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6.ディスタンス


 イチとフミが初めて二人で出かけたのは、その翌週の週末だった。
待ち合わせ場所に現れたフミの姿は、イチを虜にした。
人間の認知などいい加減なものだから、その時の気分だとか事前情報、心構えなどに左右される。
イチはこの日、フミと会うのを楽しみにしていた。
楽しい日になると決め付けていたと言ってもいい。
前日の夜など、楽しみにしすぎて明日が来なければいいとすら思ったほどだ。
そんなにも期待して浮かれていたから、フミがいよいよ目の前に現れた時、いや現れる前から、フミのすべてを好意的に受け取る準備はできていた。
そして当人が目の前に現れた時、イチはあらためてとびきり素敵だと思った。

 上半身には白いTシャツの上に青と白のギンガムのシャツの袖を無造作にめくって軽やかに羽織り、胸元には細いネックレス、両耳には小さく輝くピアスが飾られていた。
デニムのショートパンツ、ヒールの低い赤のパンプスが軽やかでさわやかだった。
自分以外の誰かのふりをせず、気取りのない印象を見る人に与えるものだった。
それでいて、これほどまでにイチの目を引き寄せるのは、肌の美しさや顔や体の造形もあるのだろうが、何よりもフミの発する雰囲気、つまりそこに表れているフミの人となりだった。
たぶんその源は知性とか思いやりとかセンスとかそんなところだろうという予測以上の細かいことは、イチには何がどうだかよくわからなかったが、とにかくこの女のコとお近づきになりたいという自分の渇望だけははっきりとわかっていた。

 そんな渇望を感じながら、イチは高校生だった頃の自分からの変化に気づいていた。
というのは、高校生だった頃のイチであったなら、このようなフミの魅力にはおそらく気づけなかっただろうから。
かつてのイチはもっと虚飾のある女のコのほうが好きだったし、イチ自身ももっと虚飾のある男のコだった。
当時のイチにあっては、服装も会話も、他人よりも優位にたち、できることなら圧倒するためのものだった。
当然、イチが好きになる女のコというのは、他の女のコたちよりも優位に立っている女のコに限られていた。
若すぎて自分の基準で美醜の判断をつけることができなかったために、「客観的な」評価に頼ろうとしていたのだ。

 客観的な評価とは、世間一般で通用する判断のことであり、具体的にはテレビや雑誌、街の店頭のディスプレイや店員などを基準とした評価のことだ。
この評価基準に従えば、入学から数日でクラスの異性(二〇名)の中から、恋愛対象になる候補をピックアップすることができたし、学年全体の異性(一六〇名)や学校全体の異性(四八〇名)をふるいにかけるのもそれほど大変な作業ではなかった。
あとは、クラスメイトや友人たちの判断や噂を取り入れ、情報の幅を広げて基準の精度を高めることができる。
もちろん、自分の評価基準や判断をクラスメイトや友人に押し付けて世論を操作することも、自分の立場を築き、守るためには必要なことだった。


 今でもときどき、イチを苦しめる記憶がある。
単純に言えば、それは女のコにフられた記憶だった。
それはイチにとっては、苦い敗北の記憶でもあった。
イチは高校生活を自分でも意識しないままに虚飾の世界として生きていた。
そしてその敗北が意味していたのは、そういうイチの高校生活のほとんどすべてが無駄に過ぎなかったという事であり、さらに悪いことに、その分野におけるイチの才能や実力が、他の誰かよりも如実に劣っていたことを意味していた。
つまり、挫折を意味していた。
今になってイチが思うに、イチを軽く扱った女のコ、高校時代のあの女のコは、イチに関心などなかった。
彼女はただ、自分の欲しいものをはっきりと知っていて、そのために死にもの狂いだったのだ。
彼女にとって、イチは、数ある手管の一つに利用できる有用な素材というだけだった。

 彼女は、それまでの彼氏にフられて、校内の人間関係上(それはつまり、ある種の権力闘争だ)の立場が危うくなっていたときに、イチのところへ寄り添ってきた。
もちろん、イチのほうでも、校内でも極めつけの女のコだった彼女と付き合うことへの打算的な期待が無かったわけではない。
それはイチにとって、高校生活における一つの誇れる実績になるだろうから。
ところが彼女は、校内でそこそこの男のコだったイチを利用して、彼女の立場が瓦解しそうなところを上手く立て直し、それと同時に、自分をフった彼氏の所有欲と嫉妬心を上手く刺激した。
そして、その元カレがもう一度振り向いて、彼女に戻ってきて欲しそうな態度を見せると、その機を逃さずに、あっという間にイチのもとを去っていった。
イチがほんのちょっと浮かれている間に、それだけの出来事があれよあれよという間に進行していた。
そして、彼女がいなくなって初めて、イチは自分がとてつもなく傷ついていることに気づいた。

 それほど傷ついたのには二つの理由があった。
理由の一つは、イチがあの彼氏よりも男のコとして数段劣っているのだということを突き付けられたことだった。
イチは中学の終わりから、別の高校に進んだ、ある輝かしい女のコと付き合っていた。
それは他人の目から見えるような、いい内容の恋愛ではなかったとはいえ、それでもイチに何がしかの誇りを与えるものではあった。
その女のコと結局別れてしまった後も、イチは自分ではそれなりに高校生活を上手くこなして、男のコとしての格も立場もかなりのものを手にしていると自負していた。
それなのに、彼女はそれを歯牙にもかけなかった。
こんな時、自己評価などは何の意味ももたず、最終的には他人の評価を受けてみなければ、自分の価値などは絶対に見えないものだ。
そして、その価値の判定者として校内でももっともふさわしい女のコが、イチに突きつけたその評価は、残酷なものだった。
彼女の元カレと並べて評価してみれば、イチなどはその他大勢の雑魚に過ぎなかった。

 イチが深く傷ついたもう一つの理由は、自分でも気づかないうちに、たったそれだけの短い期間で、彼女のことをけっこう本気で好きになっていたということだ。
彼女ほど目立つ女のコのことだから、それまでにも、もちろんイチは彼女のことを気にかけていた。
そして、実際に身近に交流してみると、彼女はイチにとって驚きの連続だった。
よくぞそこまで、と思うほどの気位の高さ、そしてそれに基づいて自分を追い込むやり方。
彼女は自分がそうであるべき像を描いて、迷いもなくそこに向かって突き進んでいた。
「追い込む」というのはあくまでイチの抱いた感想であって、彼女自身はそれを当然のこととして日々の生活を営んでいたけれど、日々の生活があれほどまでに目的に導かれた行動で満ちているのは、イチから見ればやはり息つく暇もなく追い込まれているように見えた。
そんな彼女に照らしてみると、やはりイチの生活などはのんびりしたもので、イチはそういう自分の限界を知ると同時に、彼女をとてもまぶしく感じていたのでもあった。
そうやって、イチは彼女を見つめ、彼女のことをもっと知りたいと思った。
それなのに、彼女のほうではイチのことなど視野に入ってもいなかったのだ。
それを思い知らされたとき、イチは自分がどうしようもなくみじめな奴に思えてならなかった。

 結局、イチにとって彼女の行為は裏切りだったけれど、彼女にとっては裏切りでもなんでもなかったのだ。
始めから視野にも入っていないものに対して知らぬ間にひどい仕打ちをしていたからといって、彼女としてはそれを意図してはいないのだし、知りもしないのだから、裏切りと言うことはできない。
それを罪と呼ぶのであれば、虫を踏み、肉や魚を食べる我々の誰一人として、その誹りを免れることはできない。
ただズタズタに傷つけられたイチがそこにいて、罪も罰もどこにも無かった。
個人と個人とのお互いの関わりの中で生まれながら、本当にその片方だけに生まれる現実。そういう、絶対的な断絶がそこにはあった。


 今、イチがフミに魅かれているとき、イチは確かに、あの頃よりもずっと誰かのことをきちんと見つめているのだと感じることができた。
他人を押しのけて抜きんでるような魅力ではなく、誰かと比較せずとも始めからその人の存在と共にあるような魅力を見いだしていると。
その魅力とは、生まれついた体(顔、骨格、体型、髪、内臓、皮膚など)という素材を、家庭環境や生い立ち(生活習慣、食生活、身振り、しぐさ、表情、言葉づかい、思想・文化傾向など)で調理し、過去と現在の交友関係のスパイスで味付けした上で、最後(あるいは最初)にそのような還元主義的記述で語ることのできない何かのエッセンスを一滴浸透させればできあがる。
そのように出来上がった一個の人間が美しいかどうかを判定する客観的な評価基準というものは無い。
ただ、同じようにして出来上がった別の一個の人間が、その人と向き合ったときに、どのように感じ、判断するかである。

書く力になります、ありがとうございますmm