東京に帰ってきてから

、全くNoteを更新する余裕なんてない日々でしたが、少し時間ができ、タスクはとりあえず棚の上に置いておきまして書き始めています。

帰京後、周りに恵まれ、ほぼ毎日誰かと会うことができています。
やはり、僕が幸せと感じる瞬間は、誰とともにしているかであり、何をしているかではないのだと感じさせられます。

僕は見た目は少し怖めだし、目つきは悪いけれど、
人恋しい人間なんだと、思いました。

ただ、鏡を見ているだけでは見て取れない自分を、周りにいてくれる人を鏡にすることで見て取れている気がしています。

さておき、タスク、という言葉を使ってみた通り、今の生活にタスクという概念が戻ってきました。ロンドンにいる時にあれほど恋しかったタスクなので、噛み締めながら全力投球しています。

多分、自分の中で今持っているタスクは、僕自身が社会とのつながりを感じ取れる一つの媒体であり、表現方法であると思います。

ただ、それが大人の真似事になっていることが多いので、小さくまとまらないことが必要だと、最近気づかされました。

いい意味で、若気の至り、みたいな、尖った部分が削がれていっている感覚はあるし、それは良い方向に進んでいることの方が多い気がします。
だけれど、じゃあ実際就活をする段になって、それで面白いのか、目に止まるのかという点においては疑問が残るばかりです。

僕の選択を否定してくる人は、まあいないと思います。それだけ、信用を積み重ねられているとも捉えることはできますが、僕自身の面白みみたいなところを今まで感じ取れていなかった分、苦しいです。

自分は多分、考え方がZ世代的かと言われるとあまりそうではない気がしています。どちらかというとミレニアム世代よりで、絶対評価ではなく相対評価でのし上がってきたタイプの人間です。これも、嫌気がさす場面もあれば、そうでない場面もあります。

全て、ALL9点、みたいなオールラウンダーになることは、僕自身にとって正解なのかもしれません。ただ、〇〇の子みたいな認識になることが難しくて、自分といえばこれ、という何かが欠如しているのも事実です。
武器は同世代の上位ナンパーかに入れるくらいには持っているとは思いますが、その武器をお披露目させてもらう地位に入ることができるのかが不安です。

今は、それでうまくいっているし、正直、部長以降になれば、上手くやれると思います。ただ、社会における一つの分子として、こいつは面白い。と思ってもらえるかが、ハードルになりそうです。

そんなことを悩み尽くしていても、意味がないので、何かにチャレンジしようと思って、デザインチームという生き物を生み出しています。すごく哲学的であるし、正直自分自身でも腑に落ちていない部分は多くありますが、僕なりの0→1を完成させてみようと思っています。

頭を動かしていることは嫌いじゃないし、どこにいても何をしてても、考えてない時間なんてほぼないような人間です。

ただ、僕が羨んでしまうのは、突拍子さなんだと気づかされました。それは行動力ではなく、発進力というか、突発力みたいな、アクセルを踏んで、ターボ状態に入れる人、みたいな感じです。間合いを図りながら進む僕にはないことだなと痛感しています。

こんなことを書いてる間にも、実験的な生活をしている人はたくさんいるわけで、僕もそのメンタリティで居続けたいなと思います。

大切にすること。
実験的でい続けること。

静かなテーマとして掲げていこうと思います。

Kenny

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