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2.吉祥寺


 トシとイチがお互いに抱く親近感は、一つのものに対する感情を共有できるということに由来していた。
それが音楽であれ、人付き合いであれ、人生観であれ、何らかの店であれ、一つものを見て、どちらかが自分の意見を表明すると、もう一方もそれをもっともだと思った。
あるいは、意見に賛同しかねるときには、素直にそれを口に出すことができた。
意見の相違は対立にはつながらず、「えー、バカじゃねえの」と言いながらも、一つの視点としてありうるかもしれないと受け入れることができる。
つまり、どんな意見であれ、根本からの人格否定につながらないことを知り、安心して口に出すことができる。
お互いがお互いに抱く肯定感であり、その結果として生まれる安心感と楽しさである。

 吉祥寺という街もまた、トシとイチにとって共通の、他には替えがたい街だった。
二人の住まいのほぼ中間地点であり、それぞれの中高生時代から馴染んできた街である。
吉祥寺以外で二人が落ち合うということは、おそらく一度もなかった。

 たとえば「吉祥寺」という、名前の響きだけですでにトシの中に呼び起こされる、ある繊細な感情がある。
それを、もしかしたら他の誰かも同じように感じているのではないか。
そう思えるのは、貴重なことだった。


 大規模な改装がいよいよ佳境をむかえつつある駅舎で、トシとイチは落ち合った。
落ち合ったといって、正確にどこと場所を決めるでもなかった。
先に到着したトシは、駅から地上に降りる階段の下、アトレの地下街へと通じる階段の上にある、特に何でもないスペースに立ち、イチにメールを送った。

 やがて現れたイチは、どことなく気まずそうで、それはトシも同じことだった。
顔を合わせるのは、前回がいつだったかもおぼろげなほどの久しさだったし、出会いの瞬間には必ず何かしら繊細なものがある。
しかしその気まずさも、少しずつお互いの呼吸をつかみ始め、馴染んでくる。
それまで待つだけだということは、二人のどちらもよくわかっていた。
その程度には、人間関係に慣れていたから。
しかし愛想よく積極的に声を出して気まずさを解消しようとするほどに、世間ずれしていたわけでもなかった。

「さて、どうします?」
「ねえ」
 しばしの沈黙。落ち合って、では何をするかということを、トシもイチも考えてきてはいなかった。
良い時間の過ごし方とは、その程度のこと。
「何を」するかよりも、「誰と」、「いかに」するかが時間の質を決めるものだ。
「とりあえず、メシ食います?」
「それ思った。俺もまだ食ってないんだよね」
「どこ行きます?」
「ねえ」

 トシはアタマの中に吉祥寺の地図を描き、平日の遅めのランチに適した店を洗い出し始めた。
かつて、誰かと行った店、イチとも行った店。
「前さ、なんかヘンなファンシーなお店行ったよね」
「あー、行きましたね。なんでしたっけ、アリスみたいな雰囲気のとこ」
「たしか、ガストの下だった気がする。おしゃれ系かと思ったら、男二人でいるのがけっこうウケた感じの」
「あれはちょっと異世界でしたね」
「でも、居心地は悪くないっていう」
「そうそう」
 そしてまた、しばし黙し、候補を探して思念をめぐらす。
「とりあえず歩きますか」
「だな」
 同時に、インスタントな結論に着地する。
「しかし、どちらに?」 
「ですね。困ったときの、とりあえず井の公」
「出たー、井の公。便利すぎ。でもさー、井の公行っても食うもんなくね?」
「ですね」
「まあ、方面を目指すってことでとりあえず」
「うん。何か思いつくはず」
「だな」

書く力になります、ありがとうございますmm