見出し画像

無題

気がつけば27才になっていた。仕事でお客さんと話をしているとよく年齢を聞かれるが、自分が言葉にする「26才」と「27才」の響きの違いにまだ慣れていない。生きてきた年数というのは本当にくだらないことではあるが、やはりその事実は捨て去ることはできない。まだそのしがらみと焦りに疲弊している自分をみると、17才の僕と今の僕はなにが変わったかわからなくなってしまう。ここでいう10年という数字にはまったくもって意味を持たない。区切りというのは便利で合理的な道具かもしれないがその数字に興味がなければ、スプーンを使って空を飛ぼうとするパイロットと同じなのだ。僕は今スプーンを使って空を飛ぼうとしている。

最近は毎日死んだように寝ているし、夢も見なくなった。毎晩のように無力感と妄想にふけて朝を迎えていたあの日々と比べると少しはまともになったのかもなとなんとなくの安心感がある。大学に行くことを諦めて陽が落ち始めたくらいの暗い寮のベットから起き、友人からもらったスケートボードに乗り、ただ夜の街に出るまでの時間をやり過ごしていた23才の夕方、入口のない洞窟を進み続けるような暗闇と絶望を思い出しては、安心感なんて本当に必要なのかわからなくなる。

スターダストでジュークボックスにコインを入れて、いしだあゆみのブルーライト横浜を流していた。それ以外は70年代かそれより前くらいの洋楽が入っていたが僕は曲名をみてもなにもわからなかったからそれにした。適当に選んでもよかったかもしれないが僕はこれを選んでビールを飲んでいるんだという実感が欲しかっただけだ。バーの飼い猫がスーッと外から内に入って気だるそうにカウンターの左斜め前に居座ってくだらないなと僕をみていた記憶がまだある。

橋の向こうにはアメリカの駐屯基地があり、僕が飲んでいるビールもアメリカのものであり、流れている音楽はブルーライト横浜。音楽はだれのものなのだろう。ひとりひとりが僕のものだと思うような音楽はきっと美しいんだろう。自分にはまだ世界と繋がる言葉を持っていないしまだ妄想を繰り返しているだけだろう。それは夕方のスケートボートの空気と近いから本当に嫌な気持ちになるが、意外と悪くない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?