7.「Because of You」 – 『FLY』 全曲ソウルレビュー –

※2018年1月21日に自作ブログに投稿した記事のサルベージです

「歌」をとどけるポップソング

アルバム『FLY』の7曲目「Because of You」はシンプルなソウルミュージックだ。

今の時代にはそれが逆にトレンドに響く。

ソウルフルな「歌」に特化した楽曲で、イギリスから全世界のチャートを席巻しているのはSam Smithだ。

Sam Smithの存在を俺が初めて知ったのはたしか2013年ごろ、「Latch」のアコースティックバージョンがFacebookのタイムライン上で話題になった時のことだったが、俺はすぐに「男版Adele」が現れたことを直感した。

そしてその直感どおりに、Sam Smithは今では、押しも押されぬトップアーティストの仲間入りを果たした。

現代のチャートは、EDMと呼ばれるクラブ型のダンスミュージックによって席巻されているようではある。

しかし一方で、しばしばシンプルな歌ものの楽曲が、年間チャートの上位にしっかりと食い込んでいたりする。

2014年にSam Smithの「Stay with Me」と共にチャートの上位にとどまりつづけた、Passengerの「Let Her Go」。


人々で混然としたスタジアムやクラブで、アリーナやフロアの群衆の一体となりながら音楽に身を任せることは、強い高揚感をもたらしてくれる。

そして一方で、ステージに釘付けになり、周囲のすべてを忘れるかのように孤立して歌に入り込むことや、部屋で一人きりで楽曲に耳を傾けることもまた、強い感動をもたらしてくれる。

いずれの場合にもそこにはエモーションがあり、人々が音楽を聴く理由はしばしばエモーションのためだ。

そしてエモーション、これが問題なのだ、人間にとっては。

おそらく、人間の性質の中で一番賢いのは、エモーションだ。

ロジックではなく、エモーションのほうが、おそらく正しい。

正しいというか、エモーションのほうが、言葉や記号を用いたロジックよりも、さらに速く遠く正確にロジカルだ。

ジレンマ

2018年の日本ほどに豊かな社会であれば、嬉しいことや楽しいこと、ワクワクすることやときめくことをメインに生活を構築することは、その気になればおそらく可能だ。

それはいわばライフハックであり、仮説と行動と効果検証でハックの精度は上がっていく。

しかし人間の心というものは不思議なもので、効果や効率で、自分の欲しいものに誰よりも適切な仕方で手が届いているにも関わらず、心に澱のようなものが溜まっていくことがある。

たまたま昨日、マイケル・フェルプスの鬱に関する記事を目にした。

複数のオリンピックでいくつもの金メダルを乱獲する一方で、フェルプスは薬やアルコールで「自己治療(セルフケア)」をおこなっていたという。

同じ記事にはイアン・ソープもアルコールの「セルフ・ケア」でなんとかバランスを取っていた事にも触れられている。

目的に応じた効果や効率などの生産欲(エロス)と、それらも含めたすべてを破壊したいという破壊欲(タナトス)。

人間の心にはその両方が共存している。

愛し合う2人は
何も恐れない
傷つけあうたびに
誇らしくもあった

その両方を誰かに見せて、共有することが「愛」と呼ばれるのかなと、少し思う。

普通、タナトスのほうは、社会的場面に持ち出さない。

「俺、ホントに夢とか仕事とか超どうでもいいと思うし、誰かに気ぃつかったりとかクソくだらないし、ここじゃないどこかに行きたいけどどこに行くのもめんどくさい」。

とか、そういうことは普通、人前では言わない。

「傷つけあうたびに誇らしい」のが何故かといえば、それほどまでに「他とは違う特別な関係」になれていることを実感するからだろう。


本当は、傷つけあうとかそういうことも、やらずに済むならそのほうが、効率的にはいいはずだ。

だって、しんどいから。

楽しいことや嬉しいことや、ワクワクすることやときめくことで生活が埋め尽くされるなら、そのほうがいい。

でも、どこかで、心の別の部分で、誰かをメチャクチャに傷つけたいとか、傷つけられたいとか、もうちょっとしんどくても重くても成立する関係があればいいのにとか、そういうことも思っている。

これは、矛盾だ。

矛盾だけど、本当の気持ちだ。

そしてエモーションが求めるなら、それもたぶん生きる上で必要なことなのだ。

運命について

誰といても、何をしても
どこか孤独だった
どうしてかな 君想えば
孤独(ひとり)も怖くない

おそらく誰もが、いつだって、「孤独じゃないといいな」と思いながら、同時に「もっと孤独だといいな」とも思っている。

『FLY』というアルバムにはそのどちらも気持ちも、混ざり合いながら、時には曲ごとにどちらかに振り切れながら、入っている。

それでも僕のこと
嫌いにならないから
荷物の紐をほどいて
君といると決めたんだ

「Because of you」の「you」が、なぜその人だったのかについて、おそらく明確な根拠はないだろう。

あらかじめ結び付けられていた「赤い糸」の運命だとか、神の神託によって定められているとか、まるでイデアの世界で一心同体だったかのように相性がピッタリとか、そういうことは無い。

もしも根拠があるとしたら、それはおそらく、その人の「今」の人格や、自分との「過去」の物語よりも、「未来」の関係に根拠を置いている。

「この人とこれから過ごしていく」というイメージだ。

運命を決めるのは過去ではなくて、未来だ。

たとえ遠く離れても
愛は消えないと誓うよ

だからもしも本当に、「遠く離れても消えない愛」を守るのなら、過去に土台を置いてはいけない。

「私たちはあんなにいろんなことを乗り越えたんだから大丈夫だよね」というのは根拠にならない。

「私たちはこれからいろんなことを実現するんだから大丈夫だよね」という風にするのがいいと思う。

そういうのを「誓い」というのだろう。

たぶん。



書く力になります、ありがとうございますmm