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SC鳥取ドリームス

こことのつきあいは長い。毎試合ではないけれど、時々試合を観に行っている。後述もするのだが、遠方の会場での試合にはこのチームを応援する人間が客席で自分しかいなかった、などということもあった。

そもそもどんなチーム?

ご存知の方もいると思うけれど、SC鳥取ドリームスは、ガイナーレ鳥取にとってはファミリーチームと考えて良い。
元々SC鳥取のOBを中心に結成されており、その後、プロ化したガイナーレ鳥取に残らなかった選手たち、あるいはガイナーレ鳥取との契約を終えた選手たちの一部が加入してきたし、SC鳥取やガイナーレ鳥取とは無縁な選手も近年では増えている。

以上のような背景があるので、このチームは決してガイナーレ鳥取のセカンドチームではない。この辺は非常に重要で、自分もガイナーレ鳥取とは全くの別枠、と捉えている。

簡単なSC鳥取ドリームス史

ここでドリームスの歴史を簡単におさらいしておく。

Wikipediaで恐縮だが、チーム結成は2004年だという。結構歴史がある。まだその頃はSC鳥取があったので、むしろこの頃の方がSC鳥取のセカンドチームという位置づけに近いと言える。
少なくとも自分は2005年にこのチームを初めて見ているはずだ。その頃は恐らく県内の市域(または県内の各地域での)サッカーリーグに属していたものと思う。記録がないので2007年までのことは自分にもよくわからないというのが実際のところだ。
この頃、恐らく2005年だと思うが、朧気ながらだが、SC鳥取が、ものすごくざっくりと言えばファジアーノ岡山ネクストみたいな感じのセカンドチームとでも言うべき付帯チームを持つか何かして、この年多数抱えた選手にも試合出場機会を与えよう、みたいな構想があったような記憶がうっすらとある。
ただ、自分も記憶が曖昧な上に記録もハッキリ残っていないので、この辺りの経緯は判然としない面があることをご了承いただきたい。

元々ドリームスは中国社会人サッカーリーグに参加し得る実力を有したチームに、というコンセプトを持っていたので、それ用のチームになる可能性があったのではないか。従って、ファジアーノ岡山ネクストが当時の立ち位置としては最も近い立場ということになる。
だが、その構想は具体化しなかった。SC鳥取の登録人数は膨れ上がったものの、登録関係をどうしていたのかわからないので、結果としてそれら選手のSC鳥取またはその付帯チームでの出場機会が乏しいこととなり、選手の一部が去ってしまう結果となった。

こうした経緯を経て、2008年に鳥取県2部に参入し、このシーズンを無敗且つ無失点で圧倒的な成績で優勝し、2011年まで3季連続で鳥取県1部で優勝を繰り返し、2012年に当初の目論見通り、中国リーグに昇格している。
しかしCSLの壁は厚く高すぎたのか、シーズン終盤に1勝を挙げただけで最下位に終わり、1シーズンで鳥取県1部に降格した。

その後、3年連続で鳥取県1部を優勝している。しかし、無敗とは行かず、2014年にはとうとう1敗を喫している。また、鳥取キッカーズFC(俗に鳥取KFCと呼ばれる)や元気SC(現在はYonago Genki SCと改称)が強豪グループを形成していたが、鳥取キッカーズにかつてほどの勢力がなくなり、これに取って代わるようにバンメル鳥取という新興勢力が一気にのし上がってきた。

ともあれ、2016年には再びCSLに昇格した。しかし、アマチュアクラブチームならではの課題とも言えるメンバーの確保や戦術の徹底などの熟成不足が祟り、相手も一気に強くなりはしたが、18戦全敗という結果に終わってしまった。
自分がこの年唯一見たSC鳥取ドリームスの勝ち試合は、開幕前にあった練習試合のSC松江戦だけだ。夏に全社予選でNTN岡山にPK戦で勝ったのは見ていない。故に公式戦での勝利をこの年は1つも見ていない。その結果として、当然再び降格した。

自分とSC鳥取ドリームス

さて、そんなドリームスを何故応援するようになったのか。これはSC鳥取の初期のコールリーダー・ゆーいちくんによるところが大きい。彼からこのチームの存在を聞いたのか何だったか、細かいところはもうかなり以前の話(前述のように2005年頃の話)なので忘れたが、とにかく何か彼がきっかけになって観に行っているはずなのは間違いない。

その頃、SC鳥取に加えてFCセントラル中国(つまり、今で言うデッツォーラ島根EC)を観に行ったりしてるので、アマチュアサッカー観戦そのものにはまったく抵抗がなかった。
元々サッカーが好きなので、カテゴリがどうであろうと、そんなものは関係なかった。何しろ、ドリームスの試合のためだけに鳥取に行ったことだって何度もある。

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2008年には天皇杯予選でガイナーレ鳥取と対戦しているのだが、この時に自分は、何ら躊躇することなくドリームスサイドで応援していた。ガイナーレのゴール裏にいたのにもかかわらず、だ。

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島根県浜田市の三隅までクラブチーム選手権を観に行ったこともある(但しこの写真は恐らくドリームスの試合のものではないはずで、同じ大会の別カードじゃなかったかと思う)。この時、ドリームスを応援する人間は明らかに自分しかおらず、試合前だったと思うが、選手から「サポが来てるぞ」などと言われてしまい、苦笑いするしかなかった。
しかもこの時、試合中に雨に降られてしまい、当時の携帯電話をおシャカにしてしまうという痛恨の失策をしてしまった(結果として直ったし、料金的にも大したことはなかったので良いのだけど)。

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ヴォラドール松江(現在の松江シティFCの前身)とも練習試合をしたことがある。この様子から見ると、陸上競技場の方でやっているようだ。補助競技場ではないみたいだ。ちなみにヴォラドール(赤い方)の11番は、SC鳥取のOBでもある西村英樹さんだ。

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これが、我が家に残っているドリームスの最も古い試合の写真の1枚。写真のデータを見ると2005年10月30日とあり、背景にJFLの横断幕バナーがあるので、恐らく同日に行われたSC鳥取-Honda FC戦の前座か何かで行われた試合なのだろうと思う。ただ、ドリームスの相手はわからない。

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県リーグ決勝大会(これに勝ち抜くとCSLへの昇格ができる大会)に行ったことも2回ある。2009年のこちらは、広島市の広島スタジアム(今で言うコカコーラウエスト広島スタジアム)での一コマ。

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2015年には、FBC大山でこんなもやのかかった状況下で試合をしたこともあって。昼なのにこんな風に照明つけてたりね。

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これは2度目のCSLの時の廿日市FC戦より。このシーズンは前述した通り、全く勝てなかったので折れそうになったことも。挙げ句に終盤は脳梗塞の再発で応援に全く行けなかった。巡り合わせなのだろうけど、ドリームスがCSLに絡むと自分の脳梗塞が発症してしまうので、どうしたものかと思っている。
ま、それは蛇足だけれど・・・。

今そこでやってるサッカーを楽しめば良いじゃん!

前述のゆーいちくんが、とにかくドリームスでは楽しんじゃう人なので、自分もそれに倣っちまえ、というわけで、勝敗はなるべく度外視して(いや、そりゃなるべくなら勝った方が良いに決まっているけど、それはそれ)ドリームスでは肩の力を抜いて見てたり応援したりする。

いろんなスタイルの応援をしたっけ。ある試合では後半のある時間からずっと延々同じチャントを繰り返した時があって、さすがに止めようかなって思いもしたけど、彼に任せてみようと思って最後までつきあった。ヘトヘトになったような気がしたけど、何だろ。やりきったことに対する妙な充実感みたいなものもあって・・・あの時は不思議な感じだった。

そんな彼が家庭の事情などもあって本格的なサポ活動から退いてしまった今は、彼の後継者がいるわけでもないけど、いろいろバッティングしない限りは会場に行くようにしている。

別に会場に行っても、県リーグでJも何も目指しているわけでもないチームが試合するだけだから、スタジアムグルメとかもないし、賑々しい演出みたいなものもないし、至って簡素なムードだけれど、それでもそこでサッカーやってる選手たちは、まるでこうでっかい子供みたいにしゃかりきになってボールを追っかけ回してる。

ガイナーレ鳥取で試合見るのとは、基本的に違うものだと思ってる。ガイナーレなどを含むものは、「興行」として試合を含めたトータルなイベントを体感しに行くためのものだって思ってるけど、こういう他にめぼしいイベントがあるわけでもないアマチュアサッカーの試合は、目の前でやってるサッカーを楽しんで見るためだけに行くものだと思ってる。

例の赤い人が常々言う「今そこにあるサッカーを愛せ」じゃないけど、ドリームスのようなチームのサッカーを見る場合には、「今そこでやってるサッカーを楽しめば良いじゃん!」に尽きるんだろうなって思う。
細かい理屈は要らんのよ。それだけで良いんだもの。


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