Kobayashi

日々の記録

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最近の記事

ディスコまたはベルリンと廃墟

僕の初めてのディスコ体験を残しておく。話は5年前の夏、22才の僕がぼんやりと体験したものを今更だが思い出したくなった。というのも、東京に出てきてから自分が探していた場所はなにか、ということを少し立ち止まって考えてみたくなった。 - 僕の記憶が正しければベルリンの中心部から南に向かう郊外の一部にモルシュトラーセ通りというのがあり、第二次世界大戦時に都市の骨格を成す主要道路に面した集合住宅が大きな被害を受け、その傷痕と瓦礫の山が残されたままアートビレッジとなって夜な夜な音楽が

    • 無題

      気がつけば27才になっていた。仕事でお客さんと話をしているとよく年齢を聞かれるが、自分が言葉にする「26才」と「27才」の響きの違いにまだ慣れていない。生きてきた年数というのは本当にくだらないことではあるが、やはりその事実は捨て去ることはできない。まだそのしがらみと焦りに疲弊している自分をみると、17才の僕と今の僕はなにが変わったかわからなくなってしまう。ここでいう10年という数字にはまったくもって意味を持たない。区切りというのは便利で合理的な道具かもしれないがその数字に興味

      • 踊り続ける先に何がある

        完成させる気力もないのに、このモヤモヤしたものをなにかとして言い切ってしまうと、僕はああこれでいいのかと簡単に割り切ってしまって気付いたら定年間近のなんでもない午後4時の憂鬱になっている気がして、もう少しだけこの不確かな時間を過ごしていたいと思ってしまう。 いやむしろこの状態で居続けることで同じように、空っぽの時間ができてしまうだろうか。形にならないものに興味がある。圧倒的に言葉にできないこと、その困惑と曖昧さに後髪を引かれる。それは未熟とか非力とかそういう種類ではなくて、

        • なんでもない日々

          大学院を中退した。東京で一人暮らしを始めた。馬鹿みたいに通り過ぎた、幼馴染との横浜での時間は夢をなんとなく思い出しているように遠くに放り投げた。また、僕はそこにいるのが息苦しくなってその場所から離れた。大人になってから初めて恋をした。まだ夢の中にいるように、お互いの息を聴いて、君の溶け出した言葉をなにも考えずに脳に通り抜けさせていた。何も聴かないように、なにも考えないようにするのが精一杯だった。愛おしくなることは幸せなことなのか、また立ち止まってしまった。終わらない仕事と睨め

        ディスコまたはベルリンと廃墟

          小鳥と枇杷の実

          大学の学生寮に住んでいる。ここに住み始めてから一年と少しが経つ。ベッドと学習机が置いてある個人のワンルーム、共同のキッチンとシャワー室、洗濯室。3つの住居棟と交流棟が、傾斜地にひな壇状に建っている。寮の敷地内は空に向かって大きく伸びた樹々が建物を呑み込むように立ち尽くしている。 横浜に来てから街に出るか、大学のスタジオにいるかで、学生寮は寝るときくらい。いやなんなら寝るときも外でいることが多かった。課題に追われて力尽きて、自分のデスクで突っ伏しているか、どうしようもなくなっ

          小鳥と枇杷の実

          アルバイトと暴力

          横浜に来てから、某飲食チェーンでアルバイトをしている。もともとは派遣として入っていたけど、派遣も超過労働で働けなくなり、よくお世話になっていたそのお店に誘われて、キャストとなった。 派遣で入っていたときから、バングラディシュから日本語を勉強しに来ている同い年の人がいた。昨年、大学院のプログラムでベルリンで行われたWSに参加したときに、異国の地で人とコミュニケーションをとることの難しさを身に染みて感じていたので、彼が日本で働きたくて、日本語を勉強しにきたんだと話を聞いて、同い

          アルバイトと暴力

          この街でみた空

          春休みは設計事務所でアルバイトをしている。 7階建てのマンションの一室、住宅の一部を事務所として使っている。前の街にいたときも、設計事務所には通っていたけど、横浜に来てから初めて通う事務所になる。 かつての事務所は、大地の上に立ち、図面や模型を広げて、デスクに向かっていた。天井はガラス張りで、窓を開ければ青空の下で建築に想いを馳せていた。雪の日にはガラスの屋根が塞がれ、晴れて雪が溶けると、事務所に太陽の光が降り注いだ。たまに、鳥が事務所のなかに迷い込んできたり、寒くなってく

          この街でみた空

          Paralysis of Introspection

          内省麻痺って知っている?と友人に言われて、僕はなにか麻痺しているのかと、不安になりながら、知らないと答える。 Paralysis of Introspectionー内省麻痺とは、簡単に言えば、自分自身の内面を過剰に考えすぎてしまうことらしい。それは反省ともまた違う。 あるコラムによれば、反省とは「点」であり、内省とは「線」であるという。反省は過去の自分の言動に対して、個別具体的にその事案について振り返ること。 「あのシチュエーションで、お客様にあの提案をするのは良くなか

          Paralysis of Introspection

          夏の終わり

          晩夏の夕暮れ、少し涼しくなった風に、少しほっとした気分で、帰り道をゆっくりと歩く。 ふとした瞬間に、自分はいつまでも夏を追いかけていたいのだなと冷静になり、その過剰な幻想、手にすることもない憧憬に、自分はいつまでもこのままなのだろうなと、あきらめのような生温かい空気のなかでゆっくりと深呼吸をする。 目の前になんとなくあるものに意味を付けて、自分自身が選択することから逃げるように、それに身を委ねてきた22年間は、恐ろしく惰弱でどうしようもないものであった。おとなになればきっ

          夏の終わり

          最悪で最高の時間と、過ぎて行く時間と

          成人式以来の友人と酒を交わす。たわいもないこと、オトナになったんだなと、断絶した時間を取り戻すようにあーだこーだと話が弾む。 みんな立派になっていたんだ、国際会社で世界を舞台に飛行機の部品を営業するもの、医者を目指してあと2年実習と放浪をして、これからの舞台に準備するもの、社会人として、来たる明日へまた務めるもの、本当に時間は過ぎているのだなと、当たり前のことにはっとしてしまう。 久しぶりの実家、父も母も寝静まった夜に、音を立てまいと、ゆっくりとモーションを自分のものでは

          最悪で最高の時間と、過ぎて行く時間と

          なにもわからなくていい

          休学して海外を放浪していた友人が帰ってきた。この1年間、自分と向き合い、日本を離れ、なにかを求めて旅をしていた友人の顔は、きっと輝かしくて、眩しくてしょうがないのかと思ったが、そんなことはなく、1年前のあの頃の顔となんら変わらない様子であった。 わからないことはわからないまま、人とひとが心を通わせることなどできるわけがない、そんなことは、僕たち心が通じあっているよね、と共感を求めた馴れ合いに過ぎない。自分の欲求を満たすためのあなたがいるとしたら、きっとあなたへの意志は自分の

          なにもわからなくていい

          誤魔化すなよ

          東京という都市はたくさんの領域が拮抗するように、または重なるはずのないものが重なり合い、空間のズレ、日常では起こるはずがない記号論的な意味から浮遊したなにかが集積し、出来てしまった空気みたいなものが醸し出されている。 この複雑ななにかは、バグがこの世界で3次元的に生み出されてしまったような感覚、見てはいけないものを見てしまったようなおどろおどろしい感覚を呼び起こす。 人々の生活、そして見えない大きな力が干渉し合い、東京という都市をつくっている。目の前の世界を見ているはずな

          誤魔化すなよ

          変わらないものはあるか

          最近、映画を見た。現実から逃げ続けていた三十路を少し超えた女が、好意を寄せていた男に裏切られ、少しずつ現実を受け止めて、前に進もうとする話。ひとつの目標に向かって歩みを進めるが、最後にはその目標は成し遂げられない。結局、自分はあのときからなにも変わっていなかったのだと、自分への虚しさを抱え、わんわん泣きながらその話は終わる。 理想や目標はだれしもが持っていて、きっとうまくいくと歩みを進めていてもうまくいかないことだらけの人生。それは努力が足りなかっただけだとか、やり方がよく

          変わらないものはあるか

          呑み過ぎた夜

          お互いを知ってからもう4年目になる大学の友人がいる。知り合ったころは、あまりしゃべるような印象はなくて、でもたまにニコニコと笑う姿に妙に惹かれていて、仲良くなった。 話してみると少し不思議なひとで、私は自分がそこにいて良いのかわからなくなるときがあると、自分と周りに対して大きな隔たりを感じていた。そのぽつりと揺れ動く、か弱く、いますぐにでも消えてしまいそうな光をもったそのひとに、なにか不思議な力を感じていた。 数ヶ月に1回くらい、そのひとを含めた仲間内で、遊びに行ったり、

          呑み過ぎた夜

          小さな日常とダーウィニズム

          よく研究者や政治家が、己のある過去の出来事が、この人生を歩むきっかけになったという話を聞く。そんなことを聞くと、ふと自分の人生、歩んできた時間に意識的になり、なにか僕はきっかけというものがあったのかなあと、ため息をつきながら思うが、大したことはない。 ふとしたときに他者にあなたはなぜこの道を歩んできたのですか、とまっすぐな目で聞かれると、なんとなく過ごしてきた自分に嫌悪を抱き、だれが見ても胡散臭い輝かしい目で、ちょっとした出来事を大きな口で語りだす。そんなことをしていると、

          小さな日常とダーウィニズム

          自分を守ることしかできない

          西陽の光がカーテンの隙間から差し込み、目を覚ます。深い眠りから覚めて、ふと一日の終わりに気付くときの、あの喪失感と、諦めたように時間の流れをゆっくりと身体の内側から感じ取るその感覚の愛おしさは、古い恋人とのなんでもない関係の中で過ぎて行くぬるりとした日常を思い出す。 陽が落ちて、また長い夜が始まることに対する身震いをしていると、友人の誕生日の祝いの席に呼ばれた。それまでなにをするでもない時間が空いていたので、いつも通りなんとなく、大学へ向かう。知性の欠片もない自分のデスクに

          自分を守ることしかできない