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ペルセウス流星群と星の砂の砂時計

深夜になって、ひとりそっと家をでた。

今日はペルセウス流星群がみれるらしい。


流れ星がたくさん見れるのか、とワクワクした。

外に出て夜空を見る。

街灯が思った以上に多くて人工的な光が眩しい。

目の端々に街灯の光が筋になって見えるものだから、「この光の筋が流れ星?」なんて勘違いしてしまった。

そういえば、流れ星を見るのっていつぶりなんだろう。小さい頃は、ときおり流れ星をみつけては願い事をしていた気がする。考えてみたら、久しく見ていないことに気がついた。

20分ほどたったころ、一筋の光が現れてすぐに消えていった。

これは見間違いじゃない。

大きく目を見開いて、口があんぐりとあく。

「流れ星ー!」

なんて言う暇もなく、ただ息を吸っただけで声もでなかった。

願い事をいう時間なんてまったくない。


あともう一つ見たい。夜空を見上げる首が悲鳴をあげていたけれど、もう少しねばることにした。

もうひとつ。

今度は目の端を光の筋が横切った。

たぶん、何回見ても同じ反応になる。

今回も、息を吸って驚いた顔をすることしかできなかった。


流れ星といえば願い事。

流れ星を探していたときは、探すことに必死だったから思いつかなかった。

流れ星をみてから浮かんだ願い事は、こういう時間をもっと味わいたい、ということだった。




そういえば、夜と霧の著者ヴィクトール・E・フランクルによると、人生は砂時計にたとえることができるらしい。

落ちるのを待っている砂が未来、そして今をとおして、砂が落ちていく。落ちてたまった砂が過去を表している。

最初に聞いたときは生の有限さに寂しさを覚えたけれど、今では不思議と受け入れているたとえ。


願い事について考えていたら、ふと砂時計のたとえを思い出した。

小さい頃、星の砂とよんで、茶色い砂の中からキラキラした透明のカケラを見つけては集めていた。

ほんとは、星の砂って、砂浜に落ちている星型の化石のことを言うらしいけど。わたしにとって星の砂は、その辺の砂から見つかるキラキラした砂のこと。

流れ星のような体験をたくさんしたい。

砂時計でたとえるなら。

わたしの砂時計は、星の砂のようなキラキラした砂がたくさんある砂時計にしたい。


宮古島で海の中に潜ったとき、
デンマークのビーチツリーの若葉、
アイスランドでくぐった虹の輪っか、

旅のなかで絶景を見て感動するのはもちろんだけど、
流れ星のような日常にかくれる出来事にも感動する。

友達との乾杯や、猫との昼寝。漫画のストーリーの巧みさ、陶芸で窯を開ける瞬間にだって感動する。

好奇心と感性にしたがっていけば、出会いがもっと増える気がしている。

思い出が星の砂となってたくさん溜まるように。



次は、ふたご座流星群が12月に見れます。

夜空を眺めてみませんか?



お読みいただき、ありがとうございます。
次の記事でお会いしましょう。

またねー!


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