10.「MONEY feat. 青山テルマ , SALU」 – 『PROUD』 全曲ソウルレビュー –

※2016年12月19日 に自作ブログに投稿した記事のサルベージです

「MONEY」は名前の並びが掻き立てる期待を超える名曲

『PROUD』というアルバムで、ある意味もっともセンセーショナルだったのが、10曲目のこの「MONEY feat. 青山テルマ , SALU」だろう。

「清水翔太の客演に青山テルマとSALU」が呼ばれる、というこの事実だけで、もはや名曲の予感がビンビンにする上に、いったいどんな仕上がりになるのか想像の余地を超えていて、興味津々になってしまうからだ。

さて、その仕上がりとはいかがだったかというと。

“名曲”というよりほかにない。

どうだろう、このイントロからまさに現代を思わせる「夜」の響き。

打ち込まれるリフレインとループの数々、その一つ一つが、まだ誰も何も言っていないのに、明らかに説得力を持った強度で訴えかけている。

「これから最高の曲が始まりますよ」と、そう告げている。

繰り返すが、「清水翔太が青山テルマとSALUを客演に呼んだ」のだ。

この事実だけで、清水翔太が中途半端なトラックと曲を用意しているはずがない。

それだけで、磐石の準備と完成への道しるべが用意されているのはすでに間違いない。

「清水翔太が青山テルマとSALUを客演に呼んだ」という、この事実だけで、すでに勝ったようなもん。

メイウェザーがファイトを決めた時点で勝ったようなもんである。

最高のトラック、最高の歌、最高のラップ

一つ一つの音を丁寧に置いていくかのような、この隙間だらけで端正なトラックに見合うだけのヴォーカル(特にラップでなくコーラス)を日本語で乗せられるシンガーと言えば、清水翔太を措いて他にいないだろう。

「たとえば部屋着でかまわない」とか、「写真を撮りたくなる 高級なフレンチまたはイタリアン」とか、日常会話のような所帯じみたフレーズを、こんな赤坂の裏通りの夜景みたいな洗練されたトラックに乗せられるのは、清水翔太を措いて他にいない。(特に「美味しくなくてかまわない」のところ)


そして青山テルマのラップ。

これが激シブにハマっている。

MVでは青山テルマのラップが始まると、清水翔太とSALUが「うぉ」みたいな顔で目を上げる映像が映るけど、そんな感じ。

ラップ単体でみても、トラックとの絡みでみても、フレーズの一つ一つ、総体としての言っている内容、言葉のイメージと流れ、間、何もかもが最高。

16小節だけじゃなくて、ずっと聞いていたくなるグルーヴ。

正直に言って、青山テルマにラップのイメージはなかったのだけど、これは最高。

俺の中ではSALUくんのヴァースよりも上だ。


SALUくんのほうはどちらかというと即興に近い印象で、さすがのフローとタメ。

だけどむしろこのサクッと感が、量産体制に入っている今のSALUくんらしいのかな、とも感じた。

セルフプロデュースにも取り組んでいるSALUくんは、おそらく次か、その次ぐらいのアルバムで、『PROUD』のようなブレイクスルーで誰も届かない次元に達する作品を作り上げるはずだ。

「Mo’ money, Mo’ dreaming」って言ってるしね。

今は土台作りに精力を傾けている印象だ。

(なぜSALUくんだけ「くん」づけなのかは謎だ。本当は清水翔太も俺の中では「翔太くん」なのだけど、批評だからなんとなく清水翔太なのだ。あまり深い意味はない)

カネを欲しがる人もいるけど 自分を見失わないでくれよハニー

残念ながら、この世の中で生きるためにはカネを稼がなければいけないようだ。

しかし単に、生きるためにカネが必要だから働くというだけでは、味気ないだろう。

カネはあくまで手段であり、生きる土台はもっと根強いものに求めたい。

この曲のブリッジで、そこのところについて清水翔太はとてもストレートに語っている。

本当に大事なことは 君がいることだから
そのほかのことは どうでもいいっちゃどうでもいいんだ
何もかも捨てたって 愛してるって言ってくれ
Baby それだけなんだ

「何もかも捨てたって 愛してるって言ってくれ」というのは、清水翔太ほどのfameとpowerとmoneyを持った人が言うから形になる。

俺が言えば、単なる甘えだ。

「それだけ」のことだけ、大切なことだけやっていられたらいいけど、「それだけ」やっているわけにもいかない事情がある。

「どうでもいい」ことでも、大切なことのために必要になってくることは多い。

大概のことはむなしいこんな世の中で、カネを稼いでまで生き延びたい、大切に守っていきたいと思えるほどの何かを持っていることが、何よりの幸福だと俺は思う。

俺は今では働くこと、カネを稼ぐことを当然だと思っているが、そう思えるほどの大切なものを持てていることに感謝している。

初めから、こんな風に考えていたわけではなかった。

俺がカネを稼ぐまで

22歳ぐらいまでの俺は、カネを稼ぐ事、もっと言えば金儲けなんて少しの興味も持っていなかった。

心底どうでもいいと思っていたのだ。

この辺りは経済教育が手薄な日本の教育の悪いところだとよく指摘されるところではあるけども、同時に俺の能天気で向こう見ずな性格が影響していると思う。

「別に、収入が無いなら路上で暮らすわい」ぐらいの心意気だったのだ。

本気でそう思っていた。

まあ別に、本当にそれでもよかったのかもしれない。

そうである自由も人にはあるだろう。

ただ、俺はそうではいられなかった。


当時付き合っていた女のコは、そういう俺を認めてくれていて、路上で暮らしたいならそれも悪くないと言ってくれていた。

たぶん、本気で言っていただろうし、別に深く考えてもいなかっただろう。

単に俺を受け入れてくれていただけだ。

当時の俺は学生で、彼女は社会人として働いていた。

それなりに二人は仲良くて、それなりにご機嫌にやってたのだけれど、ある時から彼女の仕事が猛烈に忙しくなった。

遅い時間まで激務に追われる彼女が辛そうにしているのを見ながら、俺には何もできなかった。

働くといって、バイトしかしたことのない俺には、その仕事の何がそんなに辛いのかわからないから、言ってやれることは何もなかった。

そしてまともな収入のない俺には、具体的にしてやれることもほとんど何もなかった。

支えてやりたかったけど、支えてやる手段がなかった。

「俺も就職活動をしよう」。

俺はその時に初めて思った。


けれど、やっとこさ俺が就職をした時、俺の隣に彼女はいなかった。

当たり前だ。

「就職活動をしよう」と決意した俺が、実際に就職をしたのは、それから1年4ヶ月後のことで、あまりにも遅すぎた。

ただ、もしも次に同じようなことがあった時、今度は同じ悔しさを味合わないよう。

大切な誰かを支える力が俺にもあるように。

それが俺の働く動機だった。

俺達の世代

清水翔太は1989年(早生まれ)。

SALUは1988年。

青山テルマは1987年の生まれだ。

俺は1987年。

俺達の世代には、どこか地に足のついたところがある。

自分の身体感覚を基点として、広い世界や概念を語れる冷静さがある。

逆に言えば声高に何かを主張するのは苦手だけれど。

どこかで、同世代の感覚を共有していると感じている。

上の世代ほど図々しくなくて、下の世代ほどヴァーチャルに逃避していないこの感覚を、俺は悪くないと思う。(アイツら、ニコ動のMADソング(歌ってみたとか初音ミク)ばっかり聞いて、J-POPすらまともに聞かないんだ!)

これをベースにして、皆がよく勉強してよく働くのがいいと思う。


書く力になります、ありがとうございますmm