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サッカーに絡む13年前の6月の出来事

今から13年ほど前の2006年6月に、当時のFIFAワールドカップドイツ大会のパブリックビューイングを企画する側に加えていただいたことがある。

島根大学のN先生がそもそもの発端であり、以前からこの形式に近いものを、先生が勤めておられる島根大学がある松江市で開催されたことがあるはずだ。
自分はその時のことは、参加していないので知らないが、噂は何度か耳にしたことがあり、その度に羨ましいな、などと思ったものだが、今回のこれに一枚噛ませていただく機会を得た。
但し、それだけで、自分はほぼ何もしていない。チケット作ったり、物凄くちゃちな回顧特設サイト(プロバイダを移ったのでもはや現存しない。Webアーカイブぐらいは探せばあると思うが、探すの面倒くさい。ちなみにローカルに保存もしていない)作ったり。その程度だ。

こういう体たらくなので、細かいことはよく覚えていない面があるが、放送時間が早かった2試合(オーストラリア戦とクロアチア戦)をやることになっていたはずだ。

パブリックビューイングを挙行するに当たっては、当然だがFIFAに許可を得なければならず、しかも告知するのに商標絡みの文句を入れちゃいけないだの何だの制約が多かった。

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出雲市で開催したので、出雲市役所に助力を得ることになったのだが、2002年の日韓大会でアイルランド代表がキャンプに来たことから始まったアイルランドウィークに絡めて実施しては、とサジェストを受けたか何かで、こういうことになったのだと記憶している。

N先生は非常に熱意のあるお方で、自分なんぞが束になってかかっても敵わないほど骨惜しみをせずに折衝ごとなどに尽力された。地元のテレビ局の取材でも中心的に取材を受けておられたが、そうなるのも当然だと思う。それほどの名物先生なのだ。
今はもうさすがにこういうイベントの中心人物としては活動されていないものの、今も本業で日本中や世界中をあちこち飛び回るご多忙な生活を送っておられる。

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パブリックビューイングの会場は2試合とも、この出雲体育館だった。

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上の大ホールを使うわけにはいかない(確か結構費用がかかったのと、使用機材の取り回しなどの都合もあったと記憶するのだが、何しろ13年も前のことなので正確には覚えていない。いずれにせよ、上のホールはデカかったことは覚えている。プロレス興行の会場などにも使われたこともあるし)ので、下のホール(ここも収容人員は350名程度はあるので結構な大きさ)でやったはずだ。

確か、安来か何処かの梨農家の方から、厚意により写真のような梨(その名も「ジーコジャパン向かうところ敵梨」。大きさからするに元が赤梨であることは容易に想像がつく)を提供していただいた。
ただ、梨の御利益はなく、オーストラリア戦@カイザースラウテルンでは1-3で敗北し、クロアチア戦@ニュルンベルクでは0-0でドローだったものの、試合開始時刻が遅く、パブリックビューイングの対象試合から外れたブラジル戦@ドルトムントでは1-4と惨敗した。
ジーコをはじめとする代表スタッフや、その時の代表選手たちが悪いわけではなく、初出場の時のフランス大会のような状態に戻ってしまっただけだったのだ。

それを我々は、たかだか3回目の出場程度で常連面をしてエラそうにふんぞり返っていただけに過ぎないことを、この時の相手であるオーストラリアやクロアチア、そしてブラジルに、嫌と言うほど叩き込まれたのだと思っている。

ともかく、2006年6月の12日と18日に挙行されて、どちらも決して早い時間の開催ではなかったにもかかわらず、ほぼフルハウスに近い人数に集まっていただけた。
お金を取るイベントではない(そもそも商業的なパブリックビューイングはできないし、するとしたら、放映権料をとんでもないほど取られるはず)ので、無料イベントにするしかなかったと思う。

告知の文句にもいちいち指導が入った。ワールドカップだとか、ジーコジャパンなどの用語の使い方も細かく指導が入ったと記憶する。
もっともこれは、今にして思うとオリンピックなどでも似たような側面があると思って差し支えない。つまり、オフィシャルスポンサーでないと大会絡みの文言を宣伝文句に使えないのだ。
当然、オフィシャルスポンサーが絡まない、ごく一部の市民有志連合による開催なので、そんなことはできるはずがない。用語(というか表現上)の制約はあるが、それはよくよく考えてみたら当然の制約なのだ。文句を言えた義理ではなかった。

オーストラリア戦は確かNHKが、そしてクロアチア戦はテレ朝が放送を担当した。ところが、NHKはともかく、山陰地方ではテレビ朝日は普通の状況では視聴できない。再送信の受信によって視聴ができるケーブルテレビ局に入っていなければ、まず見られない。
で、こういう時に山陰地方の民放は、BSS山陰放送が一肌脱ぎ、テレ朝の中継をレギュラープログラムをすっ飛ばしてでも、放送してくださった。
日韓の時も確かこうしてくださったはずなので、ドイツの時にも同じようにしてくださったわけだ。

このクロアチア戦の前に、30分程度の番組が組まれ、そこでSC鳥取を特集してくださるという大盤振る舞いまでしてくださったのだから、BSSにはお礼の言葉しか浮かんでこない。

自分もこの間にJFLのSC鳥取の試合を見に行っており、その興奮もさめやらぬ中、こちらのお手伝いもさせていただいた、というわけ。

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個人的には至らぬ面も多々あり、本当に申し訳なかったと思うことも多かったけど、でも結果的にはこれ、やって良かった。そのような機会をくださったばかりか、何から何までお骨折りいただいたN先生には感謝以外の言葉が浮かんでこない。
何より、自分以外にも多数のご協力があり、これによって成り立ったイベントであった。自分の尽力など、ほんの鼻糞程度でしかない。くどいようだけれど、N先生をはじめとする皆さんがいろいろとお骨折りくださったおかげで、このイベントが無事にできた。
月並みな言い方かもしれないが、サッカーファミリーというのは、こういう時にこそ絶大な威力を発揮するものだろう。自分はどっちかと言えば匹狼を気取りたがる、ただのええカッコしいだが、このイベントを成功させるために集った人たちは、そんな自分などよりも、懸命に働き、目標の達成のためにそれぞれの形で力を尽くした。
機材のセッティング、当日の人の誘導・整理、会場の設営、諸々の下準備、当日の盛り上げ・・・いろいろな役割を集まった皆さんでこなしていただいた。その先頭に立っていたのがN先生だし、この先生の下に結集した多くの人たちだった。

13年前のことを何となく思い出しながら書いてみた。細かい部分は最初にも言ったように全く覚えていない。記憶違いの面も多々あると思う。だからここに記載した内容は、あくまでもイベントのごくごく一部を切り取ったものに過ぎないことをご了承いただきたい。そして何より、試合結果も意に沿わないものだったが、それでも楽しかった。

もう今はこういうパブリックビューイングを我々がやらなくても、例えば島根県ならば、県サッカー協会などという然るべき団体が主催して開催すると思う。
我々などよりはずっと手際も良いだろう。我々の時は、こういう試みの実行例がまだまだ多くなかったので、まして市民有志連合の主催だったが故に、いろいろと手探りの面もあったと思う。

そういう風に然るべき団体が主催して、然るべき準備などの下に行ったらいいのだと思う。こういう大会にしろ、Jリーグの何かの大会にしろ、パブリックビューイングなどというのは、それで良いと思う。
だから、こういうのをまたやるのなら、今度は運営側でなく、純粋にお客さんとして参加してみたい。運営側で参加したら、絶対に違った心持ちで参加できたに違いない。
ただ、もうそういう機会がない(主に自分の体調面の都合などで)ことが残念と言えば残念ではある。もっとも、それは自業自得の面も多分にあるので、繰り言のように言っても仕方がない。

ただ、13年前の6月に、山陰の片田舎で実施された手作りのパブリックビューイングには、それ相応の意味があったとだけは確実に言えると思う。そのただ中にあった自分は、少なくともそう思っている。
出雲~米子(伯耆)辺りを雲伯地方と呼ぶかどうかは知らないが、方言の範囲的にはこの辺りの言葉は雲伯方言と呼ばれ、まとめられやすいようだ。
その雲伯地方で、こういうムーヴメントがあったことは、後々にガイナーレ鳥取だったり、松江シティFCだったりなどというクラブチームの文化が隆盛するきっかけにはなったと思う。
自分みたいに、ほぼ何もしていないような人間でも、その魁に立ち会えたのだとするなら、それはとても光栄なことだと言えるだろう。

基本的に他人様にどうこう、と偉そうに提示するような文章ではなく、「こいつ、馬鹿でぇ」と軽くお読みいただけるような文章を書き発表することを目指しております。それでもよろしければお願い致します。