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行き当たりバッタラーを卒業したい

私はあまり先々の事を考えない性格だ。
目の前に面白いことがあればすぐ飛びつくし、長い目で見てどうしたいという目的も考えもあまりない。

基本的に私は計画を立てずに行動する「行き当たりバッタラー」だ。対照的に、うちの主人は何でも綿密に計画する「しっかりプランナー」。新婚旅行の準備のときは「行ってみなけりゃどこが良いか分からない」という私と、「事前に調べておけば無駄に迷わなくて済む」という主人とで、宿の予約を「するかしないか」で揉めた。ちゃんと予約して行きましたけどね、ハイ。

そんな私が苦手なのが「見通しを立てて行動する」ということ。小学校入学前の幼児レベルだが、それさえ出来る人だったなら、結構ええとこいってたんちゃうか、と思う。(どこやねん)

アポを取って決められた時間までにそこに行く、という行動が、私にとっては結構なストレスなのだ。新幹線で移動があっても、怖くて指定席が取れない。その時間に間に合うように行動できるかどうか、自信がないから。乗る直前になって、絶対乗れると確信してから指定席を取る。指定席の意味があまりない気もする。(自由席はだいたい階段や出入口から遠くて歩くのが嫌なので、それでわざわざ指定席を取ります。)

先日、新幹線で移動中、直前予約の指定席に乗れてホッとひと息、コーヒーを飲んでいたら、次の駅から乗ってきた若い男性が「あの、、、そこ、私の席なんですけど。」と話しかけてきた。
自分で自分に「な〜に〜?!やっちまったな!(クールPコさん風にお願いします)」と心の中でツッコミを入れ慌てて切符を見ると、同じ席番号が。ん?と、もう一度切符を見ると、彼の切符の電車の時間が、もう少し後のものだった。

「すみません、私が間違ってました。」と彼は恐縮そうに言って、自由席に向かって去っていった。いや、青年、間違っていたのは確かだけど、あなたは指定していたより一本早い電車に乗ったのよ。スゴイよ。あんた、スゴイよ。むしろ、席を譲らなきゃいけないのは、ギリギリに指定を取った私の方だよ。と言いかけたが、それもおかしいのでやめておいた。

今さら性格を簡単に変えられるとは思わないが、今さらながら「行き当たりバッタラー」を卒業したいな、と思う。一本早い電車に乗れる青年のように、余裕を持って行動して、涼しい顔で指定席に座りたい。いつも何かに追われ、ギリギリに行動し、息をハァハァ言わせてるのは、カッコ良くないな、と。ついでに、長い目で見て、先々何をしたいかということも、ずっとボンヤリとしか考えていなかったけど、ここいらで一度しっかり考えようかな、とも。

去年から「予測不能」なことが世界中で起こった。「目標を立てて逆算して行動する」タイプの人は、色々と行動を制限されて目標までの到達時間が大幅に変わったり、目標自体を見直す必要に迫られたりしたかもしれない。全力でマラソンを走っていたら急にゴールを変えられたような。大変だったと思います。ご苦労様です。
一方、そもそも人生の目的がハッキリせず、目の前のことだけ考えて毎日暮らしていた「行き当たりバッタラー」の私は、このコロナ禍でダメージはとても少なかった。この性格がプラスになるとは。

でも、そんな私でも、そろそろ自分の行く末に何があるのか、気になってきたのだ。自分に何かできることはあるのか。何がしたいのか。どんな人と関わりたいのか。自分がなんだかフワフワした人間なのが、先のことをあまり考えず、目の前のことだけでアップアップになっているからかもしれないと思うようになった。noteで書くことを始めたのには、そんな理由もある。

もともと「行き当たりバッタラー」100%の私が今さらいくら頑張っても「しっかりプランナー」100%になれるわけもない。少し先の未来や、なりたい自分について考えることで、柔軟性と先見性を持ち合わせた、時代が求めるちょうど中庸な人材になれやしないか。まだまだコロナの収束の兆しは見えないけれど、いわゆる「VUCAな時代」を生きていく、ということだけは見えてきた。どんな事態になっても変わらない、自分の根っこを見つける作業をするには、今が最適なのかもしれない。

「見通しを立てて行動する」ことさえもう少しできれば、こんな私でも、結構ええとこ行けるかもしれんし。(だから、どこやねん?!)

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