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ヴァーチャル憲法カフェ第9回 人権カタログその2 憲法21~23条

【K.cafeホームぺージ掲載予定の記事をNoteに先行掲載します】

たまろ)
第9回目のバーチャル憲法カフェは、人権カタログその2、憲法二十一条から二十三条です。

とんこさん)
二十一条を教えてください。

種田先生)
条文を確認しましょう。
第二十一条 
一 集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。
二 検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。
かつては集会をしたり、秘密結社のような政治的主張を持った集団が演説会をしたり、過激な出版物や雑誌を作って国へ抗議したことに対して、国が団体の出版物に目を通して黒塗りするなど様々な妨害行為をした背景から、表現の自由を規定する条文ができたことはすでに学びました。ただ、皇居前でデモをする許可が下りず、集会の自由を阻害されたとか、出版本が検閲で引っかかって出版禁止になった、などはあまり身近に聞くことはありませんね。

華ちゃん)
たしかに。社会の授業で、昔あったことを学んだ記憶はありますが、過去の出来事として認識していても、今の自分たちの生活とつながっているとは思いませんね。

種田先生)
表現の自由を保障する前提としては「知る権利」が大事であると言われます。古典的な表現の自由は、権力が何もしないことで国民の表現の自由を守るあり方ですが、本来は正しい情報を知らないと正しい表現が出来ないという考えのもとで「知る権利」が保障されています。たとえばモリカケ問題とか桜の会の問題などで公文書の保存がされていない状況は、国民の知る権利を軽視されていると言えます。紙媒体の記録を一年で廃棄している現状には国の怠慢を感じますし、そのような対応をしている国に対して、国民がもっと知る権利として「情報公開」をしっかり要求することが大事でしょう。

とんこさん)
「政府の情報は自分達の情報だから、もっと出してよ」と私たちが知る権利を行使して、常に政府を監視していかないといけないのですね。

種田先生)
実は憲法上「知る権利」は認められているのですが、条文に明記はされていません。国民が政治に参加し、大いに議論する、その前提として、国に対して国民が発言できないとそもそも反論も出来ません。政府の情報は国民のものであり、それらは国民が参政権、表現の自由を行使するために必要なもので、そこには二十一条で「知る権利」が保証されているという考えがもとにあります。そして国民に「知る権利」があるということは、国には情報を開示する義務があるわけです。縛られているが「しょうがないから出してやろうか」といって王様が出すものではなく、情報を出すのは義務なのです。

華ちゃん)
国民が「私達には知る権利があるのだから、政府は情報を出すのが普通でしょ。なんで出さないのよ」と詰め寄るところですね。

種田先生)
そうです。「公文書を一年以内に廃棄する」というような文書管理の法律があること自体、私たちの知る権利を侵害するものですし、デジタル時代に未だに前時代的なありかたのままですから、もっとデジタルの発展も含めて「しっかり保存しておきなさい」と、国民が言わないといけないのですよ。「文書管理に場所が必要だ」などと、そもそもの議論をすり替えるようなことを言わせていてはいけないところです。

とんこさん)
言い訳していないで、しっかり仕事してください!と言わなければなりませんね。

種田先生)
話は変わりますが、Twitterなどネット上の表現の多様性を感じる一方、「表現の自由」の保障も考えさせられます。ミャンマーのクーデターでfacebookが使えなくなったり、中国が香港統治で民主活動家の表現活動を制限したりするなどのニュースを見ると、権力から表現の自由が制限され、民衆の自由が奪われていくことがどういうことかを思い知らされます。日本の場合は、ミャンマーや中国のように明らかに権力から表現の自由を制限されていないので、さほど意識はされないですが、油断すれば小手先で自由を制限できるようなことが起ることにもなりかねないから、情報社会の今こそ、憲法二十一条は重要な条文であると思います。

とんこさん)
たしかに、ミャンマーや中国で起きていることを見ていると、権力が国民の自由を奪っていく様子がわかって、隣の国のことと言っていられない恐怖を感じます。

華ちゃん)
アメリカ大統領選挙でトランプさんのTwitterのアカウントが永久追放されましたね。国ではないですが、民間企業がトランプさんの表現の自由を大々的に奪うような時代になっていることも気になったのですよ。

種田先生)
今は国よりも巨大IT企業の方が、一国の王様の力を制御するほどのパワーを持っていて、憲法の概念を飛び越えた馬鹿でかい話になっていますね。

とんこさん)
国よりSNSの方が強くなって、制御できない感じがしてちょっと怖いですね。

種田先生)
国がGoogleやTwitter、facebookといった民間企業に対して、昔はあれこれ手を出さないことで表現の自由の場を確保していたのですが、今は、国が自由に発言出来る場所の整理をしたり、場合によっては妨害する人を排除するといった積極的な行動をすることで、力を持った民間人が他の民間人の自由な表現を邪魔しないようにしなければならない側面があります。

華ちゃん)
ネット上で自由に発言できるけど、発言者の表現が自由すぎて、誹謗中傷された方は名誉棄損で提訴することもありますよね。

種田先生)
今は皆が発信できるようになったけれど、明確なルールがなかったり、強いものが幅をきかせる社会でもあるから、しっかりとしたルールや規制をしていかないといけない。まさしく公共の福祉の問題で、名誉毀損的な発言をする人がいる一方で、発言者にも表現の自由が保障されているので、どこで折り合いをつけるのか。たとえばアカウントやメッセージの削除をするかしないかなど、どのような規準でルール作りをするか難しい課題ですが、新たな状況に対して、国は放置することなく、皆が自由に表現できるような舞台を作るよう働くことが新たな責務といえるでしょう。

華ちゃん)
国に担ってもらわなければならない部分は大きいですね。

種田先生)
そうです。自由に発信できる分カオス状態になるところを、力のある人達に都合の良い世界にならないように公平とか公正とか平等といった観点で国民の自由権を確保できるよう、国民から国に常に働きかけしていかないとならないですね。

とんこさん)
政府を見続ける私たちも忙しいです!

Tamao)
憲法二十二条と二十三条はどういう内容ですか?

種田先生)
憲法二十二条
第二十二条 何人も、公共の福祉に反しない限り、居住、移転及び職業選択の自由を有する。
二 何人も、外国に移住し、又は国籍を離脱する自由を侵されない。

第二十三条 学問の自由は、これを保障する。

先に学問の自由を規定する二十三条を説明すると、天賦人権論が大学の中で議論され、さらに啓蒙活動で広がって、皆が権利を自覚していく時の首謀者が大学であった歴史的背景から、時の権力者は大学そのものをつぶしたいと考えたわけです。思想・良心の自由の一つで、権力闘争の既存の体制を打ち崩す研究・学問を追求する大学を守るためにできた条文といえます。

華ちゃん)
この条文も、内心の自由が様々な活動として制約を受けずに自由に追求できるよう、規定しているのですね。

種田先生)
二十二条は住まいや移動、職業についてです。封建時代には居住地、移動、職業を選択する自由は制限され、江戸時代、日本は士農工商制度で職業を選ぶ権利も住まいも固定されて、居住地から違う場所へ行く場合、関所で手形を見せて通らなければならないといった制限がありました。そういう歴史背景、封建的な制限を打破する条文の一つです。ただ正直、明治維新の時、坂本龍馬が脱藩して決死の覚悟で土佐から京都に入ったなどという話を見聞きしても、それはドラマの中の世界のようでイメージは持ちにくい感じがあります。

とんこさん)
そうですね。今は新幹線とか飛行機を使えば、日本国内なら半日くらいでどこでも行けるし、そもそも通行手形とかも必要ないですから。

種田先生)
ただ今回、コロナ感染防止で緊急事態宣言が出て実際に移動の制限がかかって初めて、この条文の重要性を感じたのですよ。

とんこさん)
夫も出勤できずに在宅勤務になり、生活リズムが変わって、ストレスを感じました。

華ちゃん)
私も在宅勤務になりましたし、娘が大学入学したのですがほぼ一年間、通学できずにオンライン授業になりました。娘を見ながら今回のコロナで、大学生が一番、制限があったように感じましたね。

とんこさん)
地方から出てきている学生は、都内に住みながらも学校に行けない状況でアルバイトもできなくて、生活自体が大変な状況になって、結局学校を退学する学生がいたとニュースに出ていましたね。

種田先生)
コロナ感染を防止するため、国民は政府から活動自粛をするよう働きかけを受けましたが、実際は政府がコロナをやっつけるために国民に移動の自粛、制限をかけたわけで、今もそれは続いています。多くの人命や権利が関わる<移動する自由>が<誰かが死んでしまう可能性>と天秤にかけられて、非常に考えさせられます。人間とは不思議なもので、移動の自由を邪魔されると、どこかに行きたいわけではないだけど、自由に動きたくなるものですね。

とんこさん)
緩いけれど、確実に束縛を感じます。

華ちゃん)
この間あるテレビで、<大学生>という立場を降りて<社会人>として仕事をするようになった途端、営業で自由に動けるようになる。ところが大学生の身分を確保した瞬間に大学に行けず、その他にも移動制限がかかることの矛盾を話す大学生が出演していました。「これは何だろう」って思いました。同じ年齢でも立場の違いで、東京から静岡まで仕事で営業に行けるって・・・。不平等というか不釣り合いというか、制限のかけ方に大いに疑問を持ちました。

とんこさん)
実害として出てくると、改めて憲法の規定がとても大事だと感じます。

種田先生)
コロナというつかみどころのない敵。天秤の片方に乗るのが人の命という価値としては最上級のものだけど、では「人」とは誰ですかといったときに、「コロナに罹って今にも命がなくなりそうな人」とは特定できないわけです。未来を予測して移動を制限し、死亡リスクを減らす対策が打ち出される。個人と個人の具体的な権利が衝突していれば分かりやすいが、将来の罹患者が衝突相手でしかも対象が命。<命>と<移動の自由>のどちらが大事かと問われたら理不尽であっても文句を言いにくくなってしまう。

とんこさん)
なんとなく文句を言う人の方が、わがままみたいな感じがしてしまいます。

華ちゃん)
敵はコロナなのだけど、真っ黒いモヤモヤとつかみどころのない敵にぼよーんと弾かれている感じがします。コロナの出現で、自由権を適正に担保する公共の福祉の概念も、新たな価値観や方向性を模索する時代に移ったのかもしれないですね。

とんこさん)
憲法の規定を遂行されるよう、常に政府に働きかけすることと同時に、私たち個々人も、誰もが自由を確保できるように、いろんな意見や考え方を持ち、コミュニケーションを取りながら理解し合う努力がより必要な時代に入ったのかもしれないですね。

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たまろ)
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