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ぼくは、映画と文章とお酒に、人生を救われた

ぼくは、映画と文章とお酒に、人生を救われた。
いまから10年以上前のことだ。

映画に救われた、というと「なにをおおげさな」と思うだろう。
でも忘れもしない、大学生のある一年間。ぼくは人との摩擦におびえていた。
外に遊びにいく気力がわかず、人と接する勇気も持てなかった暗い時代に、ぼくはひたすら映画を観まくった。
最初はレンタル。一週間で平均5本、一日3本観る日もあった。ずっと同じソファに座って同じテレビの画面で、飽きもせず映画ばっかり観ていた。
黒澤・小津、ハリウッド、アート、ヨーロッパ、香港、韓国、邦画、アニメ。なんでも観た。いつしか、外には無数の可能性があるんだな、と思えるようになった。「こんなのを作りだす人たちに会ってみたい」とも思った。
なにより、映画には人生を切り取った何かがあった。人という存在が面白すぎた。映画という虚構の中で繰り広げられる何百もの人生に魅入られた。

文章に救われた、などと書けば、「ほんとかよ」と思う人もいるかもしれない。
ぼくにとっての文章とは、司馬遼太郎であり、沢木耕太郎だった。
小児ぜんそくを宣告された時、ぼくは同級生からおいてけぼりにされる感覚を味わった。外でスポーツを楽しむことができず、学校や家の中に閉じ込められた。
その時ふと手に取ったのが、司馬作品だった。歴史上の人物を、さも最近まで生きていたかのように活写するその筆力に、いつしかのめりこんでいった。
歴史上だけではなく、現代の人物まで視野を広げてくれたのは、沢木だった。みずみずしい感性で描かれた旅行記やルポルタージュが、自分の知らないあたらしい世界を教えてくれた。
外で遊べなくても、自在にいろんな人に会いに行ける感覚を味あわせてくれたのが、司馬であり沢木だった。本の中の文字を通して、あらゆる人が愛おしく見えるようになった。

お酒に救われた、というのも、事実だ。
大学生時代、はじめて踏み入れたバーという空間にすっかりはまり、気づいたらその店のバーテンダーになっていた。
お酒の知識ゼロ、ウィスキーなんか飲んだことがなかったところから勉強して、シェーカーの振り方やカクテルの作り方も必死で練習した。コツコツ技術を磨くことが、花開く結果につながる、ということを知った。
そして何より、それまで極度の人見知りだった僕を、多くの人と会話できるように鍛え上げてくれたのが、バーでありお酒であった。
カウンター越しに垣間見えるいろんな人の人生が「世界は怖くないんだよ」ということを教えてくれた。

そうだ。ごめん、ちょっと言いなおそう。
ぼくは、「人」に救われたのだ。映画に出てくる人たちや映画を作った人たち、文章で描かれた人たち、お酒を通して知り合えた人たちに、救われたのだ。

だから。
ぼくはいま、映画と文章とお酒と、そして人に。
恩返しをしている。


映画・映像ウェブマガジン「キネプレ」編集長
ブックカフェバー「ワイルドバンチ」店長兼バーテンダー
森田和幸


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