アルバイトと暴力

横浜に来てから、某飲食チェーンでアルバイトをしている。もともとは派遣として入っていたけど、派遣も超過労働で働けなくなり、よくお世話になっていたそのお店に誘われて、キャストとなった。

派遣で入っていたときから、バングラディシュから日本語を勉強しに来ている同い年の人がいた。昨年、大学院のプログラムでベルリンで行われたWSに参加したときに、異国の地で人とコミュニケーションをとることの難しさを身に染みて感じていたので、彼が日本で働きたくて、日本語を勉強しにきたんだと話を聞いて、同い年の彼のその決断と行動に、心から敬意を持った。

職場で英語でコミュニケーションをとれるのが僕しかいなかったので、必然的に彼と仲良くなり、日本のことや、バングラディシュのこと、日本語学校のこと、宗教のことなどを話した。といっても、彼も僕も英語が片言なので、お互い必死に伝えようとしているそれを、日本語や片言の英語を使いながら、話していた。

不器用な意思伝達でも、彼が葛藤しているものは確かにわかったし、そのなかで日本で過ごす彼の時間はとても素敵なものだった。英語も、日本語もあまり上手く話せない彼は、皿洗いとキッチン補助をやっていた。もともと、うちのお店は本当に人手不足だったので、店長に彼は仕事ができないとぶつぶつ文句を言われながらも、懸命に仕事をしていた。彼はそこで働くことで生計を立てていた。

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4月から近所の店舗が閉店することになり、そのお店のキャストの人たちが僕の働いているお店に来ることになった。店長はバングラディシュの彼を、キッチンが一人でできないなら首を切ると彼に言った。

もう何度も教えているのに、君はキッチンがまったくできていないと店長は言うが、僕が見る限りでは、“教える”というよりは、文句を言いながら彼に指図し続けるような有様だった。彼は店長の言っていることの3割も日本語を理解できていないと思う。でも、店長は外国人だろうが関係なく、文句を言い続ける。

状況はなにも進展していないなかで、でもお前だけが前に進めていないのだと言うひとがいる。俺はこれができるけど、おまえはできないと言う。自分を中心として、自分と他者のその差はなんなのか、どうしてその状況ができているのかということを考えずに、死ねとか馬鹿とか、相手を傷つけることを簡単に言ってしまうひとがいる。

その店長が悪いんだと言いたいわけではない。この状況をつくっているその見えない暴力に怯えている。そして、その暴力でこの社会の大部分ができているとしたら、僕たちはなんのために一世紀近くも生きて、他人を傷つけて、自分も傷ついて、この地球を汚しているのだろうと思う。いろんなことが馬鹿馬鹿しくなってしまう。

でもいま、ぼくも同じように、いろんなトラブルから、その暴力に回収されそうになっている。僕は、僕の人生が、その社会構造の一部になろうとしている。何をもって生きればいいのかわからなくなっている。

いま、ぼくのなかで、ぼくのまわりの関係性のなかで、なにかが変わろうとしているいま、なにを選び取るべきなのかを考えている。いま、なにかを選ばないというよりはその関係性を断たなければならないような状況にある。

大学の桜はもうすでに葉桜になりかけている。

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