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10.いつか


 トシとイチはふり返り、坂道のほうへと歩き出した。
「無償でいい音楽を届けてくれる素敵な人たちに、感謝だよな」
「そうっすね。人々の生活の一部って感じが、かっこいいっす」
 音楽を奏でる人々が広場には散らばっていて、坂道のすぐ横のところにも、キーボードを弾いて歌っている男がいた。
それをまばらに囲んで立って聞いている中に、さきほどの女子大生二人組がいた。
「お、またいる」
「え、なんすか」
 トシは指差して、その二人をイチに示した。
「あ、ホントだ。前をつけられてますね」
「行動が同じなんだよな」

 トシとイチは坂に向かって、ちょうど女子大生の前から後ろに回りこむようにゆっくりと歩きながら、十歩ほどの距離をとって観察していた。
「なんか、池の上で見たときのほうがよかった気がする」
「たしかに。なんか地味に感じるね」
「あんなユニオンジャックのカーディガン着てましたっけ」
「どうだったっけね。ロック好きなのかな。モッズかな」
「うーん、UKロック好きという風には見えない」
「でも俺はユニオンジャックのほうがまだタイプかな」
「マジっすか。俺はないっす」
「え、あっちのジャケットのほうがいい?」
「選ぶなら」
「マジか、俺はあっちは選べない」
「マジっすか。まあ、ある意味かぶらなくてよかったっすけど」
「確かに。あのホットパンツと黒ストッキングがなあ、俺は好きだ」
「あ、僕ホットパンツ好きじゃないんですよね」
「ホットパンツ好きじゃないオトコがいるとは思わなかったわ」
「地味なコのは特に。なんか中途半端なんですよね」
「そうか、俺は活動的な感じがして好きだけどな」
「確かに、元気のいいコは僕も好きです」
「それに、あっちのコのほうがむっちりしてるしな。俺はちょっと肉つきがいいほうが好きだ。お前は細いコのほうが好きそうだから、あっち選ぶのかもね」
「そうっすね」

 やがて二人は、女子大生二人組のうしろを通りすぎ、坂道の階段を上り始めた。
左手には吉祥寺名物の焼き鳥店「いせや」が威容を誇示していた。
右手にも吉祥寺に数店舗を展開する焼き鳥店「鳥良」の門があり、中庭の向こうに店舗を構えている。
昭和の猥雑な文化をそのまま伝えるかのような古ぼけた「いせや」の店構えだが、近い将来に全面改築で建てかえられるという噂である。
「ぼくは最近、女のコをそんな目で見るのがイヤですね」
 歩きながら少し黙っていたところに、イチが話し始めた。
「というと?」
「なんか最近、女のコを性的対象として見ることがイヤになってきました。ちょっと、嫌悪感があります」
「嫌悪感? 罪悪感とは違くて? 人間的交流を阻害する気がする?」
「どうなんでしょう。なんか、ちょっと怖くて」
「うん」

 トシはあいづちを打ちながら、この辺りの古着屋にでも入ろうかと思っていたのはやめようと考えていた。
イチのこの話は、しっかり聞くべきことのように思えたからだ。
「ライアン・レスリーに『ドレス・トゥ・アンドレス・ユー』っていう曲があって、超かっこいいんですけど」
「うん、超かっこいいね」
 ライアン・レスリーも、イチが数ヶ月前にフェイスブック上でビデオをシェアし、トシに教えたミュージシャンだった。
「『I only dress to undress you』って、すげぇ完璧に言ってると思って、共感したんです。服がキマってると楽しいし、最強の気持ちになれる。服のおかげで自信を持って誰かと出会える」
「自分を、好きになるよね」
「そう。僕、前に年上の女の人と付き合ってるっていう話をしたと思うんですけど」
「ああ、前に会ったときに言ってたよ」
「その人と付き合ってた頃、僕はまともに大学にも行けてなかったのに、朝帰りとかしてたら母親にすごい怒られて。病気も治ってない頃で、自分の面倒も見れてないのに、誰かと子供ができるような行為をすることをどう思ってるんだ、って言われて。なんか、すごい情けなくなって、恥ずかしくなりました」
「うーん、何も言えない」
「それで、もうできなくなっちゃって、その人とも会わなくなりました」
「よかったの? その程度だった?」
「その程度でしたね、もともと。好きでっていうより、ノリみたいなところがあったから。その程度で、そんな風に生きてる、自分がでたらめだと思いましたね」
「それ以来、女のコをそういう目で見れない?」
「そうっすね。見れないっていうか、見るのがイヤだ」
「うん」

 トシとイチは「時代屋」というレトロショップがある十字路を抜けて、「ラグ・タグ」という古着屋の前を歩いていた。
それまでの古着屋がアメリカなどからの輸入古着を主に扱っていたのに対して、「ラグ・タグ」は国内の人気ブランドの古着を売るショップで、トシが初めて来たときには、その親しみやすい品揃えにずいぶん驚いたものだ。
右手にクレープの屋台、左手にベトナム料理屋を見ながら、トシとイチは大通りへの突き当たりに向けて歩いていた。
「カニエ・ウェストに『ランアウェイ』っていう曲があるだろ」
「ありますね」
「あれに俺はすごく共感したんだけど、女性に向けて『俺から逃げろ!』って言うんだよ。女性をただ自分の汚い欲望と醜いプライドのためだけに利用して、そんな自分にほとほと嫌気がさしてるんだけど、でも自分から相手を手放すことがどうしてもできないから、『頼むから俺から逃げてくれ』って言うんだよね。あの歌を聞いたとき、泣きそうになったよ」
「苦しんでますね」
「そう、苦しんでる。欲望の客体になって、道を見失って、自分がどこにいるのかわからなくなってる」

 トシとイチは大通りに突き当たり、右に曲がってマルイの広いエントランス前を京王線の高架線路に向かって歩いていた。
「君もでたらめに迷いそうな自分を感じて、怖いと思って引き下がったんじゃない」
「怖いとは思いましたね。自分の手に負えないことをやってしまうかもしれないっていう感じで」
「責任が取れないってことだよな。責任って、そういうものだよな」
「そうですね。自分や相手を、大切にしていないと思いました」
「それは、母親に感謝だね。大人ってのは、立派なもんだな」
「はは、自分が情けないっすけどね」
「二十三、四にもなって、お母さんに叱られてちゃあな」
「マザコンなおらねー」

書く力になります、ありがとうございますmm