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『Friday』 第3話 Nishi-Azabu(inspired by 清水翔太)


”レイザー”は六本木通りから一本ウラに入ったところにある。

地下二層になっていて、地下一階のほうにバーカウンターとソファ、それと小さなフロアがある。

アラタ「今日、いい音楽やるの?」

ユウ「さあ。なんとなく良さそうだったけど、こういうのは勘だから」

バーカウンターで酒を受け取ると、アラタとユウはさらに階段を降りた。

地下二階がメインフロアで、直方体のシンプルなハコが二連結された形になっている。

そのうちDJブースが付いているのは片方だけだ。

アラタ「なんだこれ。こっちのフロア何?」

DJブースがついてないほうの直方体をのぞきながら、アラタが言った。

ユウ「さあ? 休憩スペース?」

ユウはさっさと爆音があふれてくるメインフロアに入った。

そこは薄暗く、まるでスタジオのように何の飾り気もなく黒いばかりのだだっ広い四角い箱だった。

ほとんど目の前も見えないような闇の中に、ミラーボールだけが光を照らしている。

たまに思い出したようにスモークが「シュー」と音を立てて天井から噴射される。

広いフロアに、客は数組しかいないようだった。

ユウ「いい感じだ」

ユウは全身に浴びせられる音を感じながら言った。

アラタ「いい感じなのか?」

爆音に負けないようにアラタは叫んだ。

ユウ「ハコはね。DJは微妙。あとは待つだけ」

ユウも叫び返した。

アラタ「ちょっと上にいるから、良くなったら呼んでくれ」

アラタが音に負けないように耳元で言うと、ユウは親指を立てた。

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アラタはエントランスの係員に合図して外に出た。

タバコの煙を胸に入れて吐きながら、六本木の裏通りの夜を眺めた。

街の空間は平面ではなく立体的にアラタを取り囲んでいた。

黒い夜の中に無数の白や赤の光が浮かぶ、静かな夜だった。

低音と高音に分かれて「ゴー」と鳴る都市の音は絶えず響いていたし、誰かのバカ笑いや叫び声もそこには混じっている気もした。

それでも、たしかに静かな夜だった。

アラタを脅かすものは何もなかった。

歩きたい方向に歩けたし、入りたい店に入れたし、タクシーを止めればすぐに家に帰って休むこともできた。

そんな夜の中で、アラタはわざわざこの六本木の裏通りのクラブに数千円を払い、何かを待っている。

ナンパ系のハコの”キャメル”や"K2"に行って、女の子を引っかけてたほうが有意義だっただろうか。

それでも結局は、ゴムの袋をかぶせた自分の性器を誰かのまたぐらに突っ込んで射精するだけだ。

少しずつ相手がよがってくるのが良いとか、最初に相手の乳首を露出して口に含む瞬間が最高とか、それはそれなりの楽しみはあるにはあるが、ただそれだけだ。

どうせ同じぐらい無意味なら、ユウとこうして良い音楽を求めてアテもなくフラついているほうが、今夜のアラタにはなんだか愉快なことのように思えた。

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ユウ「来たぞ」

地下一階のソファに座って酒をなめていたアラタのところに、下のフロアからユウが上がってきて声をかけた。

アラタはずいぶん待たされた気がした。

下のフロアの重低音に共鳴して響くソファの横のシャッターの音の耳障りに、嫌気がさし始めたところだった。

アラタ「行こう」

メインフロアに着くと、たしかに何かが変わっていた。

さきほどまでのブリブリに支配してくる重低音が消えて、スウィートなシンセサウンドがまるで空中を漂うかのようにふんわりとアラタの体を包み込んだ。

包み込まれて浮遊しかけた尻をそっと支えるかのようにあてがわれる低音のビート。

アラタはクラブミュージックに詳しくなかったが、これまでの音楽とはたしかに何かが違うのを感じていた。

蕩けるように音に身を任せているアラタの気持ちを、だんだんと焦らせるかのように少しずつビートが細かくなり、曲のテンションが高まった。

そして最高にアゲてくれる!と思った瞬間に、肩透かしするかのように急に低音と高音が省かれ、体を包んでいた音が霧のように消えた。

あらわになる簡素なグルーヴの骨組み。

そこに新たなビートが差し込まれ、先ほどとは異なるスウィートなシンセサウンドが降りてきた。

曲が変わったのだ。

離れたところにいたユウが近づいてきて、アラタの耳元でささやいた。

ユウ「クイーン」

レディオ・ガ・ガのイントロだ。

その音に包まれながら、アラタには急にいろいろなことがわからなくなった。

どうして2010年代後半の平凡な夜に、クイーンの一曲がこんなにもフィットするのか。

今がどんな時代で、自分がどんな生き方をしているのか。

自分がこれまで、何を目指して生きてきたのか。

明日、何かをする予定だったのか。

何もかもわからなくなった。

わからなくなり、どうでもよくなった。

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エントランスの係員に挨拶して通りに出たアラタとユウは、腰の高さでお互いの手のひらをパシンと合わせた。

アラタ「良かったな」

ユウ「サイコーだった」

アラタ「今夜が肯定された気がするわ」

ユウは六本木通りに出ると、歩道と車道を隔てるガードレールの上にヒョイっと跳び乗った。

そしてバランスを取りながら六本木の方向に向けて、ガードレールの上を進んでいった。

街灯の下に入ると、ユウの頭頂部と肩が明るく照らされて、暗闇の中に白く光った。

アラタ「そっち行く?」

ユウ「いや、わかんね」

ユウはそう言ってガードレールから跳び下りた。

アラタ「帰るんならこっちっしょ」

そう言ってアラタは背後の渋谷方面を親指で軽く指さした。

そしてすぐにポケットに手を突っ込んでバイブするスマホを取り出した。

アラタ「あ、トモコから電話来た。すげぇタイミング」

ユウ「この時間、人動くからねー」

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アラタ「あいよ」

トモコ「アラタくん、今どこいる?」

アラタ「どこ? 六本木」

トモコ「マジで?! 六本木のどこ? お店?」

アラタ「いや、なんか路上?」

トモコ「マジで! じゃあさ、ちょっと私ら今”キャメル”の前にいるから合流しようよ」

アラタ「なんだよ。いい男いなかったの?」

トモコ「いやー、ヒドいね。ヒドい」

アラタ「キャメなんか行くからだろ。まぁいいけど。そしたらこっち来なよ。5分ぐらいだから」

トモコ「どっち? どっち行けばいいの?」

アラタ「六本木じゃないほう。渋谷のほう。って言ってわかる?」

トモコ「わかるわけないじゃん」

アラタ「そりゃそーだ。今キャメルから出たとこにいんの? そうすると、左前のほうに六本木ヒルズが見えるっしょ。うん。それと逆。右に行く。うん、大通り沿い。そっちにいるから」

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アラタ「トモコたち来るってよ」

ユウ「あ、そう。二人?」

アラタ「うん、二人」

ほとんど待つまでもなく、トモコたちはすぐに現れた。

アラタとユウの姿を見るとすぐに、トモコは不満げに口をとがらせた。

トモコ「どっかお店入ってるんじゃないの?」

アラタ「いや、路上って言ったじゃん」

トモコ「わざわざこっち来てっていうから、なんかお店があるのかと思ったのに」

アラタ「いや、俺らこっちに歩くから。渋谷のほう」

トモコ「あ、そうなんだ。こっち渋谷なの?」

トモコの不満げな表情はすぐに消えた。

トモコは自分が納得さえすれば、いちいち感情を引きずらない。

アラタ「そうそう、とりあえずそっち行こうかと思って。ミキちゃん、久しぶり」

ミキ「久しぶりー」

アラタ「こいつ、ユウ。中学の同級生。トモコとは一回会ってる」

ユウ「ども」

ミキ「よろしくー」

ユウがミキに何か話しかけて、二人で並んで歩き始めた。

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午前3時を過ぎても、六本木通りを通り過る車の数は多い。

そして頭上には首都高の巨大ガードがそびえたち、その上を車が途切れなく通り抜ける。

六車線の道の歩道を、四人は車道用の街灯に照らされながら歩いた。

自然と前を歩くユウとミキちゃんの後ろ姿を見ながら、アラタはトモコに話しかけた。

アラタ「ニュースって何?」

トモコ「あ、気になるっしょ」

アラタ「そりゃ気になるわ」

トモコ「マイね、別れたって」

アラタ「へー、そうかそうか。そうですか」

マイは、アラタとトモコの大学時代の同級生で、アラタの元カノだった。

アラタ「なんで? 婚約してなかったっけ?」

トモコ「してたけど、なんかいざ結婚の段取り進めてみて、いろいろ合わなかったみたいよ」

アラタ「ふーん」

トモコ「詳しくは知らないけど、なんか隠し事もあったとか。同じ会社だから別れて気まずいって。アラタくん、また救ってあげれば?」

アラタ「いやー、どうだろね。卒業以来会ってない」

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アラタは、ニヤニヤするトモコを適当にいなした。

アラタはマイと別れた後、立ち直るまでに半年ほどを費やした。

その間のことはほとんど全部トモコに知られている。

アラタは、トモコにはどこか安心して、自分の恥ずかしいところや情けないところも見せてしまう。

マイは就職してすぐに職場の先輩と付き合い始め、それからさらに1年も経たないうちに婚約した。

その頃のアラタには、結婚に何の価値があるのかあまり理解できなかった。

しかし最近になって、アラタには少しわかり始めてきている気がする。

ユウ「アラタ、ミキちゃんが飲み足りないってさ!」

ユウが信号で立ち止まり、アラタに向かって手を挙げながら振り返った。

ミキ「あー! そういう言い方するー!」

ユウの挙げた手にすがりつきながら、ミキちゃんがバカ笑いしている。

アラタ「ユウ、その交差点右に曲ろうぜ」

ユウ「なんで?」

アラタ「その先の通りが好きなの。歩きたい」

ユウ「へー、いいじゃん」

ユウはさっさとその方向に歩き出した。

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トモコが言い忘れていたのを思い出したように声を上げた。

トモコ「ね、みんなで飲もうよ!」

アラタ「おう、そりゃこうなったら飲もう。どこ行く?」

ユウ「俺ん家くる? 音楽かけながら飲もう」

ユウが振り返りながら言った。

トモコ「え、何それ!いいの? 行くー!」

ミキ「行きたいー!」

ユウ「ホントはアラタん家のほうがキレイなんだけど、でもこのメンバーで飲むならウチのほうがいいっしょ?」

ユウが後ろ歩きでアラタのほう見ながら聞いた。

アラタ「うん、ユウん家のほうが広いし、設備もある。そしたら根津美術館のところで左に曲がって、青山通りでタクシー捕まえればいいよ」

ユウ「あ、この先、根津美術館なんだ。いいね」

トモコ「天才ー!それで行こうー。こういう時のアラタくんマジ最高」

ユウ「よっしゃ行こ! 根津美術館ー!」

ユウは唐突に走り出した。

暗闇の中に青く光るブルーノート東京の前を駆け抜け、白いファッションビルの無人のショーウィンドーの光を浴びる。

この時間に、この裏通りを車が通る気配はまるで無い。

ミキ「あー、私も!」

ミキちゃんもユウのあとを追って走り出した。

アラタ「あの二人、飲み始めたらソッコー寝落ちするな」

トモコ「たしかに。あ、その前にスーパー寄らないとね。ある?」

アラタ「ユウの家のそばに24時間のやつがある」

トモコ「完璧」

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学生のころ、女の結婚意識について初めてアラタに教えてくれたのはトモコだった。

曰く、出産適齢期である二十代のうちに子供を産むには、25歳のころにはめぼしい相手を見つけておかなければならないのだと。

そういう逆算をしながら女は生きているのだと。

それまでのアラタはそんな考え方に触れたこともなかったから、それを聞かされたときにはずいぶん驚いた。

そしてそれを語った当人であるトモコは、そんな逆算的な生き方をさっさと忘れてしまったかのように生きている。

アラタ「なんとなく、久しぶりにマイと話したいな」

トモコ「うん、マイも喜ぶと思う。変な意味じゃなくて」

アラタ「うん、変な意味じゃなくて。ただ、話したい」

結婚だとか付き合うだとか、好きだとか気になるだとか、そういうことはアラタにはまだ難しすぎるような気がした。

そんなことを考えずに、ただマイと話したいと思った。

アスファルトを照らす街灯や、歩道の脇に並ぶガードレールの細い鉄棒は、ただそこに行儀よくたたずんでいる。

少し右にカーブするこの歩きやすい道を歩けば、その先にユウとミキちゃんが待っている。

まだ金曜の夜は続いている。

ただこの都市に包まれながら、今夜はこのメンバーと過ごす時間を楽しむだけでいい。

その先も、来週も、来月も。

きっと同じだ。

そのどこかで、もしもマイと会える日があるのなら、それを楽しめばいい。

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トモコ「もう一個、ビッグニュースあるんだけど」

アラタ「え、何。マジで? 怖いんだけど」

トモコ「あ、大丈夫。全然怖くない。ウルトラ、あるじゃん。ヘッドライナー決まったよ」

”ウルトラ”は、有明でおこなわれる世界最大級の音楽フェスだ。

アラタ「お、誰?」

トモコ「ヤバいよ。ア。ア?」

トモコはそこまで言うと、アラタの顔色をうかがうかのように目を覗き込んできた。

アラタ「え、嘘でしょ。ヴィ?」

トモコはだまってうなずいた。

アラタ「チーー?!! うぉーー!!!」

見えなくなったユウを追いかけるかのように、アラタは駆け出した。

そして急に立ち止まり、トモコのところまで戻ってきた。

アラタ「マジで?! マジで?!」

トモコ「間違いない! オフィシャルに上がってたもん」

アラタ「あれ、チケット、もう買ってたんだっけ? 結局買ってないんだっけ?」

トモコ「買ってない!」

アラタ「マジか、マジか! このあとユウの家のPC借りて買おう。行こう!」

トモコ「うん、行こう。絶対」

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根津美術館の前で、ユウとミキちゃんが笑いながら待っていた。

ユウ「何叫んでんだよ」

アラタ「あとで言う。行こうぜ」

アラタはお気に入りの交差点の横断歩道を渡ると、青山通りに向けて歩き出した。

金曜日の夜は深い。


小説: 『Friday』inspired by 清水翔太【完】


書く力になります、ありがとうございますmm