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この帰り道が好きだ。当たり前のように何度も何度も通ってきたこの道をなんで今改めてそう思うんだろう?海の色?潮の香り?波の音?砂のざらざら感?全部正解な気がするけど、僕が一番好きだって思うのは波打ち際の抽象画。毎瞬違うそれを眺めてるのが一番好きだ。その思いは周りに人がいなければいない程強くなる。まるで海の底にゆっくり沈んでいくみたいにじんわりと強くなっていく。海岸通りは緩やかな曲線で目を瞑っても歩けそうだ。14歩だけ歩いてみたら不安になって開いてしまった。その時海が見えてその海が持つ安心感と繋がれた気がした。嬉しいと優しいを少しずつ混ぜた色彩が胸の辺りに滲んだ気がした。その時だった。初めてその海岸に人がいたことに気がついた。長い髪で顔は隠れてるけど海の方に向かって座っている。それは一つの風景の中に溶け込めないでいる何かに見えた。僕は目が離せなくなった。そして何も考えず少しずつ近づいていった。近くまで来ても彼女はこちらを振り向かなかった。泣いてる声が聞こえたような気がして僕は声をかけた。

「泣いてるの?」

何秒間か或いは何時間か時間が止まったみたいだった。それから彼女はゆっくりとこちらを見た。とても悲しそうに微笑んだ。泣いてはいなかった。泣き声と思ったそれは波の音だった。

「君、誰?」

「僕は、誰なんだろう」
当然な疑問と言えば当然なのに、唐突に感じた僕は一瞬僕が誰なのかを見失っていた。
彼女は笑った。今度は少し声に出して。

「何それ」
僕もつられて少し笑ってしまった。
「きみはこの辺の人じゃないよね?」
僕の質問に彼女は答えなかった。ただ海の遠くの方を眺めている。
少しだけ距離をとって僕も隣に座った。

「君はこの辺の人なんだ?」
彼女はこちらを見ずに言った。
「うん」
波の音がさっきより大きくなった気がした。
それから2人とも何も話さず海の方を見ていた。しばらくしてやっと話し出したのは彼女の方だった。

「最近はじめてわたし、人に嫌われるより怖いことがあるって知ったの」
何の話だろう?と一瞬過ったけど僕は「うん」と答えた。

「わたしにはそれが辛過ぎた。嫌われる方がいくらかマシだってほんとに心からそう思った」
何のことを言ってるのか全然わからないのにその辛さが痛いほど伝わってきて僕はとても悲しくなった。何か言わないとと思った。

「だからここに来た」
僕は自分の思いみたく言った。彼女の瞼が一瞬大きく開いたけどすぐにまた元に戻った。

「だからここに来た」
彼女は復唱した。反芻するみたいに。或いは他人事みたいに。

太陽が海を目指して色がだんだんと濃くなりはじめていた。優しい風が時折吹いて僕らを撫でる。海にも太陽の色が滲みはじめた。

「夕日は好き?」
と僕は聞いた。

長い彼女の髪も夕日色に染められて輝いていた。

「月の方が好きかな」
と彼女は夕日を見つめながら言った。

「僕も」

太陽が海に完全に沈んだ直後のこの紫とか藍色が好きだった。そしてその中で輝きを帯びる月も。だけど今は月を見つけることは出来なかった。僕は探すのを諦め立ち上がり帰ろうとしたその時、ひとつ聞き忘れていたことを思い出した。

「名前は何ていうの?」

僕がそう聞くと彼女は初めてはっきりと僕の目を見た。

「梛」

「ナギ」
僕は復唱した。忘れない為に。
名前と、この感覚を。

ひとりになっても梛はまだしばらくそこに座ったままだった。そして空の一点を見つめ続けていたその目はその先にある銀色を映し出して光っていた。


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