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夢を叶えるタネ

『もしも夢が叶うなら、僕はどんな人間になるんだろう。お金持ち?サッカー選手?それとも、〇〇〇?』

「いらっしゃいませ」

アンティーク調のドアを開けると、すらりとした体型の女性がカウンターの前に立っていた。前髪から揺れる灰青色の瞳がこちらを覗き、窓から漏れる光の反射でブラウンの髪の毛が透き通っている。うつくしい人だと思った。

「すみません、夢が叶うお店があるってネットで見たんですが……」

「……口コミってバカにできませんね。チラシを配るのにもお金がかかりますし」

彼女はカウンターに肘を乗せ、自身のスマートフォンに目を落とした。

「あの……」

「失礼。こちらの話です。大丈夫、合ってますよ。夢が叶うお店で。厳密にいうと人々の夢を叶えるタネを提供しています」
どうやらネットで掴んだ情報は間違っていなかったようだ。

店主らしき女性に「夢を叶えるタネ」について説明してもらった。どうやらタネを育てることで自分自身が成長し、花が咲いたら夢が叶うシロモノらしい。
そして重要なのが、タネを使用すると本人の意思とは関係なく"死ぬ"可能性があるということだ。文字通り死をもたらす危険性をはらんでいる。うまい話には裏があるといったものの、物は試しともいう。僕にしては珍しく強気な感情が芽生えていた。

容姿、頭脳、人望、すべてにおいて「平凡」だった僕が唯一志したのが芸人だった。テレビやYouTubeで活躍している人気芸人、地方ロケで爆笑をかっさらうローカル芸人。大学受験に失敗し、現実を受け止められずに落ち込んでいた僕を、誰よりも笑わせてくれた存在。何より画面の向こうにいる彼らが楽しそうで、まぶしかった。

コンプレックスで塗り固められた人生を変える一筋の光。夢物語のような夢がこの店にはある。行きづまった現状を打破したい一心で、僕はタネを売ってもらえるよう彼女に頼んでみた。

「ちなみにそのタネって、いくらですか?」

「……こちらへ」
彼女は操作していたスマートフォンをカウンターの下に伏せ、静かなトーンで店の奥へと案内した。

そこには密閉された植物のタネがショーケースの中にいくつか並べられており、各プレートに名前が刻まれていた。

「こちらは"勉強やスポーツが得意になるタネ"です。休まなくても羽のように体が軽くなる優れものです。エナドリの超・上位互換といったところでしょうか。こちらは"老後の資金に困らないタネ"。将来の不安もなく、安心して余生をお過ごしいただけますよ」

ニコリと笑いかけられた僕の心臓が跳ねる。本当に夢のような話だ。夢とは、果てない目標の中であがき苦しみ、ようやく手にするものだ。こんな簡単に手に入っていいものではない。これじゃまるで……麻薬だ。

「……やっぱりいいです。見せていただきありがとうございました」

あれだけ渇望していた夢を目の前にして怖気づいた自分が情けなく思う。僕の覚悟なんてこの程度だったのだ。

わかりやすく肩を落として部屋から出ようとすると、彼女の華奢な手が僕の胸ぐらに伸びてきた。

「うわっ?!」

「アナタの夢は?」

「げ、芸人になること、です」

「まあ!素晴らしいですね!」

わざとらしいオーバーリアクション。なんとなく小馬鹿にされた気がして、正直腹が立った。これだから他人に夢を話すのは嫌なんだ。

「だっ、だめなんですか!芸人目指してちゃ……」

「滅相もない。お気を悪くされたら申し訳ありません」

見た目に反する握力から解放され、深く息を吸う。この場で殺されるのはごめんだ。思いがけない行動にたじろぐ僕を差し置き、彼女は話を続けた。

「ただ、お客様のような上級者向けのタネをお求めになる方が珍しくて……大抵はすぐに叶えられそうな夢をご希望されるので」

「すぐに叶えられそうな夢、とは?」

「先ほどご覧になった"勉強やスポーツが得意になるタネ"もそうですし、おなかいっぱい食べられるタネ、なんてのもあります」

「たしかにそれは……すぐに叶えられそうですね」

彼女は僕の表情を見て、不思議そうに首をかしげた。

「何か誤解をされているようですが、私はあくまでお客様の夢を叶えるお手伝いをしているだけなのです。背中を押してくれるような存在……その一押しが欲しくて、このお店を訪ねてくるお客様が沢山いらっしゃいます。そして夢を叶えるために奔走する。結局は、自分で動かないといけませんから」

「……花が咲いたら、夢は叶うんですか?」

「叶いますよ。それがこの店のウリですので」

おどけずに僕の瞳を見つめる彼女の言葉に、嘘は感じられなかった。

「……その花が途中で枯れることはないんですか?」

彼女は少し間を置いて「そうですね。アナタの頑張り次第です」と答えた。
タネを育てるということは、死と隣り合わせになるということだ。その覚悟が今の僕にあるのだろうか。けれど、叶うのだとしたら。少しでも望みがあるのなら……育ててみたい。

「わかりました。買います。えっと、お代は……」

「結構ですよ。初回サービスです」

彼女はそう言うと、"芸人になれるタネ"をジップロックに入れて差し出した。ショーケースに飾ってあるわりには、随分とずさんな扱いだ。
お金を払わないことに抵抗はあったが、保証書がない代わりの初回特典と聞いて納得した。たしかに夢の保証はどこにもないのだから。

「では、お客さまの検討をお祈りしております」

「はい。ありがとうございます」
カランコロンと閉じるドアを背に、僕は急いで自宅へと戻った。

行きはあんなに長く感じた道も、帰りは新幹線のように早かった。ゼーゼーと息を切らして玄関を開け、靴を脱いで自室にとじこもる。
(やった、これで芸人になれるぞ。僕をバカにした連中を見返してやる。冴えないやつが頂点とるところを、お茶の間に見せつけるんだ)

さっそくジップロックからタネを取りだし、同梱されていた植木鉢のふかふかの土に埋めて、水をかける。
ああ、すごくすごく、楽しみだ。

カサ、

帰り際、彼女から手渡された取り扱い説明書が床に落ちた。

『これは夢を叶えるタネの専用バサミです。もし今の夢を諦めたくなった場合は、このハサミを苗や花にお使いください。すべてを終わらせることができます。それから……』

商品名『夢を叶えるタネ』-取扱説明書-

ちゃんと目を通しておいてくださいね、という彼女の言葉が頭をよぎった。時間は惜しかったが、言われた通り説明書に目を落とす。その一方で、早くタネを試したい気持ちで溢れていた。無理もないだろう。僕にとっては、どんなハイブランドの時計よりも価値があるのだ。
隠しきれない高揚感に包まれながら、読み終わった説明書と専用バサミを引き出しの奥に入れ、秘蔵のネタ帳を取りだした。

「やってやる!」
こうして、夢への第一歩が始まった。




それからは順調だった。雨の日も風の日も愛犬が死んだ日も、僕は芸を磨くことで周りに認められ、耐えがたい悲しみも乗り越えた。
ずっと注目されたかった。ずっと褒められたかった。何者でもない僕が、ようやく陽の目を浴びられた。こんなに嬉しいことが世の中にあったなんて。

もっともっと、僕を見ろ!

タネは想いに応えるように、みるみる成長していった。あれから十年経ち、それなりの地位を確立した。テレビに引っ張りだこの毎日。ファンの女の子に囲まれる日々。〇〇さんと慕ってくれる後輩もできた。噂の営業にも手を出した。売れるために、どんなこともやった。これでよかったんだ。そうじゃなかったら、僕は。

いや、心配はいらない。まだ蕾のままだが、明日には大輪の花が咲くはずだ。きっと大丈夫。大丈夫。大丈夫?

考えごとをすると余計に眠れなくなる。つべこべ言わず寝るべきだ。明日も早い。久しぶりの舞台に期待を胸にふくらませ、気だるい瞼を閉じた。

その翌朝、僕は死んだ。








「……生命反応なし。今回もダメでしたか」

スマートフォンの画面を眺めながら、彼女は小さくつぶやいた。

(人間というのは、どうしてこんなにも愚かなのでしょう。きれいな花はそれなりの手間がかかるからこそ美しい。慢心していては、土壌の養分にもなりません。……彼には期待していただけに残念です。そんなに分かりにくかったでしょうか、この説明書)

『これは夢を叶えるタネの専用バサミです。もし今の夢を諦めたくなった場合は、このハサミを苗や花にお使いください。すべてを終わらせることができます。それから……夢は叶えるものですが、命に替えてまで叶えるものではありません。もし辛くなったら、いつでも断ち切る勇気を授けます。』

商品名『夢を叶えるタネ』-取扱説明書-

推敲が必要ですね。と彼女はほほ笑み、スマートフォンの光を閉じて店の奥へと消えていった。



ここは夢を叶えるタネのお店です。
どんな夢でも叶えます。どんな望みも叶えます。
叶えられるかどうかは――アナタ次第ですが。

読んでいただき、いつもありがとうございます。とても嬉しいです!