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3-4.ウェスト・東京


 俺が冬の装いを好ましく感じる理由は、夏服が体の上に「乗せる」ことによって体を飾るのとは違い、体を「包む」ことによって一種の謙虚さが表れるからだ。
その日、ギャラリーの外に先に出てで待っていた俺のもとに出てきたミエコちゃんは、紺のウール地でできた変形のピーコートのような上着と、首にはベージュのマフラーを巻いていた。
西洋が数百年にわたって語ってきたコードにもとづいたその冬の装いは、彼女が理性的な文明人及び文化人である事をほのめかしていた。
「どこ行く?」と声をかけながらすぐに歩き始めたミエコちゃんの後を追うようにして、俺も歩き始めた。

 どことも決めないまま、青山通りを表参道のほうへ向かって歩いた。
これはつまり、都内で最も主要な環状路線である山手線の、新宿から渋谷へつながる一端に平行して南下している事になる。
乾いた風の中、上着のポケットに簡単に手を突っ込んで、大通りの歩道を無頓着に歩くミエコちゃんは、自分が独立した一個の存在である事を知り、それを引き受けていた。
日本で最も資本が投下される東京という都市の中でも、さらにまた先端的に資本がよく投下されるその大通りを歩く時、膨大な石と金属とガラスと、それらを束ねるデザインという名の調和が、俺たちに富の祝福を与えているのを感じていた。
そしてそれらのビルの下には、その時の俺たちにふさわしいカフェやレストランがなかなか見つけられないのだった。
「まあいいんじゃね?」と声をかけながら、特に急いだり探し回るでもなく、淡々と歩いた。
俺たちには話したい事がたくさんあって、ゆっくり歩きながら話すのは居心地がよかったからだ。

 まず話すべきなのは、ミエコちゃんの今の生活、俺の今の生活についてだった。
そしてそこから自ずと生まれる興味として、ミエコちゃんの今までの生活についても聞きたかった。
何をして、何を見て、誰と出会い、何を思い、どのように行動したのか。
中学を出て以来、特に思い出すこともほとんどなかった彼女が、俺の知らないところでどんなふうに生きてきたのか。
そんなことにたまらなく興味を引かれてしまうのは、大人になったミエコちゃんに魅力を感じていたからなのだろう。
そしてさらに、特別に親しかったわけでもない中学時代、あの生活がミエコちゃんの目にはどんなふうに映っていたのか。
何を思い、あの校舎に生きていたのか。
今となって初めて知れる、あの時代の違った側面を、ミエコちゃんの口から少しずつ聞けるのが楽しかった。

 そんな具合に、ミエコちゃんと話したい事はあとからあとから湧いてきて尽きないほどだったけれど、俺は別に焦っていたというわけではなかった。
夜は穏やかで、道幅の広い道路の歩道にはほどよくまばらな人影が散っていて、騒ぎも喧騒も何一つなく、道のりは遠くて俺たちはまだ歩き始めたばかりだと知っていたから。
少しずつ、一つずつ話したい事を重ねていき、またその一つ一つから、いくつもの枝葉が広がり会話には終わりがなく、お互いの世界を知り、共有していく。
そうして広がっていく未来を思うと、なぜか希望といったようなものが胸に広がってきて、わくわくしてしまうのを感じた。


 その日、表参道の裏通りでパスタを食べた後、俺とミエコちゃんは代々木公園を歩いた。
代々木公園は奇跡の公園だ。
渋谷と原宿と新宿の間に位置するこの公園は、なんと二十四時間出入り自由である。
眠らない街に囲まれたこの公園は、一晩中混雑している渋谷や新宿とは対照的に人影が少なく、それでいて平和なのだ。
広い公園のどこを歩いても、視界にはいつも数組の人々がいて、どの人たちも自分達なりの楽しみに興味を向けているから、余計な警戒心を起す必要が無い。
喧騒に満ちた賑やかな街がすぐそこにあるのを確かに感じられながら、広々として落ち着いた空間で自分なりの時間を過ごせる。
それはまるで、日曜の朝に家族はもう起きて賑やかに朝ごはんを食べている声を聞きながら、一人ベッドでなんとなく好き勝手に朝寝坊をしていたあの瞬間のように、安心と自由の入り混じった居心地のよさがある。

 俺とミエコちゃんは、街灯に照らされて浮かび上がる重厚な入り口のゲートを抜けて、林の中へゆるやかに湾曲していく道を歩いた。
広い芝生にはいくつかのグループが車座にすわって、缶の酒を飲んでは笑い声を上げていた。
俺達は気が向いて、芝生に座ってみたりした。
座ってみると、芝生の縁を湾曲した道が囲んで、道の向こうには木々のまばらな林がある。
林の先の柵を越えたところには車が行き交う道路だ。
ぼんやりと明るい広い道路を断続的に通り抜けるクルマのタイヤがアスファルトをこする音は、ここが文明世界の一角であることを知らせていて、どこか俺達を安心させるものだった。
道路のさらに向こうには、代々木体育館のねじれた屋根があるはずだが、林に隠れてそこからは見えなかった。
長時間じっとしていると冷えてくるから、俺達はあまり長くは座らずに歩き続けた。
湾曲した道に沿って進んでいくと、花壇に囲まれた花のアーチをくぐり、噴水を頂いた長方形の石のプールがあり、少しずつ低くなっていつの間にか広い池に消えている水辺があった。
林の暗闇の中に少しずつ浮かび上がってくる三角屋根のログハウスのような建物は、機能としてのトイレに似合わぬ瀟洒なたたずまいで、その窓と入り口からは灯りがこぼれていた。

 東京にいる限り、俺はいつもどこか追い立てられているような感覚がある。
自分が何者なのかをいつも考えている。
その焦りが安定的に解消されるのは、海外にいる時だけだ。
海外にいる限り、俺は自分から何かをするまでもなく、他人から見て異質な「外国人」であり、顔見知りから見れば「日本人」という立場をあらかじめ与えられている。
ミエコちゃんと代々木公園を歩いている時、なぜか俺はまるで外国にいる時のような確かな自分を感じていた。
その日の会話の中で知った事だが、ミエコちゃんは赤坂のワークショップでも講師を務めていた。
それはどちらかというとアルバイトに近いようだけれど、サークルと仕事を通じてさまざまな人たちと交流するのをミエコちゃんは楽しんでいた。
彼女は成熟した大人として社会に出られるようになったことを喜び、日々を楽しみ、東京を楽しんでいた。
そんなミエコちゃんとお互いのことを語り合いながら代々木公園をのんびりと歩く時、東京で一生を過ごしてしまうのも悪くはないのではないかと、俺は少しずつ感じ始めていた。

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KC_KC_
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