ヴァーチャル憲法カフェ第6回 ワタシハワタシ~何人タリトモ侵スベカラズ~
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たまろ)
バーチャル憲法カフェの連載、お待たせいたしました!
今回から第三章に入ります。十~十四条についてです。
今月も読み応えあります!
とんこさん)
十条から十四条の解説をお願いします。
種田先生)
第三章のタイトルと十条から確認しましょう。
第三章 国民の権利及び義務
〔国民たる要件〕
第十条日本国民たる要件は、法律でこれを定める。
華ちゃん)
その法律というのが「国籍法」ということですか?
種田先生)
そうです。次に、十一~十三条を見てみましょう。
〔基本的人権〕
第十一条
国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる。
〔自由及び権利の保持義務と公共福祉性〕
第十二条
この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。
〔個人の尊重と公共の福祉〕
第十三条
すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。
生まれながらに不可侵の基本的な人権を持っている、平等で人間として同じ永久に不可侵の権利を持っているという「天賦人権論」の考え方が十一~十三条の基本的人権の本質です。十二条の後半には「濫用してはならない」、「公共の福祉のためにこれを利用する責任を負う」という条文があります。この「公共の福祉」がキーワードで、十三条には端的に「生命、自由…公共の福祉に反しない限り、最大限尊重する」つまり、「公共の福祉」が権利を制限する形で出てきます。
華ちゃん)
なんでもいいわけではないということですね。
種田先生)
そうです。しかし「公共の福祉」という言葉は、言葉から連想されるイメージで意味を取り違えやすい言葉です。「公共の福祉」というと、個人の利益よりも大きな、国とか、都道府県とか、みんなの利益のためにというイメージがわく。「みんなのために」と言われて、個人の権利はあきらめなさいというように勘違いされやすい言葉なのです。
とんこさん)
確かに。言葉の持つニュアンスからそう感じます。
種田先生)
「公共の福祉」の本来の意味は、ある人の人権が他の人の人権とぶつかった時に調整するということです。例えば「環境権」。隣の人が工場を建てたいといった場合、「自分の土地の上なのだから、工場を作るのは自由だ」という権利主張がある一方で、空気が汚れるなど、隣人の権利が脅かされるのはおかしいという権利主張がある場合、双方の権利が対立するので調整が必要になる。そこで「住宅地には工場を作ってはいけません」とか、「環境が悪くなると言っても大気レベルがこのくらいなら我慢しなさいよ」というような規定を含んだ法律ができる。つまり「公共の福祉」とは、不可侵で、いずれも最高に尊重されるべき価値を持つ権利同士がぶつかった時に調整するという原理で、抽象的に、一般的にこういうルールだというものではなく、どのような権利同士の衝突なのかを踏まえ、ケースバイケースで考えなくてはいけないものになります。
華ちゃん)
国会で法律をつくるときも、裁判で裁判をするときも、ある人とある人の人権が衝突している、それをどう調整するのがよいのかを検討しているということですね?
種田先生)
法律もそうだし、裁判もそうです。「この地域は住居専用にしよう」とか、「ここは商業地域にしよう」とか、都市計画法などを作って実際にどう執行していくか、行政が都市計画委員会などを作って議論するなど、三権分立の三つの権力がやっているのはすべてこういうことです。権利と権利がぶつかり合う中でどのように調整するのか、調整の中で権力がやりすぎないように、それぞれの権利がどういうものであるか、どちらかに偏りすぎず、介入しすぎないようにするといったことです。
華ちゃん)
法律に調整のあり方を明文化しているのですね?
種田先生)
そうです。憲法には権利の大原則が書いてあるのですが、それは国が仕事をする時にどういう仕事の仕方をすればいいのかが書いてあるとも言えるのです。そして権利のぶつかり合いに対する詳細は、ケースバイケースになるので法律に任せる仕組みになっています。例えば「人権を守って!」というケース。Aさんから「私の人権を守って」、Bさんからも「私の人権を守って」と来た時に、どちらかは調整して譲ってもらわなければいけないので、そういう時に「公共の福祉」の概念が出てくるわけです。
とんこさん)
華ちゃん)
フーム。なんか・・・桜吹雪を見せながら裁きをする遠山の金さんみたいに、裁判官が肩から「公共の福祉」を下げて目の前で調整しているようなイメージがわいてくるなあ。(笑)
種田先生)
裁判官の前にいるのは一対一ということ。一人の弱い、少数の権利を持った人と多数の人たちを天秤に載せているわけでなく、あくまでも個人間の人権の調整なのです。
華ちゃん)
憲法は個人主義ということなのですね。
種田先生)
特に十三条はそうです。「憲法の条文で一番何が大事ですか」と聞かれた時に、「十三条」と答える人が多いのは「個人の尊厳」が書いてあるからです。明治憲法までは全体主義で、国民は臣民であり、天皇の意思に対して、天皇の所有物、道具として動かなくてはいけないから、個人の尊厳が尊重されるというのはあり得なかった。それが日本国憲法によって、個人の尊厳が尊重されて、人権を回復したわけです。ただし、個人同士がぶつかることがあった時には権利を調整しなければならない。そのことを「公共の福祉」という用語で憲法に表現した。けっして多数決でなく、偉い人が決めるのでもなく、さらに少数の個人の弱い人の権利が妨げられたり、我慢しなければならなかったり、ということではないことを大原則として定めているのです。
華ちゃん)
日本人はどちらかというと、「全体主義」がなじんでいる国民ですね。「全体の調和を乱すくらいなら、私が我慢する」的な。ぶつかり合うことを嫌って自分が引くのが日本人の性質で、それが美徳であるため、主張しないところがある。
とんこさん)
主張しないことは調整をする上ではいいけれど、「意見を出しちゃダメ」ということではない。それぞれが意見や主張を出し合って、ここは話し合いで和解する、納得するというやり方をとっていいのですね。
種田先生)
「少数者の人権」とよく言われるが、「少数者の人権」というものはなく、人権は個人それぞれのものです。その人権を主張する人が多数か、少数かというだけで、価値として多い少ないは関係ないのです。個人の権利が侵害された時に、全国民、全世界の人が違うと言っても個人の権利は守られるべきだと言える権利があるということです。憲法の起こりは王さまに楯突くためにできたもので、領主、農民が上のものに歯向かってルールを守れ!と主張しているのですから、反骨精神、「モノを言う」ということが前提にあるのです。それこそ「お母ちゃんたち」が立ち上がって革命を起こすような世界です。そしてフランス人やアメリカ人、イギリス人より、日本人は個人の尊厳を忘れがち。大きなものに騙されて結局、個人が幸せになれないのであれば、国全体の幸せもないですから。私たちは憲法の「個人の尊厳」、「天賦人権説」、「公共の福祉」の意味をしっかり学ばなければならないと思います。
とんこさん)
「少数者の人権」と言えば、最近はLGBTなど、表に出るようになってきているから、少数者を理解するところから始めるのもいいかもしれませんね。
種田先生)
次の十四条には平等、差別されないということが出てきます。
第十四条 すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。
個別の権利はあるが、例えば、どの権利も他の人には認められるのに私には認められないとか、隣のアメリカ人は認められない、女だから認められないというような差別がされない平等権も基本的人権の性質の一つです。人権は差別されない性質の一つであり、生まれながらにして不可侵で絶対的な価値を持っているのだから、対等な価値として差別されないという、あたりまえだけど、一番難しいところです。
本来、国民が自由に権利を行使する時には国が何もしない方がいいけれど、国が何もしない,そのままのフラットな自由は実は不自由で、差別を受けてきた人たちを救済することなにし,真の自由はありません。例えば「アファーマティブ・アクション」注1など、女性が社会進出できるように4分の1は女性枠にしてクリアしましょうとか、そういった意味で形式的な意味より実質的な、違いを踏まえた上で平等ってなんだろうと考えると難しい。数式みたいにイコールになったり、天秤に乗っけて釣り合ったから平等ということではないので、“実質的な平等”実現に向けた議論はもっと深めていくべきだと思いますね。
華ちゃん)
日本は遅れていますね。
種田先生)
日本は同姓パートナーのことや性別、人種についてなどの認識が他国に比べると遅れています。いい悪いではなく、もし一人でも「女性が女性らしくすることがよい」とされる世の中で、私は「女性らしくじゃない生き方をしたい」と悩んでいる人がいたとしたら、そういう悩みがない世界を作ることが憲法のめざす世界。そういう世界になるように政府は頑張って法律を作ったり、裁判をしたり、行政を執行したりしなければならない。昔からLGBTの人たちが一定数はいて、そういう人たちが声をあげないで泣いていたことも、憲法価値で考えれば、よいとは言えません。とはいえ、それも声を上げ始めて動いていくものです。時代で色々なことがあって一つずつ真剣に考えていくことが大事なのでしょう。だからこそ、もっと差別について考えないといけないでしょうし、より深く学ぶ必要があるのです。平等の話は言い始めると話は尽きないので、改めてやれたらいいですね・・・
華ちゃん)
平等権、奥が深いです。またの機会に改めて議論の場を持ちたいです。
注1:アファーマティブ・アクション
肯定的措置、積極的是正措置とは、弱者集団の不利な現状を、歴史的経緯や社会環境に鑑みた上で是正するための改善措置のこと。この場合の是正措置とは、民族や人種や出自による差別と貧困に悩む被差別集団の、進学や就職や職場における昇進において、特別な採用枠の設置や、試験点数の割り増しなどの優遇措置を指す。(Wikipediaより)
たまろ)
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(K.cafeホームぺージ 令和3年1月28日掲載記事)
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