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資本主義の精神分析

私は社会に対する"人見知り"歴が長い。

私の中の「社会」のイメージは最初から何か「怖い」もので、これまで、できるだけそれから身を守るようにビクビクと怯えながら生きてきた。
しかし、内気さに磨きをかけ、自身の内的世界に徹底的に関わっていくと、逆に内側にこもる生き方の限界に辿りつく。
ここ最近ようやく私も、今までずっと対峙することを避けてきた圧倒的で不可解な存在であるこの自分が置かれている社会システムについて無関心ではいられない心持ちになり、たまたま見つけたこの本をまず手始めに読んでみることにした。

「続・善と悪の経済学 資本主義の精神分析」という題名のこの本は、トーマス・セドラチェクというチェコの経済学者と、オリヴィエ・タンツァーというオーストリアのジャーナリストが、フロイトやユングの心理分析を活用し経済の精神病的側面やその処方箋を明らかにしようという試みで書かれたものだそうだ。

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フロイト関連の本はまだ読んだことはないものの、ユング関連の本や、人間の精神性などに関してはもともと興味があったため、この社会システムそのものを擬人化して考えるアプローチは、私にとって最も入りやすいものだった。

この本の中では社会システムの中に見られるあらゆる人間の特性や病的側面が神話などで例えられながら象徴的に語られる。

その中でも特に最初に語られるリリスのイメージは興味深かった。
リリスは様々な神話にいろいろな形で登場するが、特にここで語られるのはユダヤ神話におけるアダムの最初の妻であったリリスである。

リリスはイブのようにアダムの肋骨から作られたのではなく、アダムと同時に同じ材料から神に作られたとされ、そのためアダムと平等でありたい、と願う。そんなリリスにとっては子供を作る行為の形が「抑圧的」だと感じアダムと対立し、楽園を一人去ることになる。
リリスは晴れて抑圧から自由になるのだが、その神の意図にそぐわない行動のために神から呪いをかけられてしまう。
毎晩人間の赤子を喰らい、それを糧に100匹の悪魔を生み、生まれるや否やすぐにそれらを殺さなければいけない、という呪いだ。
自由と引き換えにリリスが得た業は永遠の飢餓と生産と破壊の円環であり、それが今の社会システムのイメージと重なると著者は言う。

また著者によると、この社会システムは躁とうつを行き来する双極性障害的な性質があり、極端から極端へ移行する。
人間存在自体が消耗と再生の繰り返しであり、そのため上昇は下降の後にしか訪れない。
しかし現在のシステムにおける際限のない利益性を求める性質は常に「上昇」「成長」を求め、それに伴い市場の競争は過熱化し、より「早く」「多く」「安く」作ることで利益率を上げ、より多くの消費者をひきつけるためのアピール合戦が行われる。
需要がなくても作り出す。この時代の原則は飢えた人にではなく、満腹の人に食べ物を食べさせる、というようなものであるという。
その激化していく競争にはもはやモラルはない。
このように経済が上昇を続ける状態が筆者曰く経済の「躁状態」であるが、これは一見順調そうに見えるため問題視する人は少ない。

しかし、下降は突然やってくる。うつ状態である。
この時に抗うつ剤を使えば治る、というものではなく、この極端なふり幅が問題なのであって、必要なのはそのふり幅を小さくする安定剤のようなものであるという。
だから、スピードを緩めることや、上昇志向に捕らわれすぎないことなど、一見現在の社会システムにそぐわない態度が、ここではむしろこのシステムにおいて必要なものとして語られる。

この破壊的な競争社会が求める人間性が自分自身の性質にそぐわないために社会に対してコンプレックスを抱えてきた人も少なからずいると思う。
私もその一人であるが、自分自身が不完全であり精神病的である、と思うことはあっても、社会システム自体が不完全であり精神病的様相を呈している、などとは考えたこともなかった。

しかし、社会的性質と調和できない自分の内面を「非生産的である」と蓋をしてしまうのではなく、自身の内面からの需要に目を向けることが社会システム全体の処方箋のヒントに繋がる可能性さえあるのかもしれない。

私も自分の内的需要にこたえ、手始めにここで文章を書いてみることにした。



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