「シャコタン」について雑に考える
私は地方都市に住んでいる。
しかもその隅っこの、端の、オマケ感覚の田舎に。
故に公共の交通機関が息をしてないレベルで貧弱なため、自家用車の利用というのはもはや義務に近く、勤労・納税・教育に続く運転が我々田舎者には課せられていると言っても過言ではない、のかもしれない。
そのため毎日車に乗っているが、私個人としては車そのものにあまり興味がなく、4つタイヤのついた箱くらいの意識で日々接している。
もちろん今現在乗っている車にも人並みの愛着はあるが、もし見知らぬジェントルマンからある日「君に新しい車をあげるよ」と言われたら喜びから足をVの字にして飛び跳ねて老紳士に猫のようにじゃれついて今の車から乗り換えるくらいの愛着だろう。
そんな私には、車好きの人のこだわりが理解できないことがある。
特に「シャコタン」だ。
車高をギリギリまで下げる=シブい
という単純明快な方程式が理解できずこれまでのうのうと暮らしてきたが、思い付いたが吉日、調べてみた。
■シャコタンのメリット
①重心が下がり、コーナーリングが安定する
②空気抵抗が下がり、スピードを出したとき安定する
③スポーツカーみたいなフォルムになって見た目がシブい
とのことだった。
なるほど!アフリカのどこかの国で太った女性が富や幸福の象徴としてモテるように、ある種の人はシャコタンからスポーツカーの面影を感じ取り「シビィわ……」という評価になっているのか、と納得をした。
恐らく今やその「スポーツカーっぽくてカッコよくね?」という価値観は失われているようにも感じる。
つまり、
車高をギリギリまで下げる=スポーツカーっぽくね=シブい
の中間が消え、シャコタン自体だけでシブいという価値観が付与されて残った、のかもしれない。
これは缶コーヒーやカップラーメンなどのインスタント化した食文化の定着と共に、コーヒーやラーメンとはもはや別カテゴリの様に発展しているものと似ているのかもなぁと思いながらコップを倒してベッドサイドがコーヒーまみれになり、私はカタカナ英語で「ファック!!!」と叫んだ。
地方都市に住むにんげんです。 なにか思ったことなど、カタカタ書いておきます。