乳がんになったときの記録

 家の近くにある小さな市民農園の畑を借りていて、それはちょうど春先で、お義父さんと一緒にジャガイモの種芋を畑に植えている作業日だった。

 ジャガイモを半分にカットした種芋の切断面に石灰を塗りつけて、腐りにくくするためなのかな?という程度の知識で、畑に一直線に掘った溝に等間隔に並べてまた土を被せる。毎回農家さんのご教授通りに作業を進めていく。
5坪程度の小さな区画が20区画あり、その一つを一年契約で借りていて、小さな区画の中に10種類程の作物を育てている。それも農家さんの作った作付計画通りに、農家さんが準備してくれた苗や種、肥料を言われた通りの分量で撒く。
天候によるダメージ以外の失敗がほぼなくて、一緒に作業している義父との2家庭では食べきれないくらいの量の農産物が実る。余りそうになるとご近所の友人たちに配り歩く。非常にありがたい、至れり尽くせりなシステムの家庭菜園である。

 その畑作業の最中に、畑の隣の空き地に、『◯◯ホーム』と書かれた赤い登り旗が何本かはためいているのを見つけた。またこの辺りの大きな地主さんの土地が切り売りされてるんかなあ?と思った。
畑作業が終わったらちょこっと見に行ってみようかな?

 ちょうどその時、私は1回目の乳がんの摘出手術が終わった後だった。
近年の手術の技術が優れているのか、術後1週間ほど入院して、退院後2週間くらい経った頃で、ちょっと疲れやすいかな、と思うくらいで手術の痛みなどもほぼ無く体調も悪くなかった。
ただ気になっていたのが、手術と同時に受けた乳房再建のインプラント。
定着するまではズレたりするといけないので、腕を肩よりも上に上げないようにと言われていて、極力腕を大きく動かさないように注意して過ごしていた。

私の乳がんはステージ1だった。乳腺に癌があったらしいが発見したときは早期発見でステージ0でしょう、と医師に言われていた。手術のときに若干の乳腺からの浸潤があって術後の判定ではステージ1になった。
ステージ0であったにも関わらず、予定手術は右乳房全摘と言われた。なぜ全摘?早期発見なのに?とこれには相当な抵抗をした。セカンドオピニオンだけでは納得いかず、更には『がん放置治療のすすめ』や『がんもどき理論』などを提唱する医師のところまでセカンドオピニオン外来に出向いたりした。そこでは、あなたのがんは恐らくがんもどきなので、手術することはないよ、と言われた(ように思う)。ましてや全摘までする必要はない、と。(でも何故だか、その時言われたことが、うる覚えであまりよく覚えていない。どうやら自分の信じたいことしか耳に入らなかったのかもしれない)そして、全摘しなくても良いというメモと一緒に、川崎にある乳腺外来の病院を紹介された。そこの◯◯医師に相談すれば、あなたのやりたいような治療法の相談に乗ってくれると思う、と。

 私が確か高校生くらいの10代のころ、右胸の乳頭の右下に小さなシコリがあることに気づいた。本当に偶然に。なんかコロコロしたものがある、と思った。
その時はすぐに病院に行ったのか行かなかったのか忘れてしまったが、 その後20代になってから受けた検診で、繊維腺腫という良性の腫瘍であることが分かった。でもその良性の腫瘍はたまにキリキリと痛みが出る。繊維腺腫は乳腺を圧迫して痛みが出るものなのだと言われた。乳がんには痛みはないらしい。
その繊維腺腫が気になるせいで、毎年欠かさず検査は受けていた。激ツラのマンモグラフィーももちろん含めて。私の胸は小さい。なので、一度はマンモグラフィーを受けた事がある女性でしたらお分かりだと思うが、あの挟み込んでから撮影に入るまでの激痛に耐える時間と、必死に無いお胸のお肉をかき集めて機械に挟み込んでくれるレントゲン技師さんへの申し訳なさが合わさって、非常に辛い。きっと大きい人でも、違う辛さがあるとは思うが。小さいと苦痛は大きいように思う。本当にあの検査だけは他に方法がないのかと毎回思う。
40代後半になった頃、毎年検査していた病院で、繊維腺腫のしこりが少し大きくなっているようなので、念のためにMRIを撮りましょうと言われた。
 この時初めてMRIを受けた。私は閉所恐怖症。はじめてのMRIはこれ以上ないくらいの衝撃だった。20分程度機械の筒の中に入ってガンガン鳴り響く検査音に耐えなくてはいけない。マンモグラフィー以上の苦痛がまた一つ増えた。
初めてのMRIを受けた後フラフラしながら帰宅した時のことは今でも忘れられない。(それから何度も受けることになるんだけど)

最初の年のMRIのときには異常は無いと言われた。そしてその1年後…のはずがついつい先延ばしになり1年半後に検査に出向き、またMRIを受けることになった。
 検査は東京の西側の地元にある、ホスピスが併設された、設備の整った綺麗な病院で毎年受けていた。
検査結果の診察は、乳腺外科医でもある院長先生で、MRIも院長先生が結果説明をしてくれた。
早期発見だからね、手術すれば治るから、と。悪性だと言うことなんだけれど、直接『癌です』というお達しがあったわけではなく。実感がわかず、悪性っていうのは癌のことだよね?とおぼろげに考えていた。
初期の癌は本当に、なんの症状もない。
ただ、この2、3年は繊維腺腫のキリキリする痛みが頻繁に起きるようにはなっていた。それがサインだったのかもしれない。
私の右胸の癌は、乳管の中にはびこるものだった。乳管全体に癌が広がっていたようだ。
手術前は乳管以外への広がりや転移のない非浸潤癌であろう、という推定からステージ0と言われていた。ステージ0なのに全敵しないといけないということだった。
部分切除という方法もなくはないが、全体に広がっているため、残すことにリスクは高いとも言われた。そして、手術日をどうするか聞かれた。1〜2ヶ月以内には手術の予約を入れられると言われた。
即答ができず、ちょっと夫と話してから決めます、と返事した。

〉〉続きは、セカンドオピニオンやサードオピニオン、病院巡りした記録。

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