9.2007年デート事情


 イチとフミがデートの行く先に困るという事はなかった。
二〇〇〇年代の東京に生きている十九歳の若者が退屈するなど、まったく道理に合わない事だ。


 たとえば山。
キャンパスの裏手には東京のほとんどの人々が一度は足を踏み入れた経験がある山がある。
東京という都市は地理上において一個の平面で、その平面の端から、山々が盛り上がっている。
盛り上がっている最初の山に登って見わたせば、東京という平面が一望できるわけだ。
そして夏になると、その山の上には期間限定のビアガーデンが開かれている。
夏の夕暮れ時にこの山から東京平野に向かって見わたすと、右手と左手の視界の隅には、ずっと背後の奥深くまで険しく続いている山々の端が見える。
そしてその視界の両隅に見える山の端以外の正面のすべては、はるかかなたの地平線まで延々と無限につづくおびただしい建物、住居やビルや塔が隙間なくびっしりと敷き詰められた人間世界の発展の極致の光景だ。
ほとんど星の数よりも多いそれらの建物には、さらに無数の窓や街灯が散りばめられている。
日が暮れ始めて青と赤と紫と黄色の入り混じった薄暗い空の下に、凝縮されていると同時に茫漠と広い、人間平野の無数の灯が輝き、またたいているのが見える。
そんな景色を見ながら、蒸し暑い日本の夏の夜に、山の荘厳な静けさの中に狭く浮かび上がる人々のざわめきの中で、椅子に腰掛けてゆったりと恋人とグラスを合わせてビールを飲む事を、特権と言わないのならば何と呼べばいいのだろう。
この恋人たちというのは、もちろんイチとフミのことだ。

 イチとフミは、このひと夏でこの山のビアガーデンを二度訪れた。
一度目はすべての試験が終わった日、キャンパスから直接向かった。
キャンパスから麓まではクルマで十分程度だ。
そしてロープウェイに乗ってさらに十分ほど登れば、そこはすでにあの景色が見わたせる高台である。
この時はもちろん、ビールは飲まずに展望台から景色をずっと二人で眺めていただけだった。
二度目は、八月の第二週の平日。
今度は、ロープウェイではなく歩いて登ってみようと再び訪れた。
暑い盛りとはいえ、時間にたっぷりの余裕をもって、木陰の道をのんびり歩くにはむしろちょうどいい季節とすら思えた。
人里からちょうどいい距離を置いて、都内でもメジャーなレジャースポットを、それほど混みあっていない平日の朝から晩まで満喫できるのだから、楽しくないはずがなかった。
長く濃密だった一日の終わりに山をくだる時、心地よい披露と酒に陶然としながら、足下に見える人里に向けてくだっていくロープウェイで広い夜景を眺めつつ山を降りた後、
電車の駅へと向かう最後の温泉郷のような人気の無いなだらかな暗い下り坂を駆け下りていく時、イチはフミとめちゃくちゃに溶け合いたいほどの愛と欲望が体に浸透してくるのを感じていた。

 山といえばこれだけではない。
特に言っておきたいのは、東京を貫いて流れる大きな川を源に向かってさかのぼると見つけられる、喧騒から離れて秘められた空気を宿す渓流の事だ。
その川に沿って、山の間を縫うように一本の単線の線路が走っていて、その路線の駅からは、どの駅で降りても、この渓流を間近で楽しむ事ができる。
というのは、川沿いにどこまでも散策路が敷かれているから、どこから始めても歩きやすい道が用意されているからだ。
深い森に包まれた谷の底、水が跳ねては潜るゴボゴボという愉快な音を聞きながら、夏の厳しい日差しを木々の葉がまばらに和らげてくれた木漏れ日の下を、水筒と弁当をかばんに入れて静かに言葉を交わしつつ、急ぐともなく足の赴くままに歩いてくる恋人たちがいるとしたら、青春としてこれ以上にふさわしい情景を他に思い浮かべる事ができるだろうか。
この恋人たちというのは、もちろんイチとフミのことだ。

 イチとフミは、道が少し川から離れて高台に上ったところに偶然に見つけたあずま屋で、お互いにつくってきた弁当を広げていた。
フミの作ってくれた弁当は、イチの家庭ではまず味わえない味付けで、確かに他人の手によるものである事を実感させた。
そしてフミがイチのためにそれを作ってくれたのだと思うと、味そのものというよりはむしろ愛で美味が増すのだ。
フミが手放しで褒めながら食べてくれている弁当はイチの自信作で、イチが自分でもそちらを食べたい気持ちになるほど上々の出来だった。
ごくまれに他の散策者が通り過ぎるほかは、森と川と鳥と虫と太陽に囲まれて、イチとフミは完全に二人きりだった。
散策路は時に川と交差し、そんな箇所には川を歩いて渡るための飛び石が設えられている。
飛び石を渡るフミをイチが後ろから眺める時、きらきらと眩しく輝く水の流れの上でジャンプする、ほっそりとして白く柔らかなフミは、青く若い生命そのものだった。


 この夏、イチとフミは他にもいろいろな場所に出かけた。
京都の貴重な仏教美術が、普段の寺にある時とは趣向を変えた展示で見られると知れば上野に出かけ、公園をのんびり歩いてから駅前の崖の中腹にある居酒屋に立ち寄って酒を舐めて帰ってきた。
美味いお粥が食べたいと思いついて横浜の中華街に出かけ、山下公園から桜木町まで、まばゆい夜景と静かに華やかな埠頭の海の暗闇の隙間に生まれるロマンチックな気配を全身に浴びるようにして歩いてから帰ってきた。
タイ文化の交流イベントがあると知れば代々木公園に出かけ、原宿の表参道や裏道の様々なショップをのぞいてから帰ってきた。
府中で映画を見た後、多摩川の土手に座って夕焼けの雲と一番星を眺めてから帰ってきた。
電車の中吊りで興味を持って出かけてみた六義園がとても良かったので、他の日には浜離宮の庭園を眺めに行き、帰りに汐留のビル郡を見学して帰ってきた。
お笑いライブのチケットをたまたま手に入れたので品川に行き、ついでに水族館も満喫してから帰ってきた。
小江戸を売り出し始めた川越に出かけ、せんべいをかじりながら街並みを眺めて帰ってきた。
友人の劇団の公演を中野に見に行き、その日が高円寺の祭りの日だと気づいたので立ち寄ってから帰ってきた。
あるいは、イチの両親が旅行に出かけて家が空く時などは、フミが泊まりに来ることもあった。
そんな時は、二人で料理を作り、借りてきたDVDを見て、風呂に入って眠るのだ。それは素晴らしい時間だった。

書く力になります、ありがとうございますmm