5.「Animal」 – 『PROUD』 全曲ソウルレビュー –

※2016年12月11日に自作ブログに投稿した記事のサルベージです

5曲目の「Animal」は舞台に映える曲

アルバム5曲目の「Animal」は、2分54秒の小曲でありながら、アルバム中もっとも華やかで動的な曲だと言えるだろう。

主役の男も、相手役の女も、戯画化されて派手になっている。

トラックも歌詞も、非常に舞台に映えそうな曲だ。

たとえばこんな具合に。

着実さ(幸福) ⇔ ギャンブル(刺激)

■着実さ
この曲で歌われるのは、現代の人々の寂しさやむなしさ、「渇き」のようなものだ。

現代の世俗の人々が、魂の満たされない部分を満たそうとして奮闘するさまが描かれる。

これは俺の持論であり、他にも同じようなことを言っている人はたくさんいるのでほぼ真実だとは思うが、モテとカネさえなんとかすれば、現代人の悩みのほとんどすべては消える。

長嶋有の『パラレル』という小説に、「なべてこの世はラブとジョブ」という言葉が出てくるが、つまりそんなところだ。

ただ、二要素で語られることが多いこれらの分析に対して、俺はもう一つ分けたほうがいいと思っている。

ラブ=恋愛を、「恋」と「愛」に分けて考えるのだ。

「恋」はモテの要素に近く、「愛」は家族や自己愛の要素に近い。

そこで俺の結論。

人が幸せになるには「金」と「恋」と「愛」の三要素を満たす必要がある。

さらに、これは俺の実感であり、他にも同じようなことを言っている人はたくさんいるのでほぼ真実だとは思うが、モテは努力次第で誰でもそれなりに獲得できる。

カネについて俺は努力をしたことがないので、実感としてはわからないが、聞くところによるとモテるよりもいくらか運の要素が強いらしい。

愛は、人を愛せるように自分自身を変えて、人に愛されるしかない。

いずれの要素にしても、寂しさやむなしさから抜け出したいと願うのなら、目的を見定めた着実な努力を積み重ねるのが、一番の近道だ。

「Animal」で描かれる人物たちは、これらの要素を即物的に手に入れようとして、結果的に満たされない。

行き当たりばったりに、そのうちどこかで行き当たることを期待してでたらめに動き回っても、手に入るようなものではないのである。

■ギャンブル
しかし「Animal」という曲には、同時に華やかな楽しさがある。

青春の楽しさとはむしろ、着実さや賢さとは無縁に動き回ってみることにあるからだ。

何かの目的や狙いを持たない行動の不規則な連続。

勘と思いつきだけで遊んでみる楽しみ。

男も馬鹿じゃないぜ
見抜くとこは見抜いて
結果 だまされてあげてる
でもなんだかな それも可愛くて
駆け引きよりも 濃厚な今だね

誰かと関係を深めていくのではなく、刹那的な関係の連続の中にある刺激と楽しみ。

駆け引きは駆け引きで刺激的ではある。

しかし駆け引きの刺激は別にしてもまだ、出会いの瞬間には、常に何か濃い目の期待がある。

その期待とは、ある意味では肉体の奥でうずく期待であり、ある意味では未来への変化の期待である。

自分の力では変えられなかった何かが、誰かと出会うことで変わって行くかもしれないという期待。

自分の力を超えた結果が、出会いという運次第では自分の手に入るかもしれないという期待。

つまり他力を頼んだギャンブルと同じだ。

そんなギャンブルに身を任せ、あてのない期待に闇雲に賭けてみるのは、愚かではあるが刺激はとても強い。

無知な青春時代というのは、愚かではあるが、刺激的で楽しいものなのだ。

大人になった俺

20代前半のあの愚かででたらめな日々に、もはや俺はそれほど戻りたいとは思わない。

ただ、時に馬鹿になって無闇に行動したり騒いでみるのも楽しいものだということを、俺は「Animal」を聞くと思い出す。

そして、ライブとはいくらか馬鹿になるために行くものだとしたら、この曲はきっとステージに映えるに違いないと思う。

人生と真理の探究だけが音楽や芸術の仕事ではない、もちろん。


書く力になります、ありがとうございますmm