日間を通して楽しんだこのイベントでは、たくさんの『はじめて』があった。30年間ちょっと生きてきてまだまだ世の中には知らない、おもしろいことがたくさんあるんだなぁと、帰ってきた直後はこの気持ちをうまく消化できなくて、ほかほか気分を抱えながらすぐに日常生活に戻っちゃったんだけど、すこし時間が経ってあのときの気持ちを今このタイミングで言葉に書き留めておきたいなと思ったので長いけど良かったら読んでみてください。

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ひょっとこフェスへ行ってまず、はじめての経験は「色々な道具をつかって自分でコーヒーを淹れること」だった。

豆の産地から、焙煎度合い、挽き方、淹れ方、道具...
色んな要素が重なってコーヒーは1つの味になっているんだということを、コーヒーに詳しい鈴木心さんや愛知で「十二カ月」というお店をやっているマスターがじっくり丁寧に説明してくれた。


恥ずかしいことに私はコーヒーのことを全く知らない。日頃コーヒーって家でインスタントで飲んだり、チェーン店で飲んじゃうことが多いからなんだろうけど、色んな人が淹れたコーヒーを飲み比べると、おいしい・苦い・うすい・酸っぱい...味が色々あってそれぞれが全然違うのにびっくりした。
極端に言えば「まったく同じ味って存在しないんだ」、と。

そして、わたしが陶器で淹れたコーヒーはあんまりおいしくなかった。豆が荒すぎてうっすい。まだちゃんと定まっていない自分のそれを飲んだときにこの世界の奥深さを改めて実感した。

銅をたたいて平杯をつくる金工(きんこう)にもはじめて挑戦。カンカンカンカン...ひたすらに、ただひたすらにずっとたたいた。

最初はひらったくてふにゃふにゃしている銅の平杯が、

たたいていくうちに小さな斑点がついてどんどん固く・厚くなり、ゆるやかなカーブを描いていく。


「鍛金(たんきん)」って言葉があるように、これはたたいて鍛えて強くする技法だ。なかなか定位置に定まらない平杯と格闘しながら、「これは銅の素材を理解しつくした、すごい工芸だなぁ」と感心しながらカンカンやり続けた。

今まで金工でできたうつわはよく百貨店で見かけていたけど値段をみていつも、高いな...と思っていた。それがこうやって実際に体験してみると、手間ひまがどれだけかかっているかその値段の理由が分かったし、自分でつくったものだからこそ気持ちがこもって、長く大切にしたいと思えるようになった。同じ「知る」でも、実際に体験してから知るってとても大事なことなんだ。

そのほか、からむしを編んだうえに漆を塗ってアクセサリーをつくったり、


夜はキャンプファイヤーを囲みながら福島の伝統工芸、ひょっとこのお面をかぶって狂った様に踊りまくった。

ひょっとこ踊り歴50年以上の橋本さんの踊りが幻想的でみとれてしまった。



「悩んでることもお面かぶって踊って1度からっぽにしろ。そしたらまた新しいことが入ってくる」

この言葉を聞いて、口では笑ってお面の裏では泣いた。

無心になって踊りながら、ひょっとこはなんだかピエロみたいだなと思った。
表では楽しそうにしているけど、本当はその楽しみの裏にはかなしみが混ざっていてそれを振り払うかのように楽しく振舞う。ひょっとこ踊りは、人間そのものをかたちづくっているようだと深く感動して心が震えた夜になった。


早起きして野菜も収穫した。

トマトってこんなに赤いんだ、こうやって生えているんだ、とか、

こんなオクラがあるのか、とか

生の野菜ってこんなに甘いんだ、とか

普段、スーパーで買うものとは違う「自然のかたち、あじ」をそのままに。人がつくったものだけど、自分で選んで収穫した野菜たちはやっぱり格別のおいしさで細胞が喜んでいるのがわかった。食べるものって大事だなと改めて気づかせてもらった。

自然いっぱいの環境で、

おいしいものもたくさん食べて、


たくさんのはじめましての人に出会った。

これってなにごとにも代えがたい経験。こういうことがあるから、また明日も頑張れるなって力もらえたし、色んな娯楽があふれている中でやっぱり人との出会いや関わりって貴重だなと思った。新しい人との出会いは自分への気づきをもらえるし、世界が広がる感覚があって、やっぱり人は人がいないと生きていけない、いるからこそ成長できるんだと思った。


さいごに紹介したいのが、今回ひょっとこフェスへ一緒に行ったお友だちのこうさんと千春さん。

柔らかな雰囲気で一緒にいるとたのしくて、大好きな2人だ。
こうさんと千春さんと帰りの車中でこんな話になった。

「僕たちにはなにもなかったよね」

これってどういうことかと言うと、今回ひょっとこフェスには写真家、農家、金工、漆作家、コーヒーのマスター...色んな分野のプロフェッショナルが来ていたわけで。そんな中で、ただ私たち3人は参加するだけでなにもなくて、それが際立っちゃったしちょっとしたジレンマを感じたよね、というそんな話。それを聞いて、私は反射的に違う!と思った。違う違う、そんなことはなくって私たちはあの中でダントツに『楽しむプロだったよね』、と。

私たち3人は、2日間全力で楽しんだ。

主催者の人をはじめ、色んな人から「めちゃくちゃ楽しそうにしているよね」と言われた。全力で楽しむこと、これって立派なプロとしての才能だろうと思う。どんな優れた技術よりも、楽しく・健康的に生きていくために大切なことなんじゃないかって。

人ってどうしても、人と比べてしまう。「隣の芝生は青い」という言葉があるけれど本当にそうで、何か特別な技術をもっている人に憧れて、ふと自分の足元を見ると「何もないな...」と思ってしまいがちだし、私もずっとそうジレンマを抱えて生きてきた。でも、どんなことでも興味を持って楽しめることってクセがついていないとなかなか簡単にできることではないし、この楽しみって絶対的に周りに伝播する。楽しい雰囲気が溢れていたら周りも自然と良い空気になって笑いに包まれる。これって立派な才能なんだ、と私は思う。細かな技術はあとからでもいつでもついてくる、大事なことはベースに楽しめる気持ちがあるかどうかー

帰り道、車中で話したことは私にとってもずっと教訓にしていきたいことだったから強烈に記憶に残った。

こうやって振り返ってみると、色んな気づきをもらったひょっとこフェス。
来年も参加できるといいなぁ。

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