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夏の終わり

晩夏の夕暮れ、少し涼しくなった風に、少しほっとした気分で、帰り道をゆっくりと歩く。

ふとした瞬間に、自分はいつまでも夏を追いかけていたいのだなと冷静になり、その過剰な幻想、手にすることもない憧憬に、自分はいつまでもこのままなのだろうなと、あきらめのような生温かい空気のなかでゆっくりと深呼吸をする。

目の前になんとなくあるものに意味を付けて、自分自身が選択することから逃げるように、それに身を委ねてきた22年間は、恐ろしく惰弱でどうしようもないものであった。おとなになればきっと、なんとなく自分が見ている、あんなおとなになれるのだろうなと見ていた堕落的な憧れは、やはり幻想であったが、この夏もそれに気付かないふりをしていた。

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この自分自身に対するあきらめの文章も惰性に過ぎないし、なにかを変えようと本気で思うのならば、その自分自身の怒りなど言葉にせずとも、きっとひとつひとつの選択に対して変わり続けることはできるだろう。でも、もう少しだけでいいから、このだらだらと生き続けてきた感情をそっと抱えていたいと思うのは何故だろう。

自分は弱い人間です、でも頑張りたいんですという言葉に散々騙されてきたのは紛れもなく自分自身であるが、それを追いかけ続けてきたのも自分である。もう分かりきったよと悲哀することの無意味さを少しだけ理解して、その自分自身をあきらめをもって抱きしめることの大切さを覚えたのかもしれない。

横浜に引っ越してきてはじめての夏が、もうすぐ終わる。



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