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小鳥と枇杷の実

大学の学生寮に住んでいる。ここに住み始めてから一年と少しが経つ。ベッドと学習机が置いてある個人のワンルーム、共同のキッチンとシャワー室、洗濯室。3つの住居棟と交流棟が、傾斜地にひな壇状に建っている。寮の敷地内は空に向かって大きく伸びた樹々が建物を呑み込むように立ち尽くしている。

横浜に来てから街に出るか、大学のスタジオにいるかで、学生寮は寝るときくらい。いやなんなら寝るときも外でいることが多かった。課題に追われて力尽きて、自分のデスクで突っ伏しているか、どうしようもなくなってしまうほどの途方も無い自分自身への不甲斐なさを誤魔化すように、寝れない夜を友人の家に転がり込んで過ごしたりと、自分がなんとか生きていくための居場所を転々としていた。学生寮は、自分の部屋というのはあるようで、無いようなもの、ただの通過点のようなものであった。

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自分の部屋にいなければならない状況になってはじめて、自分が住んでいる場所に意識的になる。バイトを辞めて本当に自分の部屋でほとんどの時間を過ごすようになる。ほとんど誰とも会わない生活。

一度だけ天気の良い早朝に、小鳥が窓を叩いて部屋に入れてくれと言わんばかりに自分の部屋を覗いてきた。どのくらいの時間かわからないが、ちょっと世間話ができてしまうくらいの時間、その小鳥と目を合わせていた。学部のときの、アパートの裏庭から自分の部屋に勝手に入ってくる黒猫を思い出した。自分はひとりで落ちるところまで落ちそうになるとだいたい心優しい友人か、自分のことを心理カウンセラーと信じて止まない小動物が、自分の心を読まれているのか不安になるほど、ジャストタイミングでやってくる。

こういうときにいつも、自分は何者かに生かされているのだなとハッとして、自分だけの世界が崩れていく。でもまた少し時間が経てばその意識は遠くへ投げられて、自分ひとりで生きているんだと錯覚する。その繰り返し。

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学生寮の非常階段の入り口に枇杷の木が生えている。6月に入り初夏の爽やかな暑さが額に汗を滲ませるころ、枇杷の木に実がなっているのを見つけた。実家の庭に生えていた枇杷の木を思い出した。庭にはいつもなにかの実が取れるくらいにたくさんの果物が成っている。枇杷の実を口の中に放り込み、大きくてツルツルした種をくちのなかで転がしている時間を想像した。なにも考えずに転がしている。吐き出した種は宝物みたいに綺麗に光沢した茶色。土の中に埋めて、宝物を仕舞っておく。

ある朝、小鳥の鳴き声ではなく、草刈機のエンジン音で目を覚ます。学生寮の通路が通れないくらい真夏に向けて伸びきった雑草を5人くらいの業者のおじさんたちが処理していた。洗濯物を取りに行こうと外に出ると、このおじさんたちをどうにかしてくれといった目で草叢から建物の入り口のコンクリートタイルに出てきたアオダイショウが立ち尽くしていた。自分はヘビは得意ではないが、住まいを追い出されたアオダイショウの状況を理解すると、途端にああ君も困っているんだねと、意思疎通したような気分になった。ヘビと話をしたのはそのときが初めてだった。ここでの生活も悪くないかもしれない。

数日後には学生寮の雑草は綺麗さっぱりなくなっていた。アオダイショウがどこにいったのか少し気になったが、彼は彼の居場所をまた見つけるはずだ。またどこかで会おう。

枇杷の木の実はすべて無くなっていた。濃い緑色の葉だけになった枇杷の木を目の前にして、この前想像していた枇杷の実はより一層、黄橙色に熟していた。

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