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遊郭で高人さんを見つけました。3

夜中にハタと目が覚める。
「しまった…ッ」
客の前で酔っ払ったあげくに寝こけてしまうなんて!

ふと自分の姿を見ると装飾品や重い着物までしっかり脱がされ、長襦袢のみの姿になっていた。髪も解かされている。隣には寝息を立てる東谷が俺に腕枕をしてくれていた。
身体に違和感もない。
「本当に何もしなかったのか。…まぁ、男だしな」
納得したようにまた寝ようとすると、

「…男とか女とか俺は関係ありませんよ。」
いつの間に起きたのか、東谷がこちらを見ていた。
「手を出さないという約束ですから。」
そう言うと頬を撫でて軽く額に口付けをしてくる。
本当に触れるだけの優しい口付けだ。
だが瞳は真剣に、オレの目を真っ直ぐに見つめてくる。翡翠のような若草色の瞳はとても綺麗だが、少し怖かった。

「…これは手を出したうちに入らないのか?」
「見世を楽しめと言ったのは貴方ですよ?」
「…」
確かに言った。俺が口籠もると東谷はクスリと笑い、ぎゅっと抱きしめられた。
「おやすみなさい。」
そう言うと、また小さく寝息をたてて東谷は寝てしまった。

「…へんなやつ」
感じた事の無い穏やかな温もりに擦り寄り、俺もまた心地よく眠ることができた。

朝、陽が高くなった頃に起きると、東谷の姿は無かった。
昨晩飲み過ぎたせいでガンガンと頭が鳴っている。
「なんだよ…起こせばいいのに…ほんと変な奴だな。」
東谷が寝ていた場所はヒヤリとしており、日が昇らない内に出たのだなと思った。
ほんの少し、寂しくなる。腕の温もりは心地良かったから。

「ぁったた…。とりあえず水…」
ゆっくり起き上がると、誰かが部屋に入ってきて、水の入った湯呑みを渡してくれる。
「千早か?…すまん、ありが……と?」
ちらりと見ると、
「おはようございます♡」
「うわぁッ⁈」
びっくりして飛び上がりそうになる。

目の前には布団の横でニコニコと笑いながら正座して座る東谷の姿があった。
「な、なんで…帰ったんじゃ…」
「ええ、少し仕事をしてきました。あと昨晩の支払いや貴方の揚げ代も支払ってきましたよ。」
あんだけ呑んで、何食わぬ顔で微笑んでいる。とんだ酒豪である。貰った水を飲みながら苦笑する。
「昼間にお客さんは出入りできないのに、どうしてまた?」
「ああ、それはですね、」
東谷が何か言おうとした時、襖が開いた。

「夜霧、入るわよ。」
「絹江さん。おはよう…ございます。どうしたのです?」
楼主の絹江が真剣な面持ちで入って来る。
何事だろうか。笑顔ではない絹江さんは本当に珍しい。

「あなたに身請けの話が出ているわ。」
「…へ?」
身請けって…。
「お、俺ですか?」
絹江がため息混じりにちらりと東谷准太を見る。
それに気づいて内心慌てる。

へ、昨日会ったばっかだろ。

「東谷様はお前を身請けしたいそうよ。言い値を払うと仰っているわ。」
絹江はどことなく不機嫌だ。
「俺と来ませんか?不自由はさせませんよ。」
にこりと笑いながら手を差し伸べてくる。 

なんで身請け?俺みたいな年増より若い子にしろよ…。絹江をちらりと見る。断っても差し支えないかを確認したかった。絹江は一度瞬きをする。この人はわかっている。
大方、一度は断ったが引き下がらないのでこちらに連れて来たのだ。

ゆっくりと布団から出て、正座をし、深々と座礼をする。
「東谷さま、私の様な者をお選び頂き大変嬉しゅうございます。が…私は貴方の元へは行けません。申し訳ございません。」

東谷はふっと笑い、手を引いた。分かっていたようだ。

「そうですか。では、貴方に通う事を許して頂きたい。」

オレは困ったように絹江を見上げる。…断りたい…。
もう26歳だ、お客の夜の相手など24歳頃から殆どしていない。裏方で子供達を支えていきたいのだ。

東谷がちらりと絹江を見る。どうやら俺より絹江さんと交渉する方が確実と判断したようだ。

「では楼主様にご提案です。うちは貿易商を生業としております。そこで、うちで取り扱っている品々を仲介を通さずこちらに格安で卸しましょう。胡椒や砂糖、小麦粉から、装飾品や陶磁器など、取り扱う物は書面にてお渡しします。値段交渉も承ります。取り扱いの無い品もご相談頂ければ出来る限りウチが取り寄せましょう。ウチが遊郭地区で取引をするのはこちらの、花房屋のみ。ただし、俺が夜霧さんと関わる事が条件です。」

どうですか?と東谷がニコニコと笑いながら絹江に持ちかけた。
絹江は笑顔を崩さないが、内心では憤っていた。

それは、東屋が花房屋の傘下に入るのと同義だった。
夜霧を足枷にして自分を利用すれば有益だぞと、東谷はそう言っているのだ。ウチの高人を物のように考えている。そうかそうか、そういう考えであるならば高人は嫁に出さないし、お前は私の奴隷だ。

ふふふと、絹江が笑う。感情を一切見せない笑顔だ。
この笑顔が1番恐いのだ。おれはヒッと声が出てしまいそうになる。
「…夜霧、東谷様のお相手をくれぐれも頼んだわよ。」
「ちょ…絹江さん!まっ―…」
「お話が分かる方で助かります。では契約は成立とい事で?」
俺の声を阻むように声を発すると、ニコニコと笑いながら絹江に握手を持ちかける東谷。
「後日書面で内容をお願い致しますわ。そこまでのご提案をして頂いて、こちらが断るのも失礼というものです。」
絹江はほほほと笑い、東谷と契約成立の握手をした。

「ただこちらも、条件がございますわ。」
「なんでしょう?」
「夜霧の身請けは承諾しかねます。夜霧自身の選択でもあります。ご了承頂けますか?」
東谷の笑顔にほんの少し陰が差す。絹江さんは真っ黒笑顔だ。お前の足枷の先を握るのは私だと。その笑顔が語っていた。
絹江の話など意に介さないという様に東谷はニコリと笑う。
「つまり、夜霧さんが行くと言えば良いのですね?」
「…この子は手強いですよ?」
絹江さんはふふふふ。と笑いながら、ちらりと俺を見ている。恐い顔で。…こんな奴に絶対靡くなと…目が言ってる。こわい…。

「望むところです。」
二人でふふふと、笑ってはいるが、背後に虎と龍が対立している姿が見えた。

勘弁してくれよ。俺は完全な板挟みになってしまった。

その後東谷は、また来ますね。と言い見世を後にした。絹江さんは絶対内心は怒っていたと思うが、笑顔で、お邪魔したわね。と部屋を出て行った。

「はぁ――――――――――。」
とりあえず風呂に入ろう。今夜も見世に出なければ。

湯船は熱くて気持ちいい。疲労が溶け落ちていくようだ。

俺は男なので、ゆっくり一人で入れる事が多い。たまに、奉公に出された3歳くらいの小さな子を風呂に入れたりする事もある。子供は大好きだ。だから来年の舞踊や座学の先生としての職はとても楽しみにしていた。
そんな中での身請けの話…。冗談ではない。
「今日は来るのかな…」
あの東谷の真っ直ぐな目は少しこわい。
「来るなら…準備しとかないと…。」
陰間は遊女と違い、床に入るなら準備がいる。
「はぁ――。」
やだな。やっと解放されると思ったのに。
湯船に口まで浸かり、ぶくぶくする。仕事だからな。仕方ない。交わりは怖い。昔からそう好きではない。でも仕事だから。ぐるぐると思考が回る。

「大人だろーが!俺!シャキッとしろ!こんなんで先生なんてできないぞ!」
頬をパンと叩く。遊郭で働いているのだ。当然だ。
誇りを持って俺の仕事をするまでだ。

意を決して、高人は湯船から立ち上がったのだった。

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