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徳を積めばいい

前回の投稿から10ヶ月も経ってしまった。結局何事も続けるのが難しい性格なので仕方ないけど、徐に再開。
力むと何事もうまくいかないから、宇宙タイミングで書く、短く書く、ってことを意識したらいいかもね。

さて、ちょうど先週誕生日を迎えて、52歳になりました。移住してから初めての誕生日。脱サラしてからおよそ1年半という期間はあっという間で、最近はノーストレスで、新築の家の出来上がっていない箇所をDIYする日々を送ってます。

そんな中、8月に家に遊びに来てくれた友達家族とその友達数人が改めて遊びに来てくれた。けれども、その友達の中に、どうしても自分が好きにはなれない言動をする人たちに、我慢できなくてキレてしまった。全く大人気ない対応だったと反省している。

我慢できなかった言動というのは具体的に、図々しく人のお土産を貪る、喋り方が癪に障る(生理的に受け付けない)、口は達者だけど手足は動かさない、砂の付いた足で堂々と家に入る、など。

その人とすぐに打ち解けた、うちの奥さんからは、「あの子は三歳児と同じだから」大目に見てあげないとね、と言われるものの、どこからどう見てもおっさんだし、話すのは今回二回目だし、そんなのも知らずに対応してたら、目にあまったもんでどうにも堪忍袋の尾が切れたわけです。

でも、私の大人気なさもかなりあったわけで、色々反省していたわけです。そんな中で、うちの奥さんが、確かにこの家は新築であなたが一生懸命働いて稼いだお金で建てた家だから、大事にして欲しいから色々ルールで縛りたくなると思うのは当然だけど、もっと大きい視点で見れば、家だって土地だって、近くの海や山だって誰のものでもなくて、神様から借りているものなのだから、気持ち良く使ってもらって、それで徳を積めばいいんじゃない、って言われて、思いっ切り腑に落ちた。

私の曽祖父はかつて岡山で料亭をやっていて、日雇いの人を囲って食事を与えて住まわせながら仕事を授けていたらしい。慈善事業みたいなもんで、タダ飯食って逃げ出す人もいたらしいが、その功績もあってから亡くなった時は多くの人が弔問に来たらしい。素晴らしい心がけだ。それに比べて自分は・・・って思うと、もっと徳を積むべきだと思った。

どうも自分は今までの価値観からなかなか抜け出せないようだ。幸せになるには、力みを抜いて、緩んで、手放していかないとね。

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