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『今年最初のスペシャル・ゲスト・バージョン』

『今年最初のスペシャル・ゲスト・バージョン』

今年最初のメールマガジンとなります。

改めまして、皆様、本年も、どうぞよろしくお願い申し上げます。

今年初めてのメールマガジンは、新春スペシャル・ゲスト・バージョンです。

少し長いので、前半・後半に分けました。

また、本日、スクールの保護者向けにこちらの内容を一部補足する形でお話しさせていただいた動画を文末に添付しますので、
読むには少し長い、という方は、よろしければ、そちらの動画をご覧くださいませ。

目次:前半

1:プロローグ)再会
2章) 名古屋での対談

3章)海外でのこと
4章) 『コンナニジュクニイッテイテハ、ベンキョウガデキナイ』

5章)ハーバード合宿での事件
6章)ハイスペックママはご注意ください。
7章)世界の変化

8章)どんどん新たな仕組みを作る
9章)お金の勉強
最終章) スクールの子ども達へ

昨夜は、なんとも贅沢な一夜だった。遠く高崎山と美しい弧を描く別府湾を望む高台のロビーラウンジで、この原稿を書いている。

『若者の国連』との別名を持ち、世界91の国や地域から3000人もの留学生を抱える立命館アジア太平洋大学(以下APUと表記させて頂きます)のキャンパスは、この高台をさらに登ったところにあり、

その校舎は、丘の上に天空の城のようにそびえたっている。

数年前に、APUで合宿をした時は、こんな大規模でラグジュアリーな外資系ホテルは、別府にはなかった。

洗練された館内を案内してくれた、たいそう感じの良い青年も、APUの卒業生だそうだ。

メルセデスの送迎車でロビーに到着するお客さんの多くは、アジアからのお客さんだ。

数年前から、京都の料亭や銀座のお鮨屋さんにも、アジアの旅慣れた若いカップルなどが多く、日本人の客は、1組という場面にも、何度も遭遇した。

スクールとの往復だけの毎日だと、なかなか実感は沸かないが、出かける先々では、アジアや諸外国の人々が、日本の社会の中に、どんどんと入って来ていることを感じる。

出口先生との会食の冒頭も、中国の話しで盛り上がった。

APUの学長でいらっしゃる出口治明先生とは、昨年の3月以来、10ヶ月ぶりの再会だった。

世界1200都市を訪れ、一万冊を読破した『現代の知の巨人』と呼ばれておられる超多忙な出口先生と一対一でお話しさせていただくというのは、本当に有難いことだ。

奇しくも、その夜は、出口先生がナビゲーターを務められる『100分で名著』の放映の初日であり、年明け最初の仕事始めの日の夜、

あちこちから湯けむりのぼる石畳の小道を抜け、暗闇の中から暖かな光が広がる隠れ家のようなレストランで、
再会は実現した。

2)名古屋での対談

遡ること10ヶ月前、名古屋市内のホテルの対談室で、出口先生と私、また、スクールの保護者の何名かと対談をする貴重な機会をいただいた。

当初は、記者を入れて、対談の内容を記事にしようとの計画であったものが、記事にするまでには至らず、しかしながら、その時の内容は、ぜひ、多くの方にお伝えしたいと思いながらも、月日が過ぎていた。

名古屋での対談では、主に、子育てに悩む保護者からの質問に、出口先生が答えてくださるというもので、質問内容は多岐に渡った。働くお母さんから、「保育園に預ける時に、いつも娘が泣くのですが」、

といったものから、もっと高学年の男の子のお母さんからは、「ゲームばかりしているのですが」、というものまであり、その質問の一つひとつに、出口先生は、丁寧に心を込めて答えて下さった。

(対談の模様は、別のページに。)

しかし、私のファシリテーション不足で、この変化の激しい世の中で、子育てに悩む保護者に伝えられる 『共通の解』 のようなものを引き出せずに終わってしまった。

なんとか、出口先生の貴重なアドヴァイスの数々を、今リアルタイムで子育てに悩む保護者に、パンチの効いたメッセージとともに届けたい。

そんな思いを抱え、一月、年が明けたばかりの出口先生との会食が実現した。

会食の時間の前は、別府屈指の温泉街の鉄輪温泉の宿で、温泉に入った後、出口先生の最新のご著書 『宗教と哲学』 を含めた何冊か部屋で読んで過ごした。

世界中の都市を訪問されたことがある出口先生の体験談の中に、

出口先生が、中国で生命保険会社を設立しようと通われていらした頃の興味深いエピソードがあった。

3)海外でのこと

出口先生が頻繁に中国に通われていた90年代、私は上海に留学中だった。その後、金融機関に勤めたこともあり、私も何度かお目にかかったことがあった上海の当時の人民銀行の幹部の方々が大変優秀で、欧米の大学で学位を持っていたこと、

現在も、留学生の数で、日本とは比べられないほど多くの中国の学生が海外で学んでいること、また、当時の中国の学生の勤勉さや優秀さについて、一通り話し終わった後、

「ところで、今年のニューイヤーを、上海で2000機のドローンで祝ったのを、ご存知ですか?」と出口先生からお尋ねがあった。

年末年始に、ツイッターで、その動画を見たばかりで、その華やかさに驚愕したことや、中国のテクノロジーの発達の凄まじさが話題になった。

「2000機のドローンで年明けを祝う様子を見ている中国の子ども達と、日本の子ども達、ビジネスの世界で、今後、どうやって戦っていくのでしょうな。」と出口先生がおっしゃった。

しばしの沈黙が流れた後、私はバッグから、去年出口先生に対談前にお見せした、ある小学生の一週間のスケジュールが手書きで書かれているA4の紙を取り出して、テーブルの上に置いた。

出口先生が、改めてその紙を眺め、ボソリと仰った。

「こんなに塾に行っていては、勉強できませんね。」

4) 『コンナニジュクニイッテイテハ、ベンキョウガデキナイ』

穏やかで、優しさに満ちた、そして、子ども達だけではなく、親を含む、子ども達を取り巻く環境を憂うような、なんとも言えない声だった。

会食に同席されていた事務局長の方と顔を見合わせ、

「先生、今のお言葉、名言ですね。」と、思わず二人で唸ってしまった。

「だって、こんなに塾に通っていたら、勉強できないでしょ。」

先生、ちょっと、待ってください。と私は
バッグから、今後は慌てて懐紙を取り出して、それに走り書きをした。

『コンナニジュクニイッテイテハ、ベンキョウデキナイ』

出口先生に、私は、昨年の夏にスクールの子ども達と行ったハーバードでの体験をお話しした。

昨年の出口先生との対談に際し、事前に、お伝えしたのは、

『才能ある子供達が、学年が上がっていくにつれて、答えや考え方が画一化され、それを、とても残念に思っている』 こと、

一方、保護者は、

『周りの子供達の塾通いなどに心穏やかでなく、時代の変化の中で、どうしたら良いのか、不安が大きい』 ことをお伝えした。

塾通いはやめられないが、このままでいいのか、との不安も保護者にはある。

海外に行ったり、ハーバードの学生や先生方と、子供達が直接 接することで、子ども達自身が、何かを感じるかもしれない。

夏の海外合宿に送り出した保護者の気持ちは、恐らくそんなものだったのではないかと思う。

5)ハーバード合宿での事件

10歳の子ども達に向けて、ハーバードの先生方が、量子物理学などの講義をわかりやすくして下さり、子ども達は、先生方が、とても楽しそうだったことや、自らの研究に対して喜びを持ち、その研究が、世界を変えていくのだという誇りを持っていることを肌で感じたようだった。

そんなハーバードの先生方の姿を見て、帰国後、子ども達が変わり始めていることをお話しした。

「ほんものを、見せてやらんと、いかんのです。」

「そして、一回、壊さないといけませんね。」

子ども達は、出口先生にお見せしたスケジュールに記されているように、当時は、毎日のように塾に通っている子も少なくなかったが、ハーバードの先生達が、生き生きと楽しそうに生きている姿を見て、

何より、先生方のレクチャーを受け、『自ら疑問に思うこと』や、『異なる視点を持つこと』の大切さを痛感したようだ。

そして、それらの力が、今の自分達にないことを、とても悔しく感じ、帰国後、変化した子が少なくなかった。

話題は、子ども達から、保護者、特に、お母さんたちに移行していった。

「中村先生、お母さんたちが、なんで塾通いがやめられないか、わかりますか?」

私は、頭の中で、美しく焼き上がったクロワッサンが、だんだん硬くなっていくようなイメージを持った。

美しく焼き上がったクロワッサンが、将来への漠然とした不安というオーブンの中で、さらに焼き上がって、

そして、時間が経つと、硬くなってしまう。

6)ハイスペックママはご注意ください。

後半に続きます。

後半は、

6章)ハイスペックママはご注意ください。
7章)世界の変化

8章)どんどん新たな仕組みを作る
9章)お金の勉強
最終章) スクールの子ども達へ

の後、動画のご紹介となります。

後半も、お目をお通しいただけましたら、幸いです。

ローレンシャンインターナショナルスクール
校長 中村 和世

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