変わらないものはあるか

最近、映画を見た。現実から逃げ続けていた三十路を少し超えた女が、好意を寄せていた男に裏切られ、少しずつ現実を受け止めて、前に進もうとする話。ひとつの目標に向かって歩みを進めるが、最後にはその目標は成し遂げられない。結局、自分はあのときからなにも変わっていなかったのだと、自分への虚しさを抱え、わんわん泣きながらその話は終わる。

理想や目標はだれしもが持っていて、きっとうまくいくと歩みを進めていてもうまくいかないことだらけの人生。それは努力が足りなかっただけだとか、やり方がよくなかったのだとか、超楽観主義者か、実力至上主義者は言うけれど、そんなことはわかりきっているよと泣きながら言いたくなることがときどき、この世界にはある。

ハッピーエンドで終わる映画には見飽きてしまった。いや、正確にいうと、そのなにかを強制される感覚にもう嫌気がさしたのかもしれない。

変わらないもの、変われないものの中で、理想と自分の差を抱えた中で、それでも生きていく美しさはきっと消費されるものでも、廃れるものでもない。なにかを挑戦すること、成功を成し遂げること、それはそれはすばらしいことだけど、自分を許すことも本当に強いことなんだと最近気が付いた。

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あと半年で大学生活も終わり、それぞれの道を歩み始める。目の前に広がる世界が限られたものだと意識すると、よく行くラーメン屋だとか、学校に向かう道路だとか、当たり前の日常が当たり前じゃなくなる。途端に愛おしいものになってしまう。愛したことなんてきっとなかったのに。

人間は貪欲で、わがままで、自分は自分の世界に生きていると思っているけども、そんな自分は簡単に変わってしまうし、絶対に変われないものでもある。なにが正義で、なにが理想かもわからなくなってしまう。

ありがとう、ありがとうとこの気持ちが届くか心配になるほど、人を愛おしく思うその気持ちも、いつか廃れるんだろうか。その廃れていくさまも、寡黙に受け止めるしかないのが人生なんだろうか。悶々とした気持ちに胸を締め付けられながら、それでも時間は過ぎていく。


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