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【ネタバレあり】 『千歳くんはラムネ瓶のなか』3巻 感想


「君はなにひとつ、物語にすることを許さなかった」
「だったら、自分のいまを物語のおかげにする必要もないんじゃないかな」



「『君』にさよならを。」
さて幻の女こと、明日姉回。ていうかこんなに早く担当回来ていいんですか!?
何はともあれ純粋な感想をば。
今回は夢追う者と夢破れた者、そして残酷までに無慈悲な「社会」、現実。そこにリンクした「街」の描写。それらが合わさって今作もまた完成度の高いものになってたなと。お互いがお互いの生き方の中に答えを見出していく物語。

2人は会っては別れを繰り返す、幻のような関係。電話番号も連絡先も知らない。憧れの先輩と素敵な後輩の関係ではなく、西野明日風と千歳朔という関係へ。この過程で描かれているのは、1巻から通底して描かれていた「相互理解」。幻が輪郭を帯びていく中での「ちゃんとここにいるから」という台詞。

今回は夢を追う者の物語だった訳だけど、自由で不自由な彼女がこの物語の「主人公」なのはとても納得できる。だから少しだけ眩しく、且つそこが良い。それと対比して描かれる「空洞」に蓋をした千歳朔という人間。やはり僕は彼の物語が気になる。空っぽだと感じる彼はどこへ向かおうとしているのか。

「幻の女」

まず、明日姉を表す「幻の女」について。
ウィリアム・アイリッシュ作のミステリー『幻の女』から来ていて、1巻から触れられていたけれど、3巻では所々にそのエッセンスを感じた。特に3章、東京観光中に電話が掛かってくるシーンでの朔の対応は『幻の女』に出てくるものだった。

「押し問答ではなくて、水掛け論ですよ。僕は、ここに明日風さんはいないと言っているし、言い続けている限りここに明日風さんはいない。」(略)「明日風さんは自分の意志でひとり東京を目指した。僕はプライベートの旅行で来ていた。そして、たまたま出会った。」(略)「いっしょに東京旅行をする予定だった女の子の分も僕が購入した。けれど直前で些細なすれ違いからけんかになり、一枚余ってしまう。知り合いに片っ端から声をかけて、たまたま欲しいと言った明日風さんに売った。」

特に「いっしょに東京旅行を~」の下りは丸っきり『幻の女』のそれです。『幻の女』のあらすじをかみ砕いて述べるなら、ある夜に起きた殺人の容疑で逮捕された主人公の無実を証明する為にその晩一緒にいた女性を探す話であり、街の人間からは「見ていない(いなかった、忘れる)」という視覚的な「幻」性を孕んでいます。そもそも主人公はひとりで行動してたって街の人々は証言してるんですね。主人公と「幻の女」は名前も連絡先も教え合わず、ただ一緒にそこにいたという事実のみが残っている。(僕自身のTwitterにある感想を参考にしていただければ…

こうした、ただ会って別れる関係は3巻でも明日姉が会話で明示していて、それをデートを誘った理由の一つとして挙げてますね。こうした「幻」のようなぼやけた関係性から、デートをし、西野明日風という輪郭を手に入れていくのが3巻の内容だった訳ですが、ここに見られるのは1巻から通底していた「相互理解」かなと。あの明日姉がこんなにポンコt…ギャップがある表情豊かなキャラなんて誰が思いました!?

こうした「幻想」は2巻の七瀬回でも取り上げられたように、社会という「箱」おけるドラマツルギー、役割期待、仮面に深く結びついていて、「幻」の先を見て、「相手を正しい距離で見る」ことが「相互理解」。朔が明日姉に抱いていた「彼女らしさ」という「幻」を取り払う。それはラブホテルでの身体的重なりではなく、「正しい距離」で(余りに近すぎるというのは、かえって相手のことが正しく見えなくなってしまう―『箱男』)。こうして西野明日風という人間は正しく輪郭を帯び、最後に父親にはっきりと「決めたよ。私、編集者になる」と断言した。「なりたい」ではなく、「なる」のだと。

福井と東京

3巻は明日姉の進路に関する問題を中心に添えつつ、デート、駆け落ちをしていく中での接近を描いていて、卒業というタイムリミットまでの時間を意識させながら2人の感情の機敏を掬い取っていたなあと。

特に駆け落ちをする3章、東京、高田馬場、新宿周辺の描写がされる訳ですが、ここの描写がとても好きでした。高田馬場、新宿周辺はよく利用するので、「吉野家」と「松屋」がほぼ隣り合わせというところには思わずクスリと笑ってしまったり。紀伊国屋書店の下の抹茶のお店だ!(まだ行ったことない)とか。神保町のカレー屋さん有名だよなとか。そんな大都会にオロオロしながら歩く2人の姿が目に浮かぶようで、こうした状況(2020年5月3日)のなかでそこに自分もいるような感覚になってワクワクしましたね。「次はどこに行くんだろう」みたいな。

3巻ひいては明日姉の問題にはこのように「福井と東京」、ひいては「田舎と都会」というファクターがあったなと。

「私はこの町が好き……大好きで、大嫌い」

「明日姉が思い描く」編集者という夢は、福井ではなく東京でこそ掴めるものとして描かれていて、この福井を出る or 出ないという点が彼女の進路に関する問題。要所要所で彼らは福井について、東京について考えていて、物理的な距離と1年という時間的距離のズレ、互いを思う気持ちの面での距離とリンクしていて面白かった。

「なんていうかね、この町って昔といまがずっと繋がっている気がするんだ」(略)「全部が地続きの日常で、変わらずに続く穏やかな流れに身を委ねて暮らしているような気がするんだ」(略)「ここにいたら、私は予定調和から抜け出せないんだよ。嫌な言い方に聞こえるかもしれないけど、田舎町に染められていく自分が……こわい」(略)田舎には監視社会っぽい側面がある。(略)「そう。誰かが見ていくれているからこそ救われることもある。裏表なんだって」
少し高いところを走る新幹線から東京を眺めて驚いたのは、とにもかくにもその密度だ。(略)あと、誰も彼も以上に歩くのが速い。(略)なにをそんなに急いでいるのだろうと本気で疑問に思う。(略)距離が近すぎる、と思う。(略)こんな狭い箱の中に、男性も女性もいっしょくたに放り込まれるのか。(略)縦横無尽に張り巡らされた電車移動が中心だと、街と街の距離感がよく分からいな、と思う。(略)夜空はやっぱり狭く、星もあんまり見えなかったけれど、月は変わらず俺たちを見守っている。

さらに言えば、朔と明日姉が住む町に加えて「朔兄と君」の町の描写もすごく丁寧で、叙情的な描写が素敵だった。ある夏の、小さな世界の冒険は祖母の家に行った時の感覚を思い出す。市内からは出ていないのに、世界の隅っこまで来た感覚。懐かしさを感じると共に大人になったなんて思ったり思わなかったり。

こうした「街」を丁寧に描くことは、前述した『幻の女』でもなされており、更には「街」の人々の認識が「幻の女」の存在において重要だというのも説明した通り。「幻の女」≒西野明日風とするなら、やはり彼女という人間も「街」によって形作られ、「街」に育てられ、「街」を出ていくのだと思う。だからこそ、福井(日常)の中では非日常だった彼女が東京(非日常)では日常の側面(ex. ポンコツ、女性として)を持って輪郭を帯びていく。「街」という社会で形作られた「幻」(朔と明日姉、明日風と西野さん)は、「街」の外に出ることで取り払われた。故に明日姉は「田舎」と「都会」の中間の存在へと変化したように感じる。謂わば「都市的なもの」、「周縁」的なもの。
こうした距離関係、「街」の面からみても3巻はとても面白かった。その上で最後の三者面談で東京に行く決心をした西野明日風の涙には言葉には現れない夢への想いと、押し殺した後悔のような感謝と、強い決意の下に溢れた離別の寂しさといった激情がごちゃ混ぜになっていた。

「――君は……私の……月だッ‼」

この台詞をして語ることは何もなかった。東京(非日常、未知、夢)への憧れと福井(日常、予定調和、現実)への感謝の両方を抱えていく西野明日風という人間が確かにそこにいた気がした。…裕夢先生女の子泣かせるシーンうますぎん?ここで出てくるのが感謝と寂しさなんだぜ?(誉め言葉)

※ここで注目したいのは、彼らの移動手段が「陸路(新幹線)」だったことについて。飛行機ではなく、電車。

ルートはどちらでもよかったのだが、北陸新幹線はトンネルが多いと聞いたことがあったので、景色を楽しめそうな東海道新幹線を選んだ。(略)「福井と地続きだとは思えないな」

景色が変わっていくこと、地続きの変化については上手くは語れないが、飛行機の一気に飛び越える感覚より、何かを咀嚼して、噛み砕いて、変化していく感覚があるんじゃないかと思う。それは日常(福井、予定調和)と非日常(東京、夢)を地続きで繋ぐ。

「物語」について

西野明日風の夢は「物語を編む」人=編集者になることで、「読者/編集者/作家」という関係性の中間項、読み解く者であり、生み出す者でもある。

「言葉を届ける仕事に、就きたいの」
「小説家、ってこと?」
今度は首を横に振る。
「まあ、小さい頃はちょっと考えたこともあったけど、そうじゃなくてね。やっぱりどこまでいっても私は読者でいたいと思うし、イチ読者でありながら本をつくることにも携われる……小説の編集者になりたいんだ」

「田舎」と「都会」の間に位置する存在として描かれている明日姉はこうした「物語」という観点においても中間項として揺れ動いていた。3巻の後半では「物語」というものが明日姉と朔の会話の中で重要な位置を占めていたことは言うまでもない。
記事の一番最初に引用した台詞は、僕がこの巻で一番考えさせられた台詞なんだけれど、この台詞があることによって「千歳朔」と「西野明日風」の関係性がより厚みを増して、お互いがお互いの輪郭を掴んで、手を伸ばす。彼らは互いの生き方の中に自身の月(眩しいもの)を見つけた。

「――誰かを助けるためじゃなくて、誰ひとり寄せつけないために俺はパーフェクトなヒーローになろうと誓ったんだ」
(略)
「君の人生には物語がなかったんじゃないよ。物語が多すぎたんだ」
俺より温度の低い手が、優しく髪をかき分けてくる。
「普通はね、君が語った経験ひとつでもあれば、それを物語にするの。僕には、私にはこんなにつらいことがあった、苦しかった、悲しかった、痛かった。だってそうすれば、弱さの言い訳にできるから」
その声はどこまでもやわらかい。
「頑張れなかったとき、なにかを諦めたとき、人生が思うようにいかなくなったとき、その物語を取り出してくれば楽になれるんだよ。自分にはこんなことがあったんだから仕方ないって。そうして、世界から簡単に傷つけられてしまう繊細さをふりかざしながら、やがて世界から傷つけられないように踏ん張っている誰かを傷つけようとし始めるの。言葉を借りるなら、帳尻合わせとして」

だけどね、と明日姉は続けた。
君はなにひとつ、物語にすることを許さなかった。こんなものはちっぽけな苦しさだ、つまらない哀しみだ、くだらない痛みだ。そして、自分次第で乗り越えられるものだ」

どくんと、左胸のあたりで音がする。

「君が誰かを助けるように君を助けてくれるヒーローはいなかったから、そうやってひとつひとつ、自分の生き方を、理想を守ってきたんだね。それでも美しくいきるために」
(略)
「違うんだ、そんなに上等なもんじゃない。(中略)本当の千歳朔は、いろんなものを諦めようとして、でも諦めきれなくて、格好悪くばたばたあがき続けているただのガキなんだよ」

「それを」

と明日姉は温かく微笑んだ。

「――私たちはヒーローって呼ぶの」
「――君が憧れてくれた明日姉はね、私が憧れた朔兄なんだよ」
(略)
「だからさ、君が見ていたのは本当に幻の女だったの。朔兄みたいになりたくて、自分の意志ひとつで自由に、強く生きていきたくて、だけどやっぱりお父さんたちにさえ逆らえない普通の真面目な女の子。君は、私越しにかうての自分を追いかけていただけなんだよ」
君が見ている私はニセモノなんだと。
(略)
「きっかけではあったのかもしれない。でもそれだけだ。いまの明日姉があるのは、自分の理想に向かって真っ直ぐ歩いてきたからだよ」
(略)
だったら、自分のいまを物語のおかげにする必要もないんじゃないかな。俺との出会いがあろうがなかろうが、明日姉はどうせ明日姉だったよ」
(略)
あの頃の朔兄みたいに、にかっと笑う。

「そういういまの君に、まるで明日に向かって吹く風のような君に、俺はもう一度惹かれて、憧れた。簡単な話だろ?」

人間の傷つきやすさ、脆弱性(可傷性)から生まれる個々の差異、それを認識できることこそ、人間の力であり弱さでもある(と個人的には思ってる)。多分朔はそれを知っているからこそ、ひねくれながらも歩けているんじゃないかなと。そしてその機敏を掬い取ろうとした「中間」の明日姉。

たとえばつまらないくだらないと自嘲していた朔くんの過去を私が尊く思ったように、ただの幻だと諦めていた私のいまを朔くんが肯定してくれたように。

たとえば物語にしないという物語だってあるように。

2巻の悠月もそうだったけれど、社会に生きる自分と自分がイメージする自分のギャップ、偽物(幻想)と本物の間で悩みながらも歩み続けることの尊さと難しさ。「朔兄に憧れた西野明日風と、君が憧れてくれた西野明日風のありったけで」という台詞がどんなに素敵なことで尊いか。その両方を抱えて生きていく彼女は、きっと「大丈夫」なんだと感じる。
「西野明日風」を掬い取った太字の台詞は、1巻から僕が千歳朔という人間に対して考えていた「全てを自己責任」と言えるのかという問題に対しての一つの理解に繋がった。それはきっと、周りを思いやるが故に自分という殻、瓶に閉じこもってしまった彼なりの優しさと理想に裏付けされてしまっている在り方。「メジャーリーガー」という夢が破れ、ぽっかり空いた空洞に蓋をした朔。ここの問題は今後解決されていくのだろうと思うのだけど、その「物語」はきっと夢が見つけられない人たちに届く筈。その意味で3巻は夢を追う者の話で、僕には眩しかった。あんなに「好き」といえるものを持っている人の強さと温かさ。

6月の雨のようなしっとりとした世界の中に、明日へと向かう風が吹いた。明日はもっと不思議で未知な世界に繋がっている。この巻はやっぱり、明日へと向かう者のエールという事だろう。

最後に

今回は「感想」というより「考察」の域に足を踏み込んでしまった。自分は素敵な言葉を持っていないから、こういう回りくどい形でしか想いを届けられないなあと痛感した。けれど、それでも『千歳くんはラムネ瓶のなか』という作品はこんなにエネルギーのある作品なんだっていうのを、こんな変な奴でさえ面白いって感じる良い作品なんだっていうのが1mmでも伝わったらいいなと。(まだ書けていないところも多いけど…上手く言葉に出来ない)
2巻の感想でも言ったように、こうした社会と自分の狭間で揺れ動く作品は本当に好きだ。さらに今回で垣間見えた「千歳朔」の空洞、彼のガラス瓶を誰が壊し、そして彼にとっての「月」がどんな存在なのか。続編が楽しみでしょうがない。
P.S. 『カサブランカ』とか諸々の映画と本に触れることになりそうだなあ…

・著/裕夢 イラスト/raemz『千歳くんはラムネ瓶のなか』3巻【https://www.shogakukan.co.jp/books/09451841
・著 ウイリアム・アイリッシュ 訳 黒原 敏行 『幻の女〔新訳版〕』【https://www.hayakawa-online.co.jp/shopdetail/000000013088/】
・著 安部 公房 『箱男』【https://www.shinchosha.co.jp/book/112116/】

おまけ

「いまはまだ、自分の未来を手探りしていたいんです。大人にとって過去なのかもしれないけど、僕たちにとってはいまであり、未来なんだ。本気で追いかけていれば、いつか月にだって手が届くと信じていたいんですよ」

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僕が好きな18禁恋愛アドベンチャーゲーム『WHITE ALBUM2』のワンシーンから。3巻の朔の台詞はここを思い出した。

更に、3巻で気になった「たとえば」「どうせ」の言い回し。意外と高頻度で使われていて、「たとえば」という仮定、if、幻と、そこに対比される「どうせ」という諦め。ここに関してはまだ深くは掘り下げられないけれど、きっと面白いことがあると思う。

ここまで読んで頂き、ありがとうございました。

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