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You can't always get what you want

ローリング・ストーンズの曲に「You can' always get what you want」というのがある。邦題は「無情の世界」という。
昔、この曲と同名のWebサイトがあり、よくお世話になった。まあ、それはともかく、この曲は昔からよく知られている。

ロンドンバッハ合唱団の清らかなコーラスに次いで、ミック・ジャガーが歌い出す。
チャーリー・ワッツやブライアン・ジョーンズなどが不参加で、ドラムスを叩いているのはプロデューサーのジミー・ミラー。
歌詞の中に「Mr.Jimmy」という人物が登場するが、彼のことかどうかは知る由もない。

元来はおよそ7分半の長い曲なのだが、1969年のシングル「Honky tonk Women」のカップリングとして知られる、5分程度のヴァージョンも存在する。私はこっちを先に知った。

歌詞はこんな感じ。

この曲で歌われる

シャカリキになっても、いつも望んだものが手に入るわけじゃない
でも、何度かやってりゃ、そのうち手に入ってるかもよ

という感じのユルい世界観に、昔から憧れていたりする。


正直に告白するが、この年齢(いわゆるアラフィフ)にもなってこんなことを言うのもどうかと思うけれど、私は結構いい加減な人間なもので、責任のある地位や役職には就いたことがない。
例えば、会社でも肩書きを持つ仕事をしたことがない。常に責任とは無縁な立場にいた。
唯一あるのは、高校恐らく1年の頃に、クラス委員をさせられたことがあるぐらいだろう。私自身それぐらいしか思い当たるフシがない。
そしてたぶん、これからもそういうことはないと思う。信用がない、というより、そんなものを敢えて得ないように生きてきた。

私の亡くなった父親は、私なんかと違ってとても大真面目で堅い性格だった人なので、社交性がそんなに豊富だったわけではない。
父親は趣味にのめり込みやすい性格でもあったようだ。盆栽作りを趣味としていたので、それに関する書物も多数持っていた。家を探せばたぶん今でもあるんじゃないだろうか。
だから、その点では私も父親を継承している部分があると思う。私も趣味には没頭するタイプだ。

だけれども、それを除けば私みたいなホンキートンクな外れ者が育ってしまい、本当に申し訳なく思っている。
たぶん、生前の私の父親を知る人は、今の私を見て驚くんじゃないか。ああいう人からどうしてこんなのが育つんだと。

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私は、堅苦しく生きるのがどうも性に合わない。お気楽な性格なのだろう。だからあらゆる責任を忌避しようとする。できれば、そんなものどもからは自由でありたいと願う。
そうしないと、自分がプレッシャーに潰されると思う。案外と小心で臆病なのだ。

根っからの自由人、と言えば聞こえは良いが、単なるちゃらんぽらんなだけで、テキトーな性格なだけだろう。
おまけにものも知らないし、深く考えない。頭でっかちでもある。そしていい加減且つ「明日は明日の風が吹く」的なものに拘りというか、計算を持たない人間だ。

そんな自分でも、なんとか半世紀は生きてきた。いろんなものを犠牲にはしてきたものの。

この先、あと何年生きるのか知らない。脳梗塞だって、今は大人しくしてくれているが、この先また再発しないとも限らない。私はそんな爆弾も抱える身。
今は投薬などでどうにか抑えているが、これを長く続ける自信が最近とみに揺らいできている。私にはパートナーもいないので、この先どうするのか、自分でも読めていない。

まあ、それは正直なところ、自分に起因する問題なので、端から自分が悪いと思うしかないけど。

そんなわけで、それなりに不安は抱えているが、なるようにしかならん、とも思っている。

それこそ、この曲が示すように「シャカリキになって何かを得ようとするより、ある時ふとそれが手に入っているかもしれない」ぐらいの方が、たぶん私らしい人生かもしれない。

今はそんな風に考えるようにしている。

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COVID-19も未だに収束の気配を見せないし、この先の状況も全くわからないけれど、私たちは生きる以外にない。
時にはいろいろオーバーフローしてしまうことだってあるかもしれない。でもできれば、何とかそれを食い止めて踏み止まりたい。そうすれば、その先に自分の望みがあるかもしれないじゃないか。

そんな淡い期待を抱きながらこの先を生きていくのも、案外と悪くないかもしれない。
少なくとも私はこの先の人生、もちろん必要な事柄については考えるようにするけど、それ以外のことはあまり深く考えることなく、できるだけ気楽に生きていければ良いと思っている。
そんな余裕がないかもしれないけど、気分ぐらいはそんな風でありたい。

根無し草と嘲笑されるかもしれないけれど、根無し草大いに結構。私は無用の束縛に絡め取られるより、できる限り自分らしく生きていたいだけだ。そんな荒唐無稽な望みを常に持ち続けているのだ。

それがつまり、無情の世界を、私なりに生き抜く術だ。

基本的に他人様にどうこう、と偉そうに提示するような文章ではなく、「こいつ、馬鹿でぇ」と軽くお読みいただけるような文章を書き発表することを目指しております。それでもよろしければお願い致します。