アレシボ天文台、不思議な場所
アレシボ電波天文台の閉鎖が決まった。慢性的な資金難が続いてきたところに、今年8月の施設の破損事故がダメ押しとなったそうだ。
アレシボ天文台がどんな場所であるか。知っている星座は北斗七星とオリオン座の2つという、天文にあまり興味がない私の目線でお届けしたい。ひょんなことから、2017年6月にそこを訪れたからだ。
もともとアレシボ天文台を訪れようと言い出したのは仲間のIT技術者である。我々はおよそ2週間にわたってプエルトリコのホテルで缶詰になってサイバーセキュリティの仕事をしていた。すべての日程が終わった日の午後、偶然空いた半日の自由時間があった。それを見越した彼はだいぶ前から天文台とコンタクトをとっていた。
実はこの時期、天文台は部外からの一般見学を受け入れていなかった。それを知った上で、仲間は交渉した。数往復のメールの結果、我々の見学は許された。が、奇妙な条件がついていた。「自分の専門分野について天文台のスタッフに授業すること」。我々はサイバーセキュリティの専門家なので、宇宙の話はできないと伝えたら、むしろ歓迎とのことだった。天文台の人は、宇宙とか電波とか天文に飽きてしまっているので、異分野の話を聞きたいらしいのだ。よくわからないが、USBメモリにStuxnetというコンピュータウイルスの話をするためのパワーポイントのファイルを入れて、ホテルを出た。
プエルトリコの首都サンファン、そこから車に1時間半ほど揺られた山の中に天文台はある。8人の仲間でお金をだして、タクシーを半日チャーターした。プエルトリコは海沿いこそ、開発されて都会的だが、全体としては「カリブ海に浮かぶのどかな島」のイメージを裏切らない、静かな場所である。首都のサンファンですらそんな感じなので、1時間半も走れば、人の気配がなくなる。天文台のあるアレシボという町の周辺は平飼いされている鶏が車道を歩くような、山の中である。
昼過ぎに天文台に着く。天文台の入り口のゲートは立派だった。こんなところに世界屈指の電波天文台があるなんて本当だろうか?いや、そもそも人がいるのか?という疑いの気持ちが湧いていたので、ゲートを見て一安心した。特にNASAのロゴは「文明の中の文明」という感じがして頼もしい。
そして、携帯電話や電波を発する機器の電源をオフにするよう厳重に注意される。ゲストセンターなどはなく、我々はスタッフが寝泊まりする棟の1Fに通された。天文台の敷地内は背の高い樹木に囲まれていて、昼間なのにうす暗い。通された部屋の中もだいぶ暗かった。くたびれ切った弾力のないソファーが、大きな部屋の中に飛び石のように置かれている。開放型の書架が10m暗い並んでいるが、並んだ本はどれも古そうで、手入れされたライブラリーには見えなかった。
やがて8人ほどの天文台で働くスタッフが部屋に入ってきた。みんな若い。ほとんどが天文学を学ぶ大学院生、あるいはポスドクと自己紹介していたが、高校生にも見える。簡単な自己紹介をしたあと、早速、入場料代わりのサイバーセキュリティに関するプレゼンをする。最新のOS、最新のスマートフォンでも、凄腕の攻撃者に狙われたら無事では済まないというような話をした。興味深く聞いてくれたようだ。山のように質問がでる。なんだかんだで1時間半くらいみっちりサイバーセキュリティの話をする。
双方にサイバーセキュリティで話がふくらみ、訪問の趣旨をすっかり忘れかけた頃に、「じゃそろそろ」という感じで建物に案内される。本来は見学者向けの施設があるそうだが、なぜか天文台のスタッフと意気投合した我々は制御室がある建物に連れて行かれた。
2階建ての建物だが、およそ天文台というイメージから想像される建物よりも、ジャングルの中の動物観察小屋のような趣のある建物である。警備もなにもない入り口、その後の長い廊下には電気がなくうす暗い。廊下や部屋の壁には手書きのメモ類がびっしり貼られている。その一種の乱雑さが、本当に何かの運用をしている部屋独特の、ハリボテじゃない空気を醸し出している。
道すがらも、天文台のスタッフが熱心に解説をしてくれる。長い廊下をゆっくり進んで、突き当りの部屋に入ると、正面に大きなガラス窓があり、そこから、ネットで見覚えのある電波望遠鏡の副鏡が突然視界に飛び込んでくる。これがアレシボ電波望遠鏡か。一堂呆気にとられて宙吊りになった物体を眺める。
研究者が、我々をオペレーション担当のスタッフに紹介してくれる。4-5人座るのが精一杯と思われる部屋には、弥生時代を彷彿とさせるPCと縄文時代の計測器が立ち並ぶ。机の上には、Windows 95の箱とインストールディスク(CD)が大事そうに置かれている。聞けば、未だにWindows 95という20年前のOSでしか動かないソフトが必要という。制御室では自然と話が天文台の資金面におよんだ。大口スポンサーであるNSFとの交渉の経過などについても聞いた気がする。細かいことは覚えてないが、スタッフの発言からはある種の諦め、「近い将来アレシボ天文台は稼働できなくなる」という覚悟を感じた。同時に、スタッフの口ぶりは天文台と老いた電波望遠鏡への労りと毅然としたやさしさに満ちていた。
制御室の前にある、広いテラスのような場所に出て、望遠鏡をより近くから見てみる。見れば見るほど奇妙な造形をしている。パラボラアンテナは現場では、左右の林に遮られその全容が見えないが、とにかく大きい。副鏡はパラボラの縁に立つ3つの塔から伸びるワイヤーで空中に固定されている。風で揺れたりはせず、かなりの重量がある感じがした。副鏡はよく見ると橋やハシゴがついている。メンテナンスのときにはそのハシゴを使って副鏡の中に入ると言っていた。登る役割だけは死んでもごめんだと思った。
1960年代に建設され、半世紀に渡って電波を受信し続けた望遠鏡。宇宙を愛し、素人にも気さくなスタッフ。周辺の林では鳥がさえずっている。アレシボは今日も平和である。
サイバーセキュリティの仕事をする我々の7名の誰も、「Windows95を使うことのセキュリティ上の問題」などという野暮なことは言わなかった。ほぼ全員が、活動資金の募金箱にお金を詰め込んだ。1つの時代を築いた電波望遠鏡が、静かな余生をすごす姿は、最新の科学に触れたときの興奮とは違う種類の、じわじわくるタイプの感動を我々に与えた。
最後に、スタッフ8名と我々訪問者7名とで望遠鏡を背景に記念写真を撮った。いい日だった。
天文台からの帰り道。周囲はすっかり暗くなっていた。タクシーの中で誰かが言った。
「俺たちの仕事って30年とか50年後になにか残るのかね?」。
アレシボには50年たってなお人を集める魅力がある。サイバーセキュリティの分野にそれに匹敵する魅力あるコンテンツはあまり思い浮かばない。
別の誰かがいった。
「俺たちでイランのナタンツにコンピュータウイルス博物館つくろうよ。壊れた遠心分離機置けば、みんな見に来るでしょ。」
というわけで皆様、50年後にイランでお会いしましょう。
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