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今君に伝えたいこと #20

 鍵盤から指を離しても、慧人はそこから目を離すことができなかった。彼女はどんな顔をしているのだろう。勢いで曲を作って聴かせたのはいいものの、終わった瞬間ものすごく大それたことをしてしまった気になる。これまでは、慧人が演奏しているところに蛍が来るだけだったからよかったのだ。彼女が勝手にここに来て、そして好きなときに帰る、それは完全に彼女の意志によるものだったから、慧人も何も気にすることなくピアノを弾き続けることができた。でも今回は、無理矢理彼女をここに呼びつけ、できたばかりの、いやまだ完成したとは言えないような状態の演奏を聴かせてしまった。案の定ミスタッチは多かったし、自己満足で、自己顕示欲丸出しのことをしてしまった。思えば誰かに自分が作った曲をわざわざ聴かせることなど、もう何年もしていない。沈黙に耐え切れず、謝ろうと顔を上げた慧人は、ドアの前で涙を流して立ち尽くす蛍を見て、喉が詰まった。
 「ありがとう」
 涙声で蛍がささやく。白い細い指で涙を拭うと、今度ははっきりとした声で言った。
 「ありがとう、すごく…すごく、いい曲だった」
 初対面のときと同じ、凛としたよく通る声だった。そして、ピアノの脚の近くのいつもの場所に来て腰掛ける。  

 「ピアノがね、ずっと嫌いだった」
 涙で濡れた指先を遊ばせるようにして絡めあいながら、おもむろに話し出した。
 「昔は習ってたのよ、結構頑張ってたんだけどね、三年くらい前から急にピアノの音が駄目になった。この音が怖くて、聞くと気分が悪くなった。その演奏が上手ければ上手いほど、余計に。信じられないでしょ、あなたには」 
 慧人は大きく頷いた。自分と正反対すぎて。真顔で頷く慧人を見た蛍は、少し笑って続けた。
 「原因は分かってるの。でも自分の力じゃどうしようもなくて。なるべくピアノを避けて過ごしてきた。可能な限りイヤホンして、ピアノの音のない曲を常に聞いているようにしてた。でも、あの日、あなたに初めて声をかけた日」
 蛍は右手を制服のスカートのポケットに入れると、イヤホンを取り出した。
 「これをね、忘れちゃったの、教室に。下駄箱で気付いて、慌てて取りに教室まで戻る途中だった。あなたのピアノの音が聞こえたの」


物語の始まりはこちらから

https://note.com/kc_yuuri_kp/n/n9f2fafbd475f


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