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学校は子どもの可能性を狭める

このテーマを嘘だと思いたいですが、
いま1人の教員として本当に伝えたいことです。

公立小学校に勤務して7年目。新卒採用で今年度2つ目の学校に赴任しました。
7年のうち6年生を3回担任し、小学校教育の一つのゴールである卒業を見届けながら、自分なりに小学校教育の意義・課題について考えてきました。
そして、多くの課題を払拭するぐらいの素晴らしい環境、実践にもたくさん出会いました。

私は高校生のときに
『子どもの可能性を広げるための教育をする』
と夢を語りました。その思いは今も変わりません。そして、その最短ルートが先生であると思い就職し、今日も子どもたちと向き合っています。

しかし、実情は全くそうではないのです。
先ほども書いた通り素晴らしい環境、実践はありますが、それは一部の話です。
平凡な教員として1年目から感じていることは、学校教育は日々、子どもたちの可能性を奪っているのではないかということです。

私は子どもの可能性を狭めるための場所に出勤しているのではないか、今でもそう感じてしまう日々があります。
特に1年目は不慣れで多忙な仕事に追われ、思い通りに動いてくれない子どものことを叱責してしまう、自己嫌悪の毎日でした。1年目だから、仕方ないと自分のことなら励ましてやれますが、子どもには大切な1年。申し訳ない気持ちでいっぱいです。
いまの現場は、日常的に子どもに対する罵詈雑言が響き渡るような場所です。すごく胸が痛みます。

『学校は子どもの可能性を狭める場所』

だということは、実は多くの大人にとって周知の事実なのです。でも、大人は声を揃えて学校へ行くことは大切だ。いつかわかると言うのです。先生は、そんな現実に目を背けられるようになり、子どもを預かる自分の使命を全うするのです。

実際、今も多くの子どもが可能性を失っています。学力格差により劣等感を身につけ、学校のエゴにより統率され、自分で考えることをやめていきます。学校という特殊な社会で生きるための術を身につけていくのです。


これは学校批判ではありません。
学校はそうしておかなければ、あの多様な子どもたちを安全に預かることができない現状なのです。学校には個を個のままに受け入れる仕組みや人材、環境、マインドが整っていないのです。一人一人の子どものために、個性を活かす、そう標語を立てますが実践は正直不可能に近いことは教師が1番感じているはずです。個を尊重すれば、子どもの勢いで教師は飲み込まれ、システムが維持できなくなるのが怖いのです。つまり、子どもは大人がわかっている通り、大人を越える優秀な人材なのです。

そんな私も子どもたちの可能性を狭めていないか、広げることはできているか、日々自問自答です。

そんな中での一つの実践が『出会いをコーディネートする』ことです。
たくさんの大人を学校へ呼び、仕事や未来、自分の考えについて語ってもらいました。現在は、たくさんの大人のトーク動画を撮り、子どもたちと共有することも企画・準備中です。自分なりの実験です。それが、子どもにどんな影響を与え、どんな意味があるのか。私が必要だと感じていることが本当に必要か、答えは全く出ていません。
しかし、わかっていることは子どもにとって出会いは、『自分の中のふつうを崩し、自分はどうしたいか考え直し、未来へ歩みを進める』貴重な経験であるということです。そして、その出会いをコーディネートする。それが、これからの教育の大切な役割だと考えています。1人の教師が歩んできた人生なんて、子どもに何の役にも立ちません。1人の教師が知っている社会なんて、これからの時代を生きていく子どもたちの何の役にも立ちません。
これからの予測困難な時代を生きる子どもたちは多様な出会いを通じて、多様な価値観を知り、自分はどう歩みたいかを考えることが必要なのです。

先生は話が長いです。申し訳ありません。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
もう少しお付き合いください。

この実践に込めた思いを1人の教師として近くの同僚と共有できるかといえば、正直難しいです。すごいね、確かにね、理想的、そんな言葉が大半です。
もちろん、理解してくれる方もいます。しかし、ほとんどが一般企業で働く方々です。

目の前の30人ないし、学年90人に私なりの実践を積み上げ、それを何十年も、形を模索しながら続けてあくことが私の夢の実現への道か。
それとも、他の道があるのか。
正直言うと、迷っています。

幼児教育、スポーツ指導、地域コミュニティ作りなど、どこにもその道はあると思っています。小学校教員でも同様です。実践している方々もたくさんいらっしゃいます。

近頃大切なのは、その思いを共有し、発信する濃度をどこまで上げられるかなのではないかと思うようになりました。より多くに届けることと同様かそれ以上に、それを発信する側の大人の思いの濃度をあげる。そうすれば、よりその行動は価値を持つのではないかと考えています。  

子どもの統制を基礎とした場所で、私の思いを伝え、実践を広めることはねじれを生みます。


偉そうにつらつらと書き綴りましたが。
正直、何もできない、ただの若手教員です。

しかし、子どもが自分の力を信じ、生きていることが幸せだと胸を張って言えるようになれば、日本がもう少し明るい国になると思っています。

1人でも多くの子どもが自殺しなくていい国になると思います。
目の輝きを失った大人が減り、子どもに幸せが伝播していくと思います。

そのために、共に歩む仲間がいてくれれば、私はとことん力になりたいと思います。

ここで発信することが、何か新たな出会いを生んでくれると信じ、発信します。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

#いま私にできること

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