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9.レイドバック


 井の頭公園のボートの規定時間は一時間。
それだけあれば、奥の小さな橋から乗り場の横の大きな橋のすれすれまで、池中をくまなく周っても時間があまるぐらいだった。

 搭乗券に記された終了時刻が近づいたところで、二人は船着場に向けてボートを進めた。
帰りに漕いでいたのは、イチのほうだった。
「あれ、さっきの二人、ちょうど前にいるや」
 ボートの後方に据わって前方を見ていたトシが、気づいて声を挙げた。
「さっきの? ああ、女子大生っすね」
 イチは軽くふり返って、自分たちの少し前方で同じく船着場に向かっているボートを確認した。
「ちょうど同じタイミングだったんだな。乗るときいたっけ?」
「さあ、記憶にないですけど、今帰ってるってことはいたんじゃないですか」
「そういうことだよな。まあ、俺らに合わせて帰ってるって可能性もあるけど」
「出た、完全に自意識過剰」
「現実は自分に都合よく解釈したほうが機嫌よくいられるからな」

 池の上にまばらに散らばっていたボートたちとは、それほど広くない池の上で接近したり離れたりを繰り返す。
そうして過ごす一時間の間に、何度も見かけたのが、その女子大生二人組のボートだった。
トシとイチは、そのボートからの視線を感じるという意見で一致していた。
その女のコたちが女子大生だというのはトシとイチの勝手な憶測で、平日の昼間から明らかに暇そうにしている若者といえば大学生で間違いないだろうという、自分たちの現状もよく踏まえた上での判断だった。

「どうします。ボート降りたら、鉢合わせしますよね。さすがにここまでエンカウントしまくると、声かけないのも無礼な感じになってきますよね」
「ねえ、どうしようかねぇ。たしかに、どうせ俺らもこの後の予定も何もないんだけど」
「このまま行くと、船下りるところで思いっきりかぶる可能性がありますね」
「気まずいな、それ。『大丈夫ですか』とか言って、降りるの手伝えばいいのか」

 やがて、トシとイチよりも少し先に船着場に着いたそのボートの二人は、すばやい動きでボートから欄干に上がると、すぐに通路の奥へと姿を消した。
「お、思ってたよりもすばやかった。わざともたついてくれるかなーとか思ってたけど」
「はは、気まずいのか期待してるのか、どっちなんですか」
「さて、わからない。とまどいだね、青春だね」
「ただのビビりなヘタレ」
「何もなかったな」

 船着場から出ると、二人は売店の脇を抜けて正面のトイレに入った。
先に終えたトシは、イチが公衆トイレで苦もなく用を足せるようになったことを嬉しく思いながら外に出ると、そこに自転車よけのためなのか並んでいる車止めのような柵に寄りかかって、さきほどの女子大生二人組みのうちの一人がたたずんでいた。
トシがその様子を簡単に観察していると、もう一人がすぐに現れ、二人は歩き始め、橋を渡っていく方向へと向かっていった。
「おい、またいたぞ、女子大生」
 トシは、ハンカチで手を拭きながらトイレから出てきたイチに言った。
「マジっすか。行動パターンが完全にかぶってますね」
「暇なんだなあ、つまり」
「学生ですからね」
「どうする、俺らも街に向かう?」
「そうっすね、アテもないっすけど、とりあえず歩きますか」
「困った時のタワレコか」
「あ、いいっすね、それ。最近新譜チェックしてないし」
「俺ももう全然わかんないよ。ナズはよかった気がするけど」
「フランク・オーシャン、おすすめなんで聞いてみましょうよ」
「あのビデオわけわかんなかったもんなあ。ま、とりあえず駅前」
「レッツゴー」

 船着場から橋を渡ったところは、ちょうど目抜き通りから階段を下った広場にあたる。
休日ならば違法駐輪と大道芸人などでごった返すその広場も、平日の今日は落ち着いていた。
池を背にしたベンチのところに、ギターと簡単なパーカッションを持ち込んで音楽を奏でている二人組みがいた。
大きなスピーカーから簡単なリズムとベースを流し、それに合わせて音を出している。

「いい感じっすね」
「気持ちいい」
「ちょっと聞いていきます?」
「そうしよう」
 パーカッションとギターは、お互いのこともスピーカーから流れるリズムの反復と変換のこともよく知り抜いているようで、リラックスしながら簡単に合わせていた。
アンプを通した音の大きさと、力の抜けた演奏が、午後三時のぬるい大気と溶け合って絶妙な抜け感(レイドバック)を作り出していた。
「生演奏ってのはいいもんだな」

 トシとイチは少し離れたところに立って演奏を眺めていた。
「外だから、でかい音でも遠くに抜けてっちゃうところがいい」
「いい感じっすね」
「警察来たりしないのかな」
「さあ、こんだけいたら怖くないんじゃないですか」
「そういや、お前フェイスブックに外人とギター弾いてる画像載っけてたよな。あれ、ここら辺でしょ」
「あー、そうですそうです」
「あれ、何の流れでああなったの?」
「ぼく、吉祥寺のギター教室にちょっとだけ通ってたんで、その帰り道に井の公に来たんすよ。で、適当に弾いてたら、ギター持った外人が通りかかって一緒に弾いたんです」
「そうなんだ。あれ、楽しそうでいいよな」
「まあ楽しかったっすよ。最初はちょっと戸惑いましたけど」
「そりゃそうだよなあ。いきなり合わせようなんて言われても」
「こちとら下手っぴですからね」
 そのまましばらく演奏を聞いていた。やがて、満足して来た頃にトシが言った。
「そろそろ行くかい」
「そうっすね。行きましょう」

 当初は完璧にマッチしていたと思えたものも、時が過ぎると完璧さを見失っていく。
ゆったりと眺めて、なんとなく飽きた頃に立ち去る。
そういうタイミングは、一緒に過ごしている同士は不思議に共有するものだ。
「バイト何時からだっけ?」
 パーカッションを叩く男の踊りまわる手を見ながら、トシは尋ねた。
「五時からです」
「そうすると、もうあんまり時間ないね。服屋とか本屋も回ろうかと思ったけど」
「タワレコ行ったらいっぱいいっぱいぐらいですね」
「そうか、残念」
「シフト代わってくれる人見つけられれば、行かなくてもいいんですけど」
「え、でもカネ稼がなきゃいけないんでしょ」
「そうなんですけどね、最近はちょっとだけ余裕出てきたんで」
「そうなんだ。まあ、まだ話すこともありそうだから、残ってくれたら嬉しいけどさ、一番自分のためになりそうな選択をすればいいよ」
「そうっすね、ちょっと考えます」
「うん、とりあえず、行こっか」

書く力になります、ありがとうございますmm