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wantとmustの教育について

2021年。気が付けば2020年にスタートしたコロナ禍の状況から1年も経つことになる。そしていまだ終息の糸口が完全には見えていないなか、2020年度が終わり、2021年度がスタートすることになる。

この間、緊急事態宣言による休校やイベントの自粛で、子ども達の生活は一変した。毎日当たり前に行なっていた学校に行くこと、友達と遊ぶこと、部活動をすることなどが、一気にできない環境に身を置くことになった。

それによる変化でよいものもないわけではなかった。
オンラインの普及が不可欠となり、教育機関のオンライン化が進むことにはなった。
学校や塾に行けなくとも、オンライン上で授業を受けたりできるようになった。
これはコロナ禍での数少ない良い変化のひとつだと思う。

私も学習塾講師をしていたので、このコロナ禍休校期間は、パワーポイントで授業の準備をして、それを教材にして慣れないzoomを使いながら授業を行なったりしていた。
その忙しさや慣れない環境に身を置き、馴染むことに精一杯であったが、あるときハッと思うことがあった。

それは、自分が行なっているその教育そのものについてだった。

気が付けばこの休校時期、教育に関する世の中の人達の危機感で大部分を占めていたのは、『学習進度の遅れ』に対するものばかりであったと、振り返ってみて思う。
もちろん学校にいけない、塾に通えないとなるのだから、例年通りカリキュラムが消化できないわけで、それが不安になるのは間違いない。ここは全く否定しない。現に今年度の入試問題に関しては、出題範囲を変更するなど、例年にない形での実施にさえなった。
でも、そういう通常の教育ができないことは、視点をずらせば『普段ではできない教育ができる』ということにもなるわけで、そこに対する視点が自分のなかで不足していたように思ったのだ。

もちろん職業が学習塾講師であるので、自分の仕事のメインは学習を教えることである。でも、こういった時期には、そんな学習塾講師でさえ、何か違う教育を行なえるチャンスでもあったと思うのだ。

タイトルにも書いたとおり、私は教育にはwantとmustの二つの教育があると思う。
wantの教育とは、『将来〇〇になりたいから〇〇に進みたい』とか『〇〇という職業につきたいから〇〇を頑張りたい』とか『〇〇を叶えるために、〇〇を手に入れたい』などなど、未来の自分のありたい姿を知り、そのために今するべきことをしよう、と伝えていく教育を指す。これに対しmustの教育とは、いわゆる教科教育に代表される、『知ったり覚えたり身につけたりしなければならない教育』を指す。

コロナ禍で人々の不安感が集中したのは、後者のmustの教育の不足についてであったように思う。逆にwantの教育の不足については、ほとんど言及されることはなかった。もちろん一部には自分の言うwantの教育を軸にコロナ禍を乗り切ろうと考えている教育関係者もいた。

https://lovetech-media.com/eventreport/onlinehogosha20200531/

でもやはり一般的(というか大多数)な教育関係者はこうではなかったし、今もこうではないように思う。

日本の子ども達の自己肯定感が低かったり、将来に対して建設的に考えて学習をするというような形になりにくいのは、こういったところが問題なんだろうと思う。

だからせめて、自分の二人の息子には、wantの教育を伝えたいと思う。
wantのためのmustであるような教育を伝えたいと思う。

effectiveに楽しく子育てというブログやってます。

https://e-child-raising.com/

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