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Ideas about death

5月に実家の祖母が亡くなってから2ヶ月たった。
28年生きてきて身内が亡くなるのが初めてのことだったので、人が死ぬことについて考える機会が人よりもたぶん少なかった。


祖母は今年の3月までふつうに働いていて(自営で小さな工場)、4月に入院、余命1ヶ月宣告があり、1ヶ月とちょっと緩和ケアだった。

人付き合いに関してはほんとうにドライだった父方祖母だが、わたしが見舞いにいくたびごまかすように涙を流し、いろんなひとに感謝をする言葉を述べていたのがとても印象的だった。


いまでも少しおもうのだけど、いないのにいない感じがしないのが不思議だ。(その瞬間瞬間を観測できてないから?)

家に帰ったらふつうにいる気がする。

家にいくと写真はあるけどそこにはいない。
ただ祖父や父、叔母など周りのひとがいることでその人がいないことが(?)存在があることがわかる。不思議だ。

ひとはまわりの人間関係によってぼんやりある感じなのかもしれない。


あと父が長男で喪主をつとめていておもったことが、父は長男なのだということ、祖母から産まれた2番目の男の子だったということで、もし女の子だったら当たり前にわたしは産まれていなくて、それに何かのタイミングで今までの先祖の誰かが出会っていなかったり、性別がちがったりなんてしたら

あたりまえにわたしは産まれていなくてわたしの子ももちろんいなくて、いま目に見えている全てがないのだとおもうと、超チープになってしまうけれど、いまってめっちゃ奇跡〜〜とおもってしまうのだった。



じぶんの娘が産まれたことと祖母が亡くなったことを経験して

じぶんのはじまりから終わりまでがぼんやり、前よりはクリアに想像できるようになった気がする。
いろんな意味であんまり時間ないななどと。



すきなだけではやっていけない?

Fxxk u
I don’t careでいい

すきなときにすきなことしたらいい
途中でやめてもいい
またはじめてもいい
あたらしいことはじめたっていい

忘れちゃいけないみんな100%おわること

線香花火みたいにパパパっと弾けておわってしまう
途中で落ちることだってある


そんなこんなで明日から4連休
梅雨はやく明けないですかね〜〜☔️




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