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№5535:「独自」であり「部分」であること

本記事は毎週月曜日に配信している有料メルマガ「思考変容のスイッチ」の一部を加筆修正したものです(原形をとどめていない場合あり)。
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こんにちは。遠藤です。
※過去分(4740回分)はこちらにあります。

さて、私が心の底から納得しているのが、安岡正篤さんがいわれる「自分」という考え方です。

それは以下。

「『自分』というのは大変好い言葉であります。あるものが『独自』に存在すると同時に、また全体の『部分』として存在する。その円満無碍な一致を表現して『自』と『分』を合わせて『自分』というのです」

あまりにも素晴らしく的確だと思います。

巷のパーソナルジムや伸びない小型ジムには「独自」しかありません。

「自分じゃなきゃできない」「自分たちじゃなきゃできない」。

そういう考え方です。

私からすれば固執であり、強い思い込みに過ぎないことを「自分(たち)じゃなきゃできない」と言っているだけです。

広げたいのに広がらない。

ここに本音があります。

もっともこれは「独自」というより、単なる「属人的モデル」ですが、いずれにせよこのような考え方では事業は伸びません。

私たち(スモールジム)は最初の段階から「広まること」を重視しています。

そうしないと「日本」という単位に影響力を発揮することができないからです。

私たちは1つの会社ではなく代表トレーナーの集合体です。

そして、各々の代表トレーナーは「個」であり、強烈な「独自」です。

そうでなければ地域社会の中でやっていくことはできません。

と同時に各代表トレーナーは「ハチドリの精神」という明確な理念のもとに集った「部分」です。

だからスモールジムの面々は「独自」としても輝いているし、「部分」としても貢献心を発揮するのです。

故に私たちは「自分である」と胸を張って言うことができます。

が、世の中を見れば「独自(我欲)」でしかない人。

一方では「部分(歯車)」でしかない人。

このどっちかしかいません。

「本当の自分」がいない社会。

だから「つまらない」のだと思います。

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