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飛べた頃を羨んでも、今日もわたしを生きる

積み重ねてきたものがガラガラと崩れていった音。
ずっとやりたかった仕事を手にしたのに、手から滑り落ちて割れた音。

この先も3/2という日を忘れることはないんだと思う

周りにはとんでもない迷惑をかけたと思っている。
でもあの時まともに思考できてなかったのもまた事実。
理想が叶っても必ずしも満たされて幸せになるわけじゃないんだなということを知ったのが2年前。本当に絶望だった。


それから2年。 
絶望からは抜け出したけど、あの時のことをいまだに上書きできない自分がいる。(キャリアの意味で)あのまま仕事できてたらどうなってたんだろう。やり遂げたかったなってふと思うことがある。

その一方で、もう無理もできない自分もいる。
無理をしたら壊れることも知ってしまったから。


昨年末に怪我をしてしまい、まだまだ完治には時間がかかる。
そういう意味でも、少なくとも今のわたしは必要以上の無理はできないのだ。(詳しくは以下noteへ)

この2年で、いわゆる「普通」であることは当たり前でなく、そもそも当たり前は当たり前じゃないと痛いほど感じた。「普通」であることの物差しは人それぞれであることも知った。

生きてりゃいろんなことは起こるけど
この2ヶ月弱で、生きること、生きていることの尊さを知った。


起こってしまったことは、捉え方を変えることはできても事実は変えられない。でも、未来は今この瞬間の行いで、大きくも小さくもいかようにも変えられると思っている。

悔しさで終わってしまっているキャリアも上書きできると思っている。
自分の足で地面をしっかり踏んで、行くべき場所、行かない場所、戻る場所、目指すべき場所を、自分で選んで確かに進んでいきたい今日この頃。
全部全部自分次第ではあるけれど、これでよかったんだよって、自分の進んできた道を正解にするために、これからも正解にしていくために。


以前のnoteにも書いたけれど。
明日死んでも後悔しない選択と生き方をすること
より丁寧に日々を真っ直ぐに生きて、今ある命を輝かせたい。


自分を生きてるって実感できるのはとても尊くて、嬉しいこと。
今日もわたしは、生きる。生きよう。


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