劇場版 ヴァイオレット・エヴァーガーデンの評価とか感想とか考察とか
※この記事は2020/9/18公開の『劇場版 ヴァイオレット・エヴァーガーデン』の(完全ではありませんが)ネタバレを含んでいる可能性があります。
物語の簡単な流れ
今回の物語は、終戦から数年経ったアニメの世界から更に数年経った世界が舞台のいわゆる『現代編』と、アン(『少女と自動手記人形』参照)の孫娘であるデイジーが主人公となる『未来編』を切り替えながら繰り広げられています。(※これについては『追憶編(過去編)』『現代編』としてもいいかもしれません。今回は本文の表記を使います)
『現代編』では、ヴァイオレットが余命いくばくの少年の手紙を(特別に)代筆しているときに『少佐』の手掛かりが見つかって…といった感じの話になっています。
『未来編』では、デイジーが18歳で自動手記人形をすっぱりやめてしまった自動手記人形、ヴァイオレット・エヴァーガーデンの足跡を追いかける話になっています。
現代編と未来編の割合としては大体7:3ぐらいですが、未来編の方が若干進みが早く未来編である程度の筋道を見せて現代編で細かいところを詰める感じの流れになっています。
時の流れ
今回は時の流れを強く感じさせる演出が多いなと感じました。
建設途中の電波塔、電話や電灯などもそうですが、個人的には代筆中に依頼者の少年が見せたハンドサインなど(サムズアップや指切りなど、恐らくこの頃にはすでに流行ってるもの)をヴァイオレットが知らなかったことなどが時の流れを強く演出していました。
変わる世界や人々と変わらない、あるいは変わることができないヴァイオレットの対比が非常に残酷でよくできていたと思います。
ヴァイオレットに対するカメラワーク(構図)
構図に関しては難しいことは言えないのですが、今回の映画ではヴァイオレット1人のみというのを感じさせる構図(2人以上の場面でもあえて中央で分ける、キャラクターを敢えて右端に置いて誰もいないような感じにするなど)が多かったように感じます。これも変わらないのは自分だけという印象を付けてる1つの要因な気がします。
脚本について
ヴァイオレット・エヴァーガーデンという物語は『手紙が紡ぐ物語』というのを1つのコンセプトにしてると勝手に思ってるんですが、それをきちんと通しきったのはとても良かったです。ただ、アニメや外伝映画に対しての矛盾があった気がするのでそこだけは残念です。(※アニメの時点で原作から大きく外れていたのでこれに関してはもう一度アニメと映画詰めないとはっきりとは分からないです)
それ以外について
まず音が非常に良かったです。環境音を浴びる感覚と臨場感を得られるのでぜひ映画館で聞いてください。
絵については最近色々あったとはいえ言うまでもなく完璧で、キャラクター以外にも建物や背景が非常によくできてたと思います。どっかでフォトブックとか売ってくれんかな……
最後に声優さんの演技が非常に良かった。特にある場面でヴァイオレットが泣きじゃくるんですが、その時の言葉の出なさとかが非常に好きです。
総評
分からない部分とか言いたいこととかもありましたけど、個人的には大満足です。もしまだ見てない方がいたらぜひ劇場に見に行ってみてください。
おまけ(という名の疑問袋)
これは完全に本編のネタバレになるんですが、エンドロール前にヴァイオレットが暗い道(恐らく終盤、『少佐』と再会した場所)を歩いているところが映し出されます。物語がいい感じに締まったところでなぜこれを流す必要があるのかを考えたんですが有力な説が出てこなかったので、思いついたいくつかの説と共にここに疑問袋として置いておきます。
・編集ミスで別のシーンが入った説
流石にない
・ヴァイオレットが既に死んでいるという明示orヴァイオレットが『少佐』が待つ家路についている説
この2つはありそうではあったんですが、それならあんなに暗くすることもないだろうと思います。
・ヴァイオレットが全ての仕事を終わらせて『少佐』の元に行った時には既に…説
流石に救いがなさすぎる気がします
という風に今のところ有力な説が存在しないので何かしら思うところがあれば教えていただけると助かります。
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